令和4年10月22日(土)、久しぶりのウオーキングに行ってきた。場所は大河ドラマの「鎌倉殿の13人」で、壮絶な死と遂げたは畠山重忠最期の地である横浜市旭区鶴ヶ峰駅周辺である。なるほど、中川大志さんのかっこよい演技の影響か、また、近場で行きやすいのか、私たちと似たような、地図を片手に歩いていた人たちがちらほら見かけられた。
実朝の妻を迎えるために重忠の長男重保や北条時政の息子正範が京都に行った。そこで正範が亡くなるという事件が起こってしまう。息子の正範を失った牧の方は娘の婿平賀朝雅と組んで、有力御家人の畠山氏を排除しようと陰謀を画策し、夫の時政に訴えた。それを受けた時政は畠山討伐を義時に命じて、今回行ったこの地が最期の地で討ち取られてしまう。看板にも書いてあったが、重忠自身は時政に呼ばれたから、埼玉の菅谷から鎌倉まで来ようとしたので、まさか討ち取られるとは思ってもみなかった。
この二俣川まで来て、(ちょうど川が帷子川と二俣川とに分かれていたところがあった。)気づき、「ここで引き返したら、謀反を企てたと思われ、梶原景時の二の舞になる」と150騎という少ない数で、死を覚悟して戦ったという。
首塚、首洗い井戸、二俣川合戦の地、重忠公石碑,駕籠塚(重忠の二人いる妻の時政の娘でない方、かごに乗って駆け付けたが、死を知って自害した。)(時政は娘の旦那を殺したことになる、非情だなぁ)、薬王寺(境内に重忠と家臣らの墓がある。)
昔はただの広い野っ原であったろう。横浜は土地が平らではなく、高低があるので、近場にまとまってはいたが、歩くときつかった。それにあまり食べるところがなくて、結局駅まで戻って、遅いお昼を食べて帰ってきた。
でも、今回も充実したウオーキングであった。
実朝の妻を迎えるために重忠の長男重保や北条時政の息子正範が京都に行った。そこで正範が亡くなるという事件が起こってしまう。息子の正範を失った牧の方は娘の婿平賀朝雅と組んで、有力御家人の畠山氏を排除しようと陰謀を画策し、夫の時政に訴えた。それを受けた時政は畠山討伐を義時に命じて、今回行ったこの地が最期の地で討ち取られてしまう。看板にも書いてあったが、重忠自身は時政に呼ばれたから、埼玉の菅谷から鎌倉まで来ようとしたので、まさか討ち取られるとは思ってもみなかった。
この二俣川まで来て、(ちょうど川が帷子川と二俣川とに分かれていたところがあった。)気づき、「ここで引き返したら、謀反を企てたと思われ、梶原景時の二の舞になる」と150騎という少ない数で、死を覚悟して戦ったという。
首塚、首洗い井戸、二俣川合戦の地、重忠公石碑,駕籠塚(重忠の二人いる妻の時政の娘でない方、かごに乗って駆け付けたが、死を知って自害した。)(時政は娘の旦那を殺したことになる、非情だなぁ)、薬王寺(境内に重忠と家臣らの墓がある。)
昔はただの広い野っ原であったろう。横浜は土地が平らではなく、高低があるので、近場にまとまってはいたが、歩くときつかった。それにあまり食べるところがなくて、結局駅まで戻って、遅いお昼を食べて帰ってきた。
でも、今回も充実したウオーキングであった。