夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

脳髄を破壊すれば精神力はあらわれなくなる。

2018年02月26日 23時02分30秒 | 真理の言葉
すべての事は吾が為すのではなく、

神の御心が為すのである。

神の御心の如く生きよ




精神力はおおむね本源の力(神の力)を指すものではない。

精神力が第一次的生命ではない、

それは脳髄を破壊すれば精神力はあらわれなくなるので明らかである。

精神力が消えようとも、

脳髄を創造した『神秘者の力』は消えるものではない。

だから精神力が現われる前に

『神秘者の力』により脳髄は創造されたのである。

脳髄から出でた精神力は、

生命の最前線にたつ先遣隊のようなものである。

しかし先遣隊(精神力)といって軽んじてはならないのです。

先遣隊(精神力)の案内するところに

本隊(神の御心)が導かれて行くからです。



御子の権威

そこでイエスは彼らに言われた。

『子は父のなさることを見なければ、

自分からは何事もできない。

父がなさることはなんでも、

子もそのとおりにする。

父は子を愛して、

御自分のなさることをすべて子に示されるからである。

またこれらのことよりも大きな業(わざ)を子にお示しになって、

あなたたちが驚くことになる。

すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、

子も、与えたいと思う者に命を与える。

また、父はだれをも裁かず、

裁きは一切子に任せておられる。

すべての人が、父を敬うように、

子をも敬うようになるためである。

子を敬わない者は、

子をお遣わしになった父をも敬わない。

・・・・・・・・

わたしは自分では何もできない。

ただ父から聞くままに裁く。

わたしの裁きは正しい。

私は自分の意志ではなく、

わたしをお遣わしになった方の御心を行うとするからである。

ヨハネによる福音書  5.19~30







『神を信じること』とは、また言い換えると『本当の信仰』とは如何なることか!

2018年02月24日 22時46分43秒 | 真理の言葉
多良岳に春霞がかかり、春のおとずれを感じる一日でした。
 
信仰仲間の自宅で真理の勉強会でした。

今夜はイギリス戦!

『カーリング女子』のことで意気が上がっていました。


『神を信じること』とは、

また言い換えると『本当の信仰』とは如何なることか!

神が現われると善となり、

義となり、

慈悲となり、

すべてのものが

調和ある世界が現われることとなります。

故に火にも焼けず、

水にも溺れず、

天地の何処に置かれていても

人間は自由自在な『神の子』であり、

神のすべての恩徳を享け継いだ

『素晴らしい本性』を持っていることを信じることこそが、

恐れの無い金剛不壊の世界を

得ることが出来るということであり、

そのことを把持し

そして信じることが本当の信仰である。










白い綿帽子の紅薔薇さん・・・平安な心に至る道しるべ (其の1)

