wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

津久井の湖上祭に行って

2016-11-20 17:21:11 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
平成28年11月20日(日)小春日和の中、息子がイベントに出るというので、わざわざ、津久井湖まで行ってきた。

又野公園10時なんてことを言うから、早めに出て行ってみたけど、全くそんな雰囲気はない。ラインで聞いたら、水の苑で13時半だという。

だいぶ時間があったので、近くに又野が出生地である「尾崎咢堂」の記念館があったので、入る。45分間もビデオを見て、だいぶ尾崎咢堂のことを知った気になってしまった。
     

11歳の時から、この地を離れ、三重県の議員として、選挙に出て当選している。その後、東京市長になり、大臣を努めたりしたが、自由民権運動し、平和を願い、その活動に尽力し、100歳近くまで生き抜いた人である。2度目の奥さんは、外国の人で、外国で暮らしていたりもした。年の離れた妹さんが、ずっとこの根小屋に住んでいて、尾崎が亡くなった時に、弔文を読んでいた。鼻が高くなるように、いつもつままれていたらしい。

お昼は、しばらく食べていないラーメン屋さんに、家の近くまで戻ってきて食べ、また、津久井湖まで行って、息子のイベントを見てきた。
       

今年6月の終わりに買った車がとても快適で、ドライブするのが苦にならない。
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平山優氏講演の「大坂の陣と真田信繁」へ

2016-11-19 17:52:26 | その他
平成28年11月19日(土)小雨降る寒い日、大野北公民館主催の「歴史講座」へ行ってきた。
私が歴史好きということを知っている友人が教えてきてくれたもので、1時間半がとっても短く感じられるほど、面白い内容だった。Nさん、ありがとう。

「大坂の陣と真田信繁」という題目で、NHK大河ドラマ時代考証・歴史学者の平山優さんが話してくれた。

大河ドラマ「真田丸」の撮影が終わり、10月下旬に打ち上げがあり、白金で、ほぼ全員参加で、朝まで飲んでいたという話から始まり、九度山に行った経緯から、九度山での暮らし、大阪冬の陣が起こったいきさつ、冬の陣、夏の陣と、1時間半ずっと話してくださった。
       

逸話的に頭に残ったことは、
第2次上田合戦の秀忠は初陣  だった。海千山千の昌幸との格の違いを感じる。

上田城は、夏の観光人数が 90万人を超え、100万人に到達しそうだということ。
 ぜひ足を運んでくれとのこと。

・上田城は、徳川方に壊されて、何一つ真田のものは残っていない。信之が統治するときには、本  丸は畑になっていたと資料に残っていたとか。

昌幸が第2次上田合戦で 勝利したのは、砥石山城を信之が攻め、上田城に逃げ込んだと見せかけて、虚空蔵  山(こくぞうやま)(かいこ山)から徳川の背後を狙って攻めたからだとか。

・昌幸は、はじめの方では、すぐに戻れると思っていた。家康はそんな気持ちはさらさ らない。手紙が40通残っているが、その内容は、早く戻せ、戻りたい、金がない、 金よこせの4種類だそうだ。

・何で九度山というかは、麓に空海の母が 住む寺があり、そこに空海が9度会いに来たことからだという。

・秀吉を弔う大仏殿を築こうとした秀頼が、方広寺の鐘に「国家安康」の文字を入れたことに腹を立てたこと  が合戦のきっかけと言われているが、怒ったのは当たり前のことで、目前で人の名前 を呼ぶことは失礼なことで、諱(忌名)(いみな)ということもあり、極めて慎重に 扱わなければいけないことであったとか。

片桐且元は、徳川とのパ イプ役であった。秀頼は、内通していると疑い、排斥させる。それは徳川との断絶  を意味することになる。おぼっちゃまの秀頼にはそこまで読めなかったか。

・赤揃えの鎧を着ている徳川方の武将井伊直孝をみて、幸村に「佐和山の物語も見たい ものだな」と言わしめていた。三谷幸喜のエール交換なのか。

心眼寺三光神社と真田丸近 くの仏閣。

・大阪は奈良時代は海で、半島が出ていて、そこに天王寺があった。

・前田の殿様も初陣で、挑発に乗り出陣してしまった。

・冬の陣の和睦は、徳川方は兵糧の限界、豊臣方は火薬が底についたから。

・堀を埋めたのは、双方の合意で、浪人対策で堀を埋めた。秀頼は、一時金を出して、浪人たちを国へ帰  らせたかったが、その金で、武器を買ったり、はたまた、堀を掘り返したりする輩  が出たりと、不審な動きが重なり、また大阪へ浪人たちが集まってきてしまい、夏  の陣へと向かってしまう。

