夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

光と影

2008年03月18日 20時36分21秒 | 日記・エッセイ

昭和48年北白川銀閣寺の近くの産婦人科で次男坊を出産、その医院で乳揉みの小母さんさんから奥様の乳はさらさらとしていて素晴らし乳ですよと誉められました。

日本仏教界に多くの逸材を生んだ霊峰比叡山より吹き降ろしの風をあびながら、北白川の風情、人情を身近に感じ、帝の居ましたかっての都、京の夢を想い、自分自身の傷を胸に刻み、彷徨う日々に追われ、求める真理が何なのか、母を求めて、魂の底から叫びなら・・・・・・

静かに佇む流れに、架かる宇治橋を渡り平等院の近くの、生長の家の宇治別格本山で親子3人で参加した宇治別格本山練成会。

また始めて新幹線にのり、清らかな渓谷を経てキャベツの美味しい信州松本に行き参加した信濃練成会。

岡崎の教化部で奥様と共に通った早朝神想観。

真理を求めて奥様と共に悩み、歩んだ道のり。

谷口雅春著 真理より

あなたは自身を「神の子」だと信じなさい。これを信ずれば、その信ずる通りに、神の子らしい立派な自分自身があらわれて来るのです。キリスト教の人ならば、人間は神に創造られた、神から生まれた云うので「神の子」だと云うことがおわかりでしょう。仏教の人ならば、法華経にあるように「自分は仏子である」と信じなさい。仏の子だから常に仏に守られていて幸福になるより仕方がないと信じなさい。

そうすれば信ずる通りになれるのです。