2018年02月12日 21時34分04秒 | 真理の言葉
午前6時半頃、玄関前に出て積雪の有無を確認した時には

ほんの薄っすらとしか積もっていませんでしたが、僅か1時間程で真っ白に雪が積もりました。


自然界の現象は時事刻々変化して往き、

幻の如く過ぎ去って往きます。

心もその自然界のように変化して、留まることがありません。

では常に心を静かに平安に保つには如何にすればよいか、

言い換えると『心を自由自在に支配する』には如何に処すべきかが問題なのです。

もし心を自在に支配することが出来るならば

喜びと、健康と、富と、平和とを常にもたらしてくれる事となります。



お釈迦様は、人間はすべて『仏の子』であると説きましたが、

法華経の『仏説観普賢菩薩行法経』に

人間本来の仏性を顕現する方法を説きました



佛、阿難に告げたまわく、・・・・・

普賢の行を学し、普賢を行ぜんと欲する者の為に、

我今當(まさ)に其の憶念の法を説くべし。

若しは普賢を見、及び見ざる者の罪數(ざいしゅ)を除去(じょきゃく)せんこと、

今汝等が為に廣(ひろ)く分別すべし。・・・・・


世尊、而も偈を説きて言(のたま)はく

・・・・一切の業障海(ごっしょうかい)は、皆妄想より生ず

若し懺悔せんと欲せば、端座して実相を念(おも)え

衆罪は霜露(そうろ)の如し、慧日能く消除す



哲学(metaphysics)という言葉はphysics(物理学)と云う言葉に

Meta(超越する)と云う言葉が結合されている。

それ故に哲学は物理学的なるもの以上のものを意味しているのです。


『心』で念ずる想念(ことば)は

一切のものの原因であり、

一切のものはその結果である。

仏教では『三界唯心』と言われ三界(欲界・色界・無色界)の

あらゆる現象はただ『ひとつの心』から現れ出でたものであり、

心を離れては一切のものは存在しないということ云われています。



『注』

普賢・・・仏の慈悲のきわみ。普賢菩薩は慈悲をつかさどり給う菩薩ゆえに
     大悲の行を修するをみな普賢という。

憶念・・・心に念じ、常に思い出すこと。思いつづけること。

罪數(ざいしゅ)・・・ 殺生・妄語・迷妄等の悪行によって生じた苦しみ。

分別・・・人々に理解させるように外見の事物にとらわれないように、

     妄想、実相(本当の姿)とを分けて説く。

業障海・・・悪行によって生じた障害、成仏をさまたげる悪行の世界。

      仏法に入る機縁が熟さない業。

妄想(もうぞう)・・・真実でないものを真実であると誤って考えること。

           ないものをあるとする想い。

慧日・・・太陽のごとき知慧。仏の知慧の無限大なことを、日光に喩えていう。
     
     知慧の日光(法華経)。







   

想念の性質・・・其の三 謙遜の美徳

2018年01月18日 23時46分41秒 | 真理の言葉
壮年層の仲間達の研鑽会でした。

やはり若い人は清々しいです。

そして鋭敏な心で真理の呑み込みが素早いです。

たたけば響くとは此の事です。

若いことは素晴らしいですね!




想念の性質・・・其の三 謙遜の美徳


物質宇宙の背後には大生命なる宇宙霊があるのである。

吾々の『真実の自我は』その精髄において宇宙大生命と一体であり、

宇宙大生命と吾々の『生命』とは一体である。

この自覚を得た程度に応じて、私たちの内部にある霊的な想念の力を応用すれば、

宇宙霊が想念の力によって此の宇宙を創造したと同じような意味において

創造力を発揮し得る筈である。

鋭敏な感受性を持っている人たちは不幸な人たちと考える人々もあるが、

内在の神性から来る魂の高き衝動にも感応し易いし、

外界から来るすべての一層高き霊波や精神的影響力をも鋭敏に感受することが出来ることは幸福なことである。



まことに汝らに告ぐ、

もし汝らひるがえりて幼児の如くならずば、

天国に入ることを得じ。

されば誰にてもこの幼児の如く

己を卑(ひく)うするものは、

これを天国にて大いなるものなり。


          マタイ伝 第十八章 3-4










霊魂の存在・・・『宇宙の大生命』と『吾々の生命』は一体である。 其の二

2018年01月17日 21時26分47秒 | 真理の言葉
霊魂の存在・・・『宇宙の大生命』と『吾々の生命』は一体である。 其の二

六階は窓を閉めた部屋よりも窓を開けたほうが、

温かいという不思議さを看護婦さんがつぶやいていました。

それほど今日は温かかったです!!

全館の空調が一定の温度で管理されているからでしょう。





私達は『霊』の存在を認めるか否かによって生きて行く上で大きな違いが生じます。

もし霊的な存在を認めないであれば、人生は肉体が滅びると共に

その人の愛・個性及び価値、感性、心根も永遠に失われる事になり二度と還ることはありません。

例えば一本のマッチ棒を燃やし切ったならば炭となり、

やがて土にかえりもう二度とそのマッチ棒としての存在は還らぬものとなります。


人間の生命がマッチ棒の様なもろい、頼りの無い儚い『物質』であるとするならば、

人類が是まで叡智を傾け努力、精進をして切りひらいたこの素晴らし世界は

マッチ棒のような儚い『物質の力』で出来上がったのでしょうか!



