夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

丑三つ時のお参り・・・大信心は仏性なり、仏性即ち如来なり(親鸞上人)

2018年01月01日 13時32分07秒 | 日記・エッセイ
新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い申し上げます。


元旦の神社参拝だけは『草木も眠る丑三つ時のお参り』に

沢山の人々が列を連ねて粛々と祈り捧げています。

『明るい希望に満ちたポジテブな祈り』が、

橋姫物語等で暗いイメージが漂う

『ネガテブな丑三つ時の祈り』に打ち勝つからでしょう。

鳥居の上には満月のような丸いお月さんが、

漂う雲のあいだに輝き出で、新年を祝福しているようでした。

10代、20代の若い人々のお参りが多く。

団塊の人々が少ないことに驚きました。

若い人々が肉眼では感じられない無形なるものに対して

頭を下げ礼拝する姿には感動しました。

神に礼拝する人々の背中は尊いすがたでありました。



大信心は仏性なり、仏性即ち如来なり

凡夫が信心を起すのではなく、

信心が発するのであります。

『信心みずからの心』が他力(阿弥陀如来)によって発現するのです。

信心が自らの『自力』で起きるのではなく、

どこまでも阿弥陀如来の力である他力で起きるのです。


私の実相は霊であり、

聖なるものであり、

久遠なるものであり、

不滅なるものであり、

病まざるものである。