夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

心の完全解放の為に・・・一切の赦しと一切の感謝。

2018年03月10日 20時33分07秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
講習会への決起集会を終えてホームセンタ―に立ち寄ると

園芸売り場に同僚の看護師さんが来ていました、

家庭菜園ですかと尋ねると、

いや花です!

と返事が返ってきました。

今日は心が開放されるような温かい日でした。

白モクレンもいよいよ蕾がふくらみ

開花まであとひと息です。


本当の『神愈』は神と和解しなければ得られない。

神に和解するとは、

全き信仰をもって神の愛を信じることである。

神は完全であることを信じることである。

神の造りたまいし世界に

『悪が存在しない』ことを信じることである。

不安があるのはまだ神を本当に信じているのではない。


既に赦されているのである。

『汝の罪赦されたり、立ちて歩め』と云うのは

キリストが2千年前のみに言われた言葉のみではない。

常に神は吾々にむかって

『汝の罪赦されたり、立ちて歩め』と仰せられているのである。

此の言葉を信じるものは幸いなるかな。


汝の罪は赦されているのである。

されば吾もまた神が吾を赦したまいし如く、

すべての人の罪をも赦さねばならない。

一切の怒の思い、一切の怨みの思い、一切の憎しみの思いを、

『愛』と『赦し』とによって置き換え、

更にそれを『感謝』によって光を点じなければならない。





『無からの創造』の存在論と『善の欠如としての悪』という倫理学の関係



近代思想では『自然法則』と『倫理法則』、『物理的なもの』と『道徳的』なものを

異質な存在様式をもつものとして分けてしまいますが

古代思想の世界では両者は理論的に分離されていないのです。


ユングが重視している倫理的基本命題は

『悪とは善の欠如である』という。

『実体としての悪』は世界(現象的世界だけでなく、霊的世界も含む)には存在しないということを意味している。

簡単に言えば『悪とは本来存在しない』ものであるということである。

此の定義と表裏一体の関係があるのが『神は最高善』であるとする定義である。

最高善というのは、悪の要素を一切含まない『純粋な善』である。

神の被造物としての世界には実体としての『悪』は存在しない。