夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

『存在するもの』・・・其の時間・空間的拡がり

2018年01月12日 21時58分39秒 | 真理の言葉
外に出ると青空が冴えわたり足元はバリバリと凍りつき車も凍りついている!!

慌てて車にエンジンをかけ暖めてから出勤しました。

職員の駐車場には既に沢山の車が停まっていましたので積雪対策の為に昨日から泊り込んでいたのだなと?

業者の配送も昨日の夕方前倒しで配送すると連絡が入っていました。

沢山の外来、入院患者さん達を見守る為に病院のシステムは24時間体制で動いています。

どれ一つ欠けても大変な事になります。

病院の理念も『仁愛』と掲げてあり、安全の確保が第一であります。

雲仙の火砕流、JRの特急列車の転覆事故の為の患者さんの受け入れ、

台風により道路の浸水等 色々な事がありました。

世の中何が起こるか解かりません。

その度にヘリ発着の設備、電子カルテ、システム等が進化して来ました。

患者さんにとってはかけがえの無い人生であります。

その患者さんの様々な『人生の思い』を受けとめ、

その『思い』に答える為に病院は日々努力、精進して進化しています。



存在するもの』・・・其の時間・空間的拡がり

存在するものはただ持続するもの、空間的な拡がりをもつものと、解すべきものであると思う。

個々の木や犬のみが厳密な意味で存在するものである。

諸君はここまで読んで来られて、『そうだ、それは正しい』と思われたであろうか。

それならば諸君は『唯物論者』である。

そして多くの人々は『唯物論者』なのである。

個々の木や犬は、持続するか。

いつまでも続いているか、それを私はききたい。

百万年続いている木はないし、千年も百年も生きている犬はいない。

それは持続しないから存在しないということになりはしないか。

その拡がりもあるように見えていたが、今はその拡がりも持続していなから、

持続していない拡がりである現実の木や犬は本当は存在しないのではないか。

かくて物体の一定の形は、エネルギーの在る力のあらわれであって、存在するものは唯エネルギーのみであるとも言える。

エネルギー原子量の一定順序による各原素の排列や、色々の複雑な生命体や、

美しい花の構造などが、このエネルギーの力で保たれ、つくられているとするならば、

このエネルギーは知智性ある力であると言う事が出来る。

知智性ある力を『心』又は『神』と私達は呼ぶのである。