夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

愛するものを一遍捨てなければならないのです。・・・すべてを捨て得るものは生命の泉を得る。

2018年03月20日 23時42分07秒 | コラム・人文
冷たい春の雨、花の便りが聞かれるようになりました。

春野菜も春の息吹をうけ健やかに生長しています。

天地の循環の有り難さにただ感歎するばかりです。




生命の喜び

生々流転の世界のひと時を彩る花々、

大地に根つく青麦をふき貫けるいのち風、

雨上がりの水辺に、いと細き柳葉のしなやかさ、

麗らかな春光を浴び、睦みあう生きものたち、

温かさは喜びを招く、明るさは安心を招く、

優しさは平安を招く、真理は永遠の糧を招く、

羽ばたく勇気は未来を開く、

祈りは希望を叶える。

すべてを捨て得るものは生命の泉を得る。

無条件の愛はすべてのものに生命を与える。




獅子児を教う迷子の訣。

前まんと擬して跳躑(ちょうてき)して早く翻身(ほんしん)す。

端(はし)無く再び叙(の)ぶ当頭著(とうとうじゃく)。

前箭(ぜんせん)は軽く猶お後箭(こうせん)は深し。


                           無門関

獅子は愛児を千汊の谷に突き落とすのです。

人間も絶対絶命の境に立たされたときに本当の力が出るのです。

獅子が児を教えるのに先ず、迷っている児と一遍別れなければならない。

迷っている児をそのまま可愛がって置いていたならば、

本当にその迷っている児を悟らしめることが出来ない。

愛するものを一遍捨てなければならないのです。



『注』
跳躑(ちょうてき)・・・踊り飛び上がる。
翻身(ほんしん)・・・早く身をひるがえす。
端(はし)無く・・・思いがけずも。
当頭著(とうとうじゃく)・・・頭をぶっけること。
前箭(ぜんせん)は軽く猶お後箭(こうせん)は深し・・・

      獅子の児を一度目は可哀想そうな気がして軽く突き放つけれども

      二度目は前よりもひどく突き飛ばすこと。