これは人類が持ち合わせている『想う心』或いは『想念』という力を働かせて偉大な偉業を成し遂げたのです。


このような肉眼のような五感では観じることが出来ない『心の力』・『想念』を『霊的生命』とよんでいます。
 
この『人間の霊的生命』は、宇宙の『大生命の霊的生命』と本質的には同一のものであります。


花が美しいと感じることは、花の生命と自分の生命が一つであるからなのです。

夜空に煌く星に悠久を感じるのは、星の生命と自分の生命が一体であるからです。


宇宙の大生命の霊的生命を『神』と称します。

想念の力=『霊的生命』を『霊』又は『霊魂』といったりします。



光明主義の人生観の持ち主は、

事物を偏って見ないで、

十全の相において観、

それを正しい関係において見る。

         R.W.トライン







『存在するもの』・・・其の時間・空間的拡がり

2018年01月12日 21時58分39秒 | 真理の言葉
外に出ると青空が冴えわたり足元はバリバリと凍りつき車も凍りついている!!

慌てて車にエンジンをかけ暖めてから出勤しました。

職員の駐車場には既に沢山の車が停まっていましたので積雪対策の為に昨日から泊り込んでいたのだなと?

業者の配送も昨日の夕方前倒しで配送すると連絡が入っていました。

沢山の外来、入院患者さん達を見守る為に病院のシステムは24時間体制で動いています。

どれ一つ欠けても大変な事になります。

病院の理念も『仁愛』と掲げてあり、安全の確保が第一であります。

雲仙の火砕流、JRの特急列車の転覆事故の為の患者さんの受け入れ、

台風により道路の浸水等 色々な事がありました。

世の中何が起こるか解かりません。

その度にヘリ発着の設備、電子カルテ、システム等が進化して来ました。

患者さんにとってはかけがえの無い人生であります。

その患者さんの様々な『人生の思い』を受けとめ、

その『思い』に答える為に病院は日々努力、精進して進化しています。



存在するもの』・・・其の時間・空間的拡がり

存在するものはただ持続するもの、空間的な拡がりをもつものと、解すべきものであると思う。

個々の木や犬のみが厳密な意味で存在するものである。

諸君はここまで読んで来られて、『そうだ、それは正しい』と思われたであろうか。

それならば諸君は『唯物論者』である。

そして多くの人々は『唯物論者』なのである。

個々の木や犬は、持続するか。

いつまでも続いているか、それを私はききたい。

百万年続いている木はないし、千年も百年も生きている犬はいない。

それは持続しないから存在しないということになりはしないか。

その拡がりもあるように見えていたが、今はその拡がりも持続していなから、

持続していない拡がりである現実の木や犬は本当は存在しないのではないか。

かくて物体の一定の形は、エネルギーの在る力のあらわれであって、存在するものは唯エネルギーのみであるとも言える。

エネルギー原子量の一定順序による各原素の排列や、色々の複雑な生命体や、

美しい花の構造などが、このエネルギーの力で保たれ、つくられているとするならば、

このエネルギーは知智性ある力であると言う事が出来る。

知智性ある力を『心』又は『神』と私達は呼ぶのである。






永遠の生命は死することはない。

2017年12月15日 23時08分12秒 | 真理の言葉
今宵は仲間のお家で真理のお話をさせて頂きました。

話をさせていただく、

聴いていただく、

その法縁を拝ませていただくのでなければなりません。

どんな苦労があっても、因縁によって世話させて頂いていると思えば