・夏の陣では、家康は、若い二人の息子に、合戦を見学させるために、昼頃からの始め させようとした。本来は朝5時~6時頃には始めるものを。それでしびれを切らした
 合戦が始まるも、双方経験がないものだから、突撃されて、味方の陣地に逃げ込み、 臆病風が伝染した。2度も攻められ、馬印も破かれ、絶望のあまり腹を切ろうとした 家康、あと一度突入したら首が取れたであろうとこまでいったが、そこで2つのこと が起こった。大野治長が今がチャンスと秀頼を呼びに千成瓢箪(せんなりひょうたん)を抱え て大阪城に戻ったのを、戦場から逃げて帰ってきたと思われたこと。もう一つは、  大阪城から火の手が上がったこと。誰が裏切り者なのかは、大河を見てくれとのこ  と。

・秀頼は出陣しようとはしていたが、やはり経験がないので、どこで出陣していいか判 断ができなかった。

幸村の首 を取った武将は、身なりの良い武将とやり合わせをして、誰だか分からず    に、もぎくび(兜ごと取ること)にしたそうだ。陣地に持ち帰り、真田に使えた武将 から教えられ、たまげたそうだ。何とその人は、武田の遺臣でもあり、因縁を感じ  た。

千姫を送って、助命したが、 かなわず。

・秀吉恩顧の武将たち、福島正則、黒田長政らは、江戸に幽閉されていたと言ってい  た。へえー、そうなんだ。

あと少し 夢が叶った 赤椿
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足利学校の隣に足利氏邸宅跡と「鑁阿寺」(ばんなじ)

2016-11-14 19:47:14 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
平成28年11月13日(日) 小春日和の穏やかな気候に誘われて、以前から行ってみたいと思っていた、足利学校へ、行ってきた。圏央道を使えば、2時間で行ける。休憩を入れても3時間もあれば行けるところである。

足利学校は、室町時代、上杉憲実が再建し、武士の子弟たちの教育の場であり、戦国時代戦うのに必要な兵法や易学も教えていた。
                  

論語の「宥座の器」(ゆうざのき)という、私の好きな言葉「中庸」の大切さを教えるために用いる道具を紹介していた。「何でも腹八分がよい。過ぎたるは及ばざるがごとし」である。なるほど。
   

隣には、鑁阿寺があった。入口には足利尊氏の像があった。七五三で賑わっていた。獅子舞人形がおみくじを引いていたのが面白かった。
        


昼は、スマホで調べて、近くのラーメン屋さんへ。雑誌で選ばれていた店で、30分以上待たされたが、2センチくらい厚みのあり、なおかつ柔らかいチャーシューが美味しくて、並んだかいがあった。

お土産に例幣使そばを買ってきた。この足利の辺には、京都から日光にかけて例幣使(家康の霊を弔うために遣わされた使者)街道が通っていて、この辺りも八木宿として賑わっていた。その宿で、昔からそば屋を営んで食べさせていたそばだということだ。

そこで、一句。
       天高く
         宥座の器(ゆうざのうつわ)
                 古代より
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小原本陣 大名行列

2016-11-03 20:25:17 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
平成28年11月3日(木)文化の日で休日のこの日、甲州街道の小原本陣で、大名行列があるというので、行ってきた。

9時45分橋本駅で待ち合わせ、でも待てど暮らせど、相棒が来ない。連絡したが、通じない。仕方ないから、帰ろうとした時に、「忘れた、ごめん」の連絡があり。少々遅くなったが、12時30分の大名行列の時間にはなんとか間に合い、見学することができた。
         

相模湖駅から、思いの外、小原本陣は近くて、歩いて15分くらいだった。
ちなみに、小原本陣には、お殿様は泊まっていないようだ。休憩はしたかもしれないが。また、参勤交代で通ったかもしれないが、大名行列は、していないそうだ。

小原本陣の中には、古い教科書もあり、修身の教科書は、面白かった。また、十返舎一九が書いた、「東海道中膝栗毛」の中の,小原宿が書かれているところも展示してあった。
    

大名行列が、到着したあとには、鉄砲隊の演舞があったり、本陣太鼓の披露があったりした。
   

何年か前にも、この小原本陣は来ていて、ブログにも書いた。その時は、小原本陣から小仏峠まで急勾配な山道を歩いて登って、千木良の方から相模湖の戻ってきた。

私たちの甲州街道ウォオーキングは、今、高井戸まで来ているから、このまま歩き続けて、是非とも、東京方面からこの小原本陣まで来て、そのまま山梨方面まで行きたいものである。
 

  
   秋晴れに
     したにー、したにー
              練り歩く


   赤とんぼ
     馬の後ろに
         お侍

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