wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

足柄峠・・ここは江戸時代前の幹線街道だった。

2011-10-16 10:43:17 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
平成23年10月9日(日)三連休の真ん中、一年前に行った「県立博物館」で、学芸員の方が「源頼朝がこの足柄峠を通って挙兵した」ということを言っていたのを覚えていて、当時は東海道は整備されてなく、この足柄峠がある今でいう東名自動車道が近くを通っている方が幹線街道だったようで、その道を見たくなったので、行ってみる事にした。

朝8時頃、車で246号線を西に向かう。

途中、矢倉沢というところで、看板を見ると、この辺は「足柄山の金太郎(別名坂田金時)」の生誕の地だそうで、生家跡や遊んだ岩があるというので行ってみた。鬼退治で有名な源頼光が国司として関東に来た折、その帰りに足柄峠でこの金時を見出したと書いてあった。

   


金太郎の生家跡近くから見る矢倉岳は、きれいな稜線を携えていた。金太郎は幼少の時から、あの大きな岩と格闘しながら、きれいな矢倉岳に見守られていたのであろう。



それからしばらく足柄峠に向かって走っていくと、車道はきれいに整備されているが、脇から獣道っぽい足柄古道が見え隠れする。

   


昔の人はこんな険しい道を、上ってきたのである。そういえば、自転車で上っている人が随分いたっけ。現代の苦行である。

足柄峠に到着。そこには足柄関所跡があった。新聞によると「関所といえば箱根の関所が有名であるが、奈良・平安時代の官道は足柄道だったという。関東地方の古名を坂東というが、この坂とは、足柄峠の坂で、ここの関所から東が坂東というようになったのだという」と、書いてあった。なるほど。

そしてこの足柄の関所跡にはなぜか黒澤明監督の「乱」で使われて城門が置かれていた。

   



どうも調べてみると、源頼朝は関東武士団を率いて、平惟盛を迎え撃つために挙兵し、この足柄峠を通って、伊豆や駿河で戦ったようである。俗に言う「富士川の戦い」である。まだ、壇ノ浦の戦いの前で、鎌倉幕府を開く前でもある。

ちなみに、源頼朝は若い時、伊豆のひるが小島に流されていて、その監視役として北条時政があたっていた。その時政の子が政子である。その時に、知り合って結婚したのである。驚いたことに、東海道珍道中で歩いていた大磯や小田原にあだ討ちで有名な曾我兄弟のお墓があったり、十郎と付き合っていた絶世の美女である虎御前の使っていた井戸を見たりして、親近感を持っていたが、その曾我兄弟の烏帽子親がこの北条時政であったことを知り、はたまた驚愕の思いであった。

また、この足柄峠は豊臣秀吉は足柄城を攻め落としてから小田原を攻めたというので、また驚く。

その足柄城跡は、足柄峠から少し上ったところにあって、そこは平になっていて芝生が敷き詰められてあった。高台からの眺めは素晴らしく、遠くに富士山や御殿場の市街地も見えた。雲がなければ、そこからの富士山は絶景であったろうと思われるが、残念なことに、雲が富士山を覆ってしまい、頂上が少し雲から出て、見えただけであった。
聞いたところによると、ここからの富士山の景色が昔のお札に使われていたのだそうである。
  


近くに万葉公園というところがあり、そこから名前を取ったのか、万葉うどんなるものを食べた。名物が余りないのか、そこは意外とひっきりなしにお客さんが入っていた。味はまあまあ。

帰路、そのうどん屋さんで、芭蕉の句碑の場所を教えてもらい、行く。実はうどんやさんに入る前に、随分探したが、見つからずにあきらめてうどんを食べた経緯がある。
芭蕉の句碑は、幹線道路の脇にちゃんとあった。


コメント (13)
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日本のナイアガラの滝と碓氷峠へ

2011-10-02 11:39:03 | 旅行記
 平成23年9月25日(日)秋晴れの中、群馬方面に行ってきました。実は同じ関東平野にあって実際には、余り行ったことのない場所なのです。

 朝7時半、三男が柔道の練習に行くのと同時に私たちも家を出る。日曜日の朝ということで道も余り混んでなく、あきる野インターから、はじめて乗る圏央道に入る。サマーランドが近くにあって、昔、波が出るプールが面白くて何度か連れて来てもらったなーとしばし感慨にふけった。

 鶴ヶ島のJICから藤岡JICに行き、関越自動車道に入って、沼田インターを目指す。そのインターに行くまでに、東側に赤城山、西側に榛名山が見えていた。とはいうもののたくさんの山が連なっていて、どれがとははっきりと分からなかった。

 そして、沼田インターを下り、日本のナイアガラといわれている、吹割の滝へ行く。
台風の影響か水量が多くて、半端じゃなく激流で思わず体が引き込まれてしまうんではないかと少し怖くなったくらいである。滝は、確かに割れ目に左右から川の水が流れ落ちていく感じで、すばらしい景観であった。 
          