有り難いばかりの一筋である。

人間は他のために苦労させられているのでなく、

自分の魂を高め上げ、浄め上げるための修行として

苦労にめぐまれているのである。

と教えられています。

『健全なる人間の理念である実相(本当の姿)』の想念をジーつと心に描いて、

それを観つめているのが神想観なのであります。

『観無量寿経』に示されている『佛心観』や、

弘法大師の教えられた『阿字観』に於いて

大日如来の実相を観ずるのも同一原理であります。

何物も死するものはないのである。

死と見ゆるものはただ其処に変化が起こっただけのことである。

永遠の生命は死することなく、

また新しき形態に出現せんとしつつあるのである。









執着心を放つことは人間にとって最大の課題である。

2017年12月04日 21時52分28秒 | 真理の言葉
北風が吹きぬける日に、奥様の五年目の通院でした。
素晴らしい結果でした。

心が囚(と)われると自分で自分自身を縄で縛るような事とになり、
心の自由が失われ、本来の本当の姿が見失われますが、その囚われている執着心が解き放たれるならば、
自分自身の真実の心が顕われ、その心の反映としてエデンの楽園に住むことが出来る。


山林是れ勝地(しょうち)なるも、一たび營戀(えいれん)すれば、
便(すなわ)ち市朝(しちょう)となる。

書畫は是れ雅事(がじ)なるも、一たび貧癡(とんち)すれば、、
便(すなわ)ち商賈(しょうこ)となる。

蓋(けだ)し、心に染著(せんちゃく)なければ、欲界も是れ仙都(せんと)。

心に係戀(けいれん)あれば、楽境(らくきょう)も苦海となるなり。

中国の光明思想 菜根譚(さいこんたん)

『注』
勝地(しょうち)・・・地形のすぐれた地。景色のすぐれた地。
市朝・・・まちなか。公衆の集まるところ。
雅事(がじ)・・・風雅なこと。
商賈(しょうこ)・・・商い心。
貧癡(とんち)・・・むさぼり欲深く、愚かなこと。

染著(せんちゃく)・・・穢れがなく、執着がないこと。

係戀(けいれん)・・・あきらめきれない心。執愛。






自分自身を普く宇宙に輝く素晴らしい存在であるということを拝み出し、全ての存在を礼拝する『礼拝主義』

2017年12月01日 23時44分22秒 | 真理の言葉
勤務を終え友人宅の先祖供養を仲間と共に、この法縁を結ばせて頂き、御供養を勤めさせて頂きました。
有り難うございました。


誰しも他を拝むのは拝み易いですが、自分自身を拝むのはコンプレックスが禍をして中々素直に拝めないものです。
原罪意識が頭を持ち上げ、素直に自分自身を讃え誉めることが出来ません。
過ぎ去った過去はもう無いのですが、今の自分自身の奥底の心に過去があるのです。
その過去の自分、亦は自覚していない潜在意識のもう一人の自分と仲直りして大調和するには懺悔して和解しなければならない。
そして自分自身に感謝しなければならない。
魂の浄化は消極的には懺悔、積極的には真理を悟るという二つの方法が主として行われる。
人間の本当の姿は無罪であり、如来であり、素晴らしい神の子であります。
この真理を自覚することが魂の浄化につながります。

法華経の観普賢菩薩行法経には懺悔せんと欲せば端座して実相を観ぜよとあります。
静かに座って普く宇宙に遍満する観普賢菩薩と一体となり自分自身は仏であり如来であり、
宇宙に遍満する素晴らしい存在である姿を瞑想することが魂の浄化につながります。
話は長くなりましたが自分自身と和解し真実の自分を見出すには、
自分は善であり神の全ての御徳を享け継いだ神の子であると素直に認めることです。







