令和4年4月16日(土) 知らないことを知るのはとてもいいことだと思い、「千利休が残した茶の湯の歴史」なるものに行ってきた。利休といえば、秀吉に言いがかりをつけられて、切腹させられた人といわれるかもしれない。果たしてどうなのか?
と思って行ったが、茶の湯の話なので、利休のお師匠さんである「村田珠光」や「武野紹鴎」の話から始まったので、私は不覚にも舟を漕いでしまったのでした。
でも、長谷川等伯が描いたという利休の肖像画がスライドが大きく映し出されると、目がシャッキとして、話も面白くなってきた。
この肖像画は60歳の利休である。茶人というよりも、エネルギッシュで策士のような感じがある。
千利休は、魚屋の商家の生まれで、若年より茶の湯に親しんでいた。信長が堺を直轄地としたときに、茶頭として召され、のち秀吉に仕えたという。茶人として名声の絶頂にあったが、秀吉の勘気に触れ、切腹を命じられる。
次の写真は、自刃するに際し、3日前にしたためた「利休遺(ゆい)げ」である。以前、古渓和尚から末期の句を尋ねられた際に、詠んだものという。大事なものや人を全部捨て去り、または殺(せっ)し、この今、瞬間だけを生きろと説いているとか。
次の写真は、死の二週間前、おそらく現存最後の利休書状であろう。堺蟄居を聞き、見舞いをよこした弟子にあてた返し状。
「かなしく候」で終わっている文は、日頃胸中を人にさらさぬ利休のこらえきれぬ思いが伝わる。
次の写真は、前の写真の1日前、淀の船着き場にひそかに見送りに来てくれた「細川三斎」と「織部」の姿を見つけ、この当時、罪人に会うことは必ず処罰されることなのに、後難を恐れることなく見送ってくれた二人に感激して、感謝の思いをしたためたもの。
最後に、「利休逸話」として、千貫(今の貨幣価値で1億円)もする香炉を眺めていて、利休はどうも納得がいかない。それを妻の宗恩が見て、「足が一分高うて恰好悪し。きり給え」と。利休もそう思っていたと、妻の言葉に従って、きらせたという。なかなか優れた目利きの女子である。
質問が出た。なぜ利休は切腹させられたのと。利休の娘を秀吉が気に入り、それを拒んだからという説があるかと。
7つくらいの説があると言っていた。その一つは大徳寺の山門であるが、これは言いがかりみたいである。
講演のあった場所は、大手町にある「読売新聞」の建物。お正月恒例の箱根駅伝のスタートとゴールの場所である。
近くに平将門が祀ってあった。
コロナ禍で中々歴史散策ができないが、やっぱり好きな歴史に触れることは、私に元気を与えてくれる。講演や散策を定時やりたいものである。
と思って行ったが、茶の湯の話なので、利休のお師匠さんである「村田珠光」や「武野紹鴎」の話から始まったので、私は不覚にも舟を漕いでしまったのでした。
でも、長谷川等伯が描いたという利休の肖像画がスライドが大きく映し出されると、目がシャッキとして、話も面白くなってきた。
この肖像画は60歳の利休である。茶人というよりも、エネルギッシュで策士のような感じがある。
千利休は、魚屋の商家の生まれで、若年より茶の湯に親しんでいた。信長が堺を直轄地としたときに、茶頭として召され、のち秀吉に仕えたという。茶人として名声の絶頂にあったが、秀吉の勘気に触れ、切腹を命じられる。
次の写真は、自刃するに際し、3日前にしたためた「利休遺(ゆい)げ」である。以前、古渓和尚から末期の句を尋ねられた際に、詠んだものという。大事なものや人を全部捨て去り、または殺(せっ)し、この今、瞬間だけを生きろと説いているとか。
次の写真は、死の二週間前、おそらく現存最後の利休書状であろう。堺蟄居を聞き、見舞いをよこした弟子にあてた返し状。
「かなしく候」で終わっている文は、日頃胸中を人にさらさぬ利休のこらえきれぬ思いが伝わる。
次の写真は、前の写真の1日前、淀の船着き場にひそかに見送りに来てくれた「細川三斎」と「織部」の姿を見つけ、この当時、罪人に会うことは必ず処罰されることなのに、後難を恐れることなく見送ってくれた二人に感激して、感謝の思いをしたためたもの。
最後に、「利休逸話」として、千貫(今の貨幣価値で1億円)もする香炉を眺めていて、利休はどうも納得がいかない。それを妻の宗恩が見て、「足が一分高うて恰好悪し。きり給え」と。利休もそう思っていたと、妻の言葉に従って、きらせたという。なかなか優れた目利きの女子である。
質問が出た。なぜ利休は切腹させられたのと。利休の娘を秀吉が気に入り、それを拒んだからという説があるかと。
7つくらいの説があると言っていた。その一つは大徳寺の山門であるが、これは言いがかりみたいである。
講演のあった場所は、大手町にある「読売新聞」の建物。お正月恒例の箱根駅伝のスタートとゴールの場所である。
近くに平将門が祀ってあった。
コロナ禍で中々歴史散策ができないが、やっぱり好きな歴史に触れることは、私に元気を与えてくれる。講演や散策を定時やりたいものである。