18年にもなりますか

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一所懸命のひととそうでない人と

2005-05-05 22:26:46 | 社会・経済
 尼崎列車脱線事故の当日に、ボウリング大会が開催されていたというお粗末な事態にさすがの社長も怒りのもって行きようがなかったに違いない。

 一部の例外を除いて、やはり企業の幹部になる人間は仕事に対して大変まじめだし、真剣である。特にこういう事態では社員一人一人がどのように動くべきかについての認識の差が大きく出るのである。よもや社内の催事などはやっておらないだろう、全社一丸となって負傷者や関係者への対応に当ってくれているであろうという社長の希望をよそに、社内の行事で3次会まで繰り出した者もいるという本当に情けないと言う気持ちであっただろう。

 マスコミらはJR西日本の企業体質だとか、営利追求だとか、新型ATCの設置の遅れだとか、秒単位の管理だとか、いろいろ好き勝手に騒いでいるし、テレビインタビューにJR西日本の現役運転手などが出ているが、企業は一人一人の社員からなっているこをともう一度認識しなければならない。確かに責任は社長や重役が取ることになるだろう、しかしJR西日本を作っているのは、間違いなく、全社員なのであることを忘れてはならない。組合員であろうとなかろうと、一切関係ない。どういう指導を受けてきたかなどもそんなものは一切関係ないのだ。社員であるかぎり他人にも被害者にもなれない。例え自分が起した事故でなくてもあきらかに加害者なのだ。

 どんな仕事であっても、働くということのなかで大切なのは、自分たちの仕事に誇りをもって、そのプライドに恥ずかしくない仕事をするために一所懸命にやることである。妥協という言葉はないのだ。妥協したら未来は無い。個人であっても会社であってもそうだ。

 1秒単位での遅れやオーバーランを繰り返さない為に社員同士がお互いにやるべきことはなかったのか?30代の中堅社員が居ないことで技術や技能が伝えられなくてそのままにしていたのは、会社なのか現場なのか?異なる車掌区だから関係ないのか?などどこか、妥協や言い訳をしていなかったのか?本当に人や自分の子供に自慢できる立派な仕事をやっているという誇りはもっていたのだろうか?JR西日本が本当に生まれ変わりたいのなら、それは社長だけの努力ではムリである。社員ひとりひとりが本当に心の底から今回の事件は自分も責任の一端があるということを理解しないとスタートさえできない。


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