令和4年7月2日(土)「鎌倉探求散歩 大船から鎌倉への道」のツアーに行ってきた。千ちゃんがたまたま見つけてきて、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目されている鎌倉で、私たちがあまり行ったことがない所を巡るというので、参加した。
この日は週初めに梅雨が明け、気温が35度越えの猛暑日で、帽子や水分、首回りと暑さ対策をして出かけた。市街地を歩くのはさすが苦しかったが、鎌倉の切通やお寺の高台は風が通って、暑さが少しは和らいだ感じだった。
まずは「大船」10時集合。そこから鎌倉道とかを歩いて、「常楽寺」へ。
このお寺は、1237年北条泰時が開基したという。大河で頼朝と対立した「木曽義仲」の長男「木曽義高」(大姫の許嫁)のお墓もあった。近くには宮姫の祠があり、はっきりとは記さないが、大姫のお墓ではないかと言っていた。
次に、念願の「高野の切通し」と「長窪の切通し」
人がやっと一人通れるくらいの道幅のところがあったり、出てきて後ろを振り返ってもどこから出てきたのかわからない感じで、そこに住んでいる人でなければ使えないところだったのではないかと思った。だからなのかもしれないが、鎌倉時代から800年もたっているのに、昔のまんまで残っている。凄ーい!
切通を出てきたら、大船観音が向こうのほうに見えた。
歩いて北鎌倉駅のほうへ行く。駅には夏目漱石の小説「門」という名の喫茶店があった。
次に、「円覚寺」へ
1282年創建、開山は無学祖元、無学というのは学が無いという意味ではなく、もう学びつくして、学ぶものがないという、お坊さんの最高位名前なんだそうだ。開祖は北条時宗。元寇の戦没者供養のために建てられたという。関東武士(坂東武者)の勇ましい戦い、(神風で勝ったとばかりは言えない)の記録もあるそうだ。
そして 「建長寺」へ
1253年創建、開基は北条時頼、
閻魔様で有名な「円応寺」へ
最後は、鶴岡八幡宮で解散となった。
暑さとの戦いであったが、こうやって好きな歴史に少しでも向き合えるのは、嬉しいことである。
この日は週初めに梅雨が明け、気温が35度越えの猛暑日で、帽子や水分、首回りと暑さ対策をして出かけた。市街地を歩くのはさすが苦しかったが、鎌倉の切通やお寺の高台は風が通って、暑さが少しは和らいだ感じだった。
まずは「大船」10時集合。そこから鎌倉道とかを歩いて、「常楽寺」へ。
このお寺は、1237年北条泰時が開基したという。大河で頼朝と対立した「木曽義仲」の長男「木曽義高」(大姫の許嫁)のお墓もあった。近くには宮姫の祠があり、はっきりとは記さないが、大姫のお墓ではないかと言っていた。
次に、念願の「高野の切通し」と「長窪の切通し」
人がやっと一人通れるくらいの道幅のところがあったり、出てきて後ろを振り返ってもどこから出てきたのかわからない感じで、そこに住んでいる人でなければ使えないところだったのではないかと思った。だからなのかもしれないが、鎌倉時代から800年もたっているのに、昔のまんまで残っている。凄ーい!
切通を出てきたら、大船観音が向こうのほうに見えた。
歩いて北鎌倉駅のほうへ行く。駅には夏目漱石の小説「門」という名の喫茶店があった。
次に、「円覚寺」へ
1282年創建、開山は無学祖元、無学というのは学が無いという意味ではなく、もう学びつくして、学ぶものがないという、お坊さんの最高位名前なんだそうだ。開祖は北条時宗。元寇の戦没者供養のために建てられたという。関東武士(坂東武者)の勇ましい戦い、(神風で勝ったとばかりは言えない)の記録もあるそうだ。
そして 「建長寺」へ
1253年創建、開基は北条時頼、
閻魔様で有名な「円応寺」へ
最後は、鶴岡八幡宮で解散となった。
暑さとの戦いであったが、こうやって好きな歴史に少しでも向き合えるのは、嬉しいことである。