wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

念願の東慶寺「聖観音菩薩立像」

2013-09-23 16:19:16 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
 平成25年9月21日三連休の初日、まだまだ残暑が残る中、何度目かの鎌倉散策に行ってきた。

 今回は、鎌倉五山(臨済宗の格式の高い寺、建長、円覚、寿福、浄智、浄妙のこと)に行きたいと千ちゃんがいい、私は以前読んでいたく感動した「鎌倉ミステリー紀行」の中の「古都鎌倉尼僧誘拐事件」にまつわる、東慶寺に展示してある「聖観音菩薩立像」をじっくり見たくて、そして、秀頼の遺児がここ東慶寺で天秀尼として生き、大きな仕事をしているのを確認したくて、そんないきさつから今回のウォーキングとなった。

 果たして歴史は今回も私たちの心を裏切ることなく満足させてくれた。

 この「古都鎌倉尼僧誘拐事件」は、簡単に言えば、古河公方の血を引く足利義明の娘二人が父を戦いで失い、鎌倉に連れてこられて、尼になって暮らしていた。その長女の方の許嫁であった里見義弘は、二十数年経ってから、突然軍艦を率いて鎌倉を攻め、太平寺にいたその尼を、自分の本拠地である安房国へ連れ去ったという事件である。その時に、あったご本尊様が「聖観音菩薩立像」で、一旦は安房国に持っていったが、妹が急逝したので、その妹がいたこの東慶寺に渡したという経緯があるという。

 本には「この仏は、土紋という鎌倉独特の技法で作られた模様を持っているが、私はこの仏の前に立つと、そのふくよかで、世の中の愛の姿をすべてご存知というような美しい表情に目を奪われてします。そして,聖観音の額の上に、可愛らしい尼僧と思えるよような像が立っている。まるで、愛する夫、里見義弘の腕の中に抱かれた青岳尼かと思わせるようなそのお姿に、私はなぜか胸がいっぱいになる」とある。ここまで書かれたら、やっぱり見たくなる。

 また、前に読んだ本「豊臣家最後の姫」で、大阪夏の陣後に連れてこられた秀頼の遺女は、ここで尼となり「天秀尼」を名乗って、駆け込み寺の役割を十分に果たしたという。徳川家康の孫の千姫の後ろ盾もあり、権力者を相手に怯まず女人を匿ったという。この豪快さを、千ちゃんと、この天秀尼を大河ドラマにしてもらえないかと話したほどだ。

        
 

今回は時間がないので、行ったところを貼り付けておく。
まずは、英勝寺、ここは何と太田道灌が住んでいたところで、曼珠沙華が有名だそうだ。
          


次に、亀谷切通し
高さが十メートル位切り拓いていた。
    


頼朝の子どもの木曽義仲の息子の義高といい仲だった大姫のお墓?
   


円覚寺
    


最後に鶴ヶ岡八幡宮。偶然にも「北条時頼展」をやっていたので見てきた。有名な「鉢の木」の人物であるという。
また、公暁が実朝を討つときに隠れていたという大イチョウは、何年か前に、雷に打たれて折れてしまっていたが、新しい芽が生えて、手厚く保護していた。八幡宮の看板の「八」の字は鳩になっている。だから鳩サブレーが名物になっているのを知った。バックに付ける鳩のキーホルダーを買った。
     
 

今回学んだことは、行く時はお金を余分に持っていかなければいけないということだ。千ちゃんに二千円も借りてしまった。
今回も楽しい散策ができたことに感謝し、筆をおこう。
         15563歩 6.5キロ
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新田義貞・富岡製糸場・長瀞ライン下り

2013-09-15 10:45:03 | 旅行記
 平成25年8月30・31日の夏休みの最終日、灼熱の太陽が照りつける中、職場の研修旅行を行った。泊まる場所は、群馬県伊香保温泉

 それに伴う日程を考えたとき、職場の近くに、昔ながらの鎌倉街道が残っている。もちろんその道は鎌倉に続いているのだが、どこからかというと北は群馬県の高崎方面から、向こうの方は上の道(かみのみち)と言うそうだが、続いている。以前新田義貞が鎌倉を攻めたときに、途中兵馬を休ませるために井戸を掘ったという「鎌倉井戸」に行ったことがあり、境川沿いのこの地はもしかしたら通った道なのではないかと思っていた。

 そこで、今回下野(しもつけ)方面に行くので、太田市にある新田義貞関連の史跡に行き、そして、その近くにある世界遺産に登録申請している「富岡製糸場」にも行き、
2日目には長瀞の川下りを楽しもうという日程でこの職員研修旅行を行った。

まずは、新田義貞関連の歴史資料館へ行く。学芸員の方が、詳しく話してくれた。

 新田義貞は鎌倉時代後期から室町時代前半に活躍した武将で、1300年新田荘で生まれ、1333年太田市の生品神社(いくしなじんじゃ)の境内で神輿の旗を挙げ、鎌倉幕府を滅ぼした武将として歴史に名を残している。だが、足利尊氏との戦いに敗れ、1338年遠く越前(福井)の地で不慮の死を遂げている。表舞台に立ったのはたった5年間と短い。新田義貞の足跡が分かりやすくまとめられていたので、私としてはとても満足だった。
    
 
 また、途中で、この地を「徳川発祥の地へようこそ」という看板があったので、それを聞いてみたら、家康が征夷大将軍になる時に、源氏の血筋がないと申請できないので、義貞の何代か前の人が徳川家へ養子に行ったのを家系図にしたらしい。だから、東照宮も建っていた。
    


次に行ったのは、「富岡製糸場
明治維新後に作られたこの富岡製糸場。「野麦峠」のイメージだったが、実際は武家の子女が働いていたところで、今でいうお嬢様学校的なものだったという。
建物のレンガ作りが面白く、組み立て方で、フランス式、イギリス式、ドイツ式とかがあった。ちなみにこの製糸場はフランス人のポール・ブリュナを指導者として雇入れ、フランスの技術を取り入れたという。
      


伊香保の温泉地では、よくサスペンス劇場で使われている「伊香保神社」に続く石段を歩いてきた。
     


2日目は長瀞ライン下りを楽しんできた。「お盆の時は2時間待ちでしたよ」と船頭さんが教えてくれた。いくら待つところにテントが貼ってあるからといって、この炎天下に2時間は大変だったろう。私たちは夏休みも最後の日なのですぐ乗れた。ラッキー
     

仕事に支障をきたすといけないので、早めに帰ってきた。
バスの中では、恒例の映画鑑賞で、行きは「のぼうの城」、帰りは題名は忘れたが、西田敏行演じる飼い主と一緒に旅を続ける犬の物語で、飼い主が死んでも、その場所に居続けて、その半年後に亡くなるという、なんとも号泣ものでした。
o(^o^)o 楽しい良好で満足でした。

コメント (1)
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