芭蕉も来た事があるらしく、「桟(かけはし)や 命をからむ うたかずら」の句碑があった。山が険しく、歩くのに植物のかずらの蔦が助けになったのだろう。

また、川の中に大きな浮島があり、そこには、川の両端から橋がかかっていて、そこに設置されている観音様を拝むことができた。この観音様は日光の眠り猫等を彫った左甚五郎の作と説明書きがあった。こんなところにも歴史の共通事項が見出せた。

昼にそばを食べたが、たぶんここで作って切ったんだろうが、太さがまちまちで、太いのはまだ硬い、細くて短いのはこしがなくて・・・、家庭的なそばでした。

ここまで来たのだから、沼田城を見ようということで、行く。戦国時代は関東平野は小田原北条氏が領地としていたがここは関東のはずれでもあるのでいろいろな武将が利権を奪い合った。上杉から武田、武田から真田になったらしい。徳川家康の時代は真田の兄真田信幸が安住した。ちなみに真田の父と弟の幸村は長野の上田城だった。

沼田城址は公園なっていて、広い芝生のところは野球の試合をやっていた。隣は緑に囲まれた憩いの場になっていて、本丸跡地にはお城の瓦等が出土されていて、それが上田城出土瓦と酷似しているということが、書かれていた看板があった。
            

ここからいよいよ私が一回は行きたかった長野と群馬境にある碓氷峠に行く。

一年前に読んだ本で、いたく感動した、百田尚樹の「影法師」がある。武士の時代の話だが、自分を犠牲にして、藩のために、そして友のために友には分からないように立ち回り救った、ひとりの名もない剣の達人、磯貝彦四郎の物語である。その最後にこの碓氷峠で友を討ちに追いかけてきていた刺客を先回りして、やっつける。自分はそのまま藩を脱藩して放浪のたびにでる。物語では追分の宿から先に碓氷峠にやってきて、そこで待ち伏せして討つ。
その舞台がどんなところなのかずーと気になっていたので、心がワクワクした。

碓氷峠は群馬からだと獣道になってしまっているということで長野から回って旧中仙道に入る。軽井沢を通ったのだが、最近何回目かのブームになっていて、道路も街中もすごく混んでいて、特に軽井沢銀座は人がひしめくほどの賑わいであった。驚いた。道路も車がすごい列になっているところもあって、これをまた戻るのかと思ったら、気がめいる。

峠は山の一番高いところで、熊野神社が建っていた。その向かいには茶店があり、そこが、丁度県の境にあたっていて、看板がかかっていた。熊野神社や茶店を通り過ぎ、奥に進むと、車が通れないような細く木が茂った昔の趣がある道に突き当たる。昔はどこもこんな道だったのであろう。
    

高崎の方の宿は調べておいたけれど、そこに行くための道がいたく込んでいたのを来る時に知ったので、夏に体験した道の駅での泊を選択した。

途中めがね橋の案内板があったので、寄ってみることにした。
             
       
みょうぎの道の駅にいく途中に、偶然にも峠の湯があったので、そこでお風呂に入り、
旅の疲れをとり、身体を癒す。その峠の湯で、映画「人間の証明」で歌ったジョー中山の「お母さん、あの黄色い帽子はどこへいったんでしょうね」の舞台はこの碓氷峠ということが分かった。西条八十の「帽子」という詩を英訳して歌ったそうである。
 
道の駅みょうぎでは、20歳代の人たちが車談義?をしているみたいだったが、気にせず、途中コンビニで買ってきた(やっと一軒あって、そこを逃していたら夕食抜きであった。)おにぎり等を食べて寝袋で寝る。

途中3時頃、話声で目が覚める。何と主人が人生初の職質を体験していた。最近家出人が多くて、声をかけたと言っていた。車のナンバーが相模であるし、不審に思ったのであろう。免許証から照会をかけて事なきを得たが、夏の真っ盛りであればこんな車がたくさんいるからいいが、一台だけだと心細いと、感じた。
     

 朝起きて、近くの妙義神社に行く。由緒あるところらしく、皇室の人たちがお参りするところらしい。マンジュシャゲが鮮やかな赤を打ち出していた。
   

ここまで来る途中に、富岡という地名が。近代日本の発展を担った「富岡製糸工業」の場所である。そこによってみようということで、行くがまだ時間が早くて中に入ることはできなかった。
    

妙義を早く出たので、お昼過ぎには自宅に着いた。
上信越自動車道から圏央道に入り、八王子から町田を通ってきた。

車で行くとこんなに簡単だが、昔の人はこれを歩いて行ったんだから、頭の下がる思いである。

また、こういうことができる幸せに感謝して、今回も筆をおこう。
コメント (8)
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