天命を知る

2017年05月18日 21時13分30秒 | 真理の言葉
生久しく成仏せるに
未だ成仏せることを知らず。

           即身成仏義 弘法大師空海

吾々は既にさまざまな宝物を神から授かり、
神の御徳の凡てを相続した素晴らしい価値ある存在でありながら、
その恩恵に気づいていないのです。
その為にいたずらにネガティブな現象世界の生活に疲れ果てているのです。
有情非情、生きとし生けるもの、有りとしあらゆるものを差別なく、
尽く仏のいのちの顕われとして礼拝する常不輕(じょうふぎょう)菩薩の如く、
これまでの自分自身の人生を尊い仏の生命(いのち)の現れとして
誉め讃え、礼拝し、感謝することが天命を知ることの第一歩となります。









寛容の精神・・・(一水四見の譬え)

2017年04月22日 17時41分25秒 | 真理の言葉
妻の診察時間の待ち時間に近くの山里を散歩しました。
青空がひろがり、斜面にはツハブキが伸び伸びと揺れていました。


寛容の精神・・・(一水四見の譬え)

天人は水を珠玉と見る。
鬼畜は水を濃血と見る。
竜魚は水を宮殿と見る。
人間は水を水と見る。

天人、鬼畜、竜魚、人間というようにそれぞれの類に従って見るところが違うのである。
人間も水を水と見るからと思って他の類族も同じ水と見なければならないと強制することは出来ないのである。
人間のみが水の客観的な真理を知っているわけではないのである。
これを道元禅師は『本水なきがごとし』といわれた。

珠玉でもなく、濃血でもなく、宮殿でもなく、水でもなく、本当の水というものが別にあるわけではなかろう。
もし水の実相があるとしても、どうして人間がそれを知り得るはずないのである。
人間が知り得るのは四類の所見の一つである『水』だけに過ぎないのである。
この思い上がった一人よがりの人間中心主義(ヒューマニズム)の思想が根本になって
人間関係のあいだにも一人よがりの不寛容が出てくるのです。

宇宙が人間のために存在するかのように錯覚したのと同じ原理で、
世界や社会は一集団、一階級、一国家のために存在するかのごとく思い込んで行動する。
そこに、救われ難い、『二つの世界』の争い、相反する葛藤が生ずるのである。

わけても禅の真髄はあきらかに寛容にある。
禅の訓練は惨烈をきわめたものであっても、なお仏陀の慈悲を背負っている。
慈悲とは他者、有情非常有りとしあらゆるものの身になって感じる人間最高の能力のことである。
それが寛容ということの真髄なのである。
 





心の真実をつかむ

2017年04月18日 21時13分09秒 | 真理の言葉
心の真実をつかむ

ながきよの夢を ゆめぞとしる君や さめて迷える人をたすけむ

明恵上人

吾々の生きている世界は今、山々は若緑に染まり、大地には花が輝き、
美しい世界のように感じられいるようですが、
それは時間も空間もまだ顕われていない世界から観ると束の間の夢であり幻であります。
このように人生の浮き沈み、喜怒哀楽、迷い、病気、一切の苦しみ等が現れている、
現象世界は束の間の夢であり幻であります。

人間は霊なり、生命なり、不死なり、神と一体なり。
人間は光明かがやく、神一元、光明一元の世界を貫く霊的実在であり、
永遠なるものである。

軽やかな衣装を着て肥えた馬に乗り、水の流れるように都を走り廻る貴族たちの生活をみていると、
いまはときめいている彼らの生活もやがて雷光のようにまた幻化(まぼろし)のようにはかなく消え去っていくのだと思い、
人生の無常を嘆く心にさいなまされるのです。
また身体(からだ)が不自由な人々や、ぼろをまとっている人々の生活をみては、
人の世の悲しみが心にひびいて何ともいえない苦しみをおぼえるのです。
このようにして私の目にふれるすべてが私の心を仏道に傾斜させ、
私を仏道の道の修行へとかり立ててしまします。
吹く風にも似たこの想いをいったいだれが引き止められましょうか。

三教指帰(さんごうしいき) 弘法大師空海

淳和(じゆうなん)天皇の詔命(みことのり)をうけて十住心についての本書を著しました。
人々が直ちに妄執(まよい)を乗り越えて、心の真実をつかんでもらいたと願っています。
心の霧を払って、明るい光の中で自分の心を正しく見直せば、そこには無数の宝物がつまっているのです。
それに気がつけば、わたしもあなたも、毎日が新しい生活となることでしょう。

秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)弘法大師空海






鶴和尚・・・・・むさぼりの心から放れよ

2017年04月16日 22時03分52秒 | 真理の言葉
鶴和尚

福徳薄くして、貪り、執着(自我)の心で善事を求めることは、その貪欲の心を映して却って足元をすくわれ、良い結果を招くことにはなりません。

鶴勒那(かくろくな)尊者は『いかなれば、わたしの身に、かくも多くの鶴が附いてまわるのでありましょうか』と魔拏羅(まるら)尊者に問うと
お前ははるかむかしの前の世においてすでに坊さんであった。
しかも非常に優れた得道の坊さんであった。
あるときお前は竜宮から招待を受けて出かけることになったのだ。
するとお前の弟子5百人が、われわれもとお前に随従したいと言い出した。

お前は最初、この弟子たちの願い出を許さなかった。
お前は言った『なんじらは、まだ仏法において未熟である。竜宮の大饗応につらなって大ご馳走を受ける資格も力量もまだ備えていない』と

しかし弟子の懇請に負けて竜宮の饗宴に参加させたが、いかにせん彼らの福がうすく、彼らの徳が軽かった。
それを押し切って竜宮の饗宴に参加した因縁により、5百人の弟子は羽毛を生じて鶴となり、
いまもなお生まれ変わり、死にかわりをして、なんじを慕うてなんじに附きまとうているのだ。

鶴勒那尊者は魔拏羅尊者について修行して悟りをひらき、無上の法を得た後、
5百の鶴を深くあわれみ、彼らを羽族の境遇から脱却せしめてやった。


注…釈迦牟尼佛から迦葉尊者、阿難陀尊者と数えて二十三代目が少年聖子と云われた
   鶴勒那尊者である。



『今』の瞬間に、一切を浄めることが出来る

2017年04月05日 20時06分34秒 | 真理の言葉
『今』の瞬間に、一切を浄めることが出来る。

どんなに悪業を積もうとも、『今』この身此のままで、清らかな自分自身が存在している。
過去にさかのぼって、浄めることが出来る。
罪悪という幻から覚める事こそ、真の実在を観ることができる。
自分自身の心の内にこそ、真の宗教的真実の拠り所である。

過去は過去として無い。過去は『今』の中にだけある。
だから『今』の心によって変貌する。
現象では殺生も泥棒も同じことだ。
殺生というのは人の生命をとって、生き物の生命を盗むことであって、泥棒の一種である。
『今』というのは過去。現在。未来の中の現在ではない。
過去・現在・未来を超越して内在する『今』である。
『今』の瞬間に、一切を浄めることが出来る。


帰命無量壽如来
南無不可思議光

無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無し奉る。
『佛如来は来たって来るところなく、去って去る処なく生なく、滅なく過現未来に非ず』。
空間を超越し、生滅を超越したまう、そして過去現在未来を超越したまう、宇宙大生命が法蔵菩薩としてお生まれになった。


        正信偈






変化の中にチャンスあり

2017年04月04日 20時30分29秒 | 真理の言葉
変化の中にチャンスあり

年度替わりは色々と気をつかう事がありますが、
心をリセットして新たなる気持ちで出発する良い機会であります。

恐れずに勇気を持って新しい環境に挑戦しましょう。

神はつねに私とともにあり給い、常に私を護りたまうのである。

私は今、新しき日を迎えたのである。
過去の悪しきもの、好ましからざるもの、見苦しきもの、明るかざるもの、消極的なるものの一切は過ぎ去ったのである。
すでに過去の一切は消え去って、私は新生したのである。
私の心の中には新しく善きもの、好ましきもの、美しきもの、明るきもの、
積極的な想念を神から与えられて新生したのである。