夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

日本の技術力・・・(職人力)

2010年02月14日 15時26分31秒 | 日記・エッセイ

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技術力と云うと自動車、造船、建築、パソコンなどの”もの作り”とおもいますが、広い教義では農業、美術、文学、等の芸術、美容、料理、などと幅が広いと思います。以前の日本の技術力と現代の技術力を考えますと目に見えない処で白蟻が巣食うが如くだんだんと地盤沈下していると感じています。最終的に作品の完成度を見分けるのは道具そのもので無く職人などの人の感性であります。せっかく何世代も培ってきた技術を次の人にバトンタッチできない時代となりました。たとえば農業の最先端、バイオテクノロジイーなどの技術は進んでいるように思えますが、実際にそれを活用、運用するのは農業に携わる人であります、絶対的に農業に携わる人が減少しているように、頭だけが膨らみ足腰が無い状態は農業(技術者)ではありません。職人は自分の心に理想を掲げおのれ自身の全ての能力を最大限に活用し妥協を許さない姿勢であります。奈良の法隆寺が飛鳥、奈良、平安、江戸、明治から現代へと脈脈と培われ受け継がれた精神と技術力のように、日本人の感性とオリジナリテイーを、引継ぎそれを土台とし飛躍することが本当の意味での技術革新だと思います。温故知新という言葉がありますように、過去の日本が生き生きとしていた良き親子と郷土との絆の基盤の上に親方(会社)と職人(社員)と上司と部下いう絆が出来、このように一致団結したところに良い“もの”が完成し、戦後の繁栄につながったと思います。決して末端の人々の同士だけの団結で技術の伝承は出来ないと思います。ドイツの徒弟関係がまだ生きているように、もう一度今まで磨きあげた、良き日本の姿を思い起し眼前の利益を追う事無く、人と人の絆を大切にし親方(会社)を愛し、また“仏が一人残らず救い賜うが如く”弟子(社員)の全てを守る心構えが大切だと感じます。

このような精神を現代に活かす知恵が必ずあると思います。そうで無ければ日本の真の意味での技術の向上と未来は開けないと思います。

”私たちの祖先がもっていた長所は、古きものを崇敬することでなく、現代の瞬間を尊ぶ点にあった筈である。”           コンコードの哲人 エマソン