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臺灣旅行三日目

2017年02月28日 13時58分10秒 | 旅先、出張先、その他

臺灣旅行三日目

台北は寒いので暖かい南の高雄 (Gao Xiong) へ。

台北車站(台北駅)へ着いて臺灣新幹線の座席指定券を購入、ホームで新幹線を待っていた時に事件は発覚しました。

持参した " iPad がない!" すぐにホテルへ逆戻り、ちょうど掃除のおばちゃんが部屋の掃除を始めたとのこと。

あった、ありました!掃除のおばちゃんが確保しておいてくれました。

妻は連日の私の失態を決して怒りはしませんが ...

「〇ちゃんも、齢を取ったね。」とシミジミ ... 

駅のホームに戻ると、当然のように指定席券が自由席券になりました。

↓ 台北の駅は地下なので地下の闇の中から新幹線がやってきます。

↓ 気温25度の暖かい臺灣新幹線の南の終着駅「左營」 (Zuoying) でパシャリ!

日本でも最近乗ったことのない新幹線に臺灣で乗りました。

快適!快速!

交通機関は安全が第一!

蛇足;

台中から南側は乗り心地が悪いとの評価ですが、ここの担当は現代建設(韓国ゼネコン)の手抜き工事であったことが公表されてます。

臺灣は日本でいうと九州くらいの広さですが、北と南では気候が全く違います。数年間、臺灣で過ごした私の印象だと、台北の冬は沖縄よりも寒い!台南は冬もほぼトロピカルです。台北と台南は地理的に300kmしか離れていないのですが臺灣の北と南で大きな気候の違いが感じ取れます。

終着 「左營 (Zuoying) 」 で降りてKRT (地下鉄) に乗り換え高雄 (Gao Xiong) 市内へ。

一旦ホテルに荷物を預けて、有名な旗津半島の海産物料理店を目指します。半島とは言え細長い島のためにフェリーでしか行けません。

港まではタクシー、港からフェリーで5分!フェリー料金は25圓 (日本円で90円) です。

フェリーの左の入口からはバイクが乗ります。一階は人がバイクに乗ったままひしめき合っています。

一般の徒歩客は右の入口から二階へ上がります。

なぜか妻はこういう臺灣らしい庶民の風景が大好きのようで時間を忘れて見とれています。

島に着いたら目指すは海産料理店!

あれこれと新鮮な魚介類を好きな料理法で注文します。

料理法の注文は、揚げる、蒸す、炒める、っていう感じで簡単です。詳細はお任せ!

「鴨角海産店」という有名店は新鮮な魚介類で溢れてます。

店で片言ながら日本語が通じます。さすが臺灣!

ほとんど食べつくした後に写真!

妻が「夜はまた小龍包が食べたい。」というので、「はい、仰せの通りにいたします!」

明日へつづく

※ P.S.

今日は二月二十八日、 中華民國臺灣の二・二八事件の起きた日で臺灣では休日となっています。

臺灣の都市にはに二二八和平記念碑や二二八和平公園があります。高雄にもあります。


臺灣旅行二日目

2017年02月27日 13時57分35秒 | 旅先、出張先、その他

臺灣旅行の二日目、昨日のパスポートの件は忘れて名誉挽回のために台北市内を散策です。

新生南路三段に95年前の日本家屋が残っていて、今は茶房として使われています。

紫藤廬 (Wistaria Tea House)

↓ 畳の和室で臺灣茶を頂きました。

お茶のたて方も教えてくれます。

二種類の臺灣茶、「東方美人茶」と「金萱 (Jin Xuan)」を楽しみました。金萱は私が最も好きなお茶で添加物もないのにバニラみたいな芳香があります。

この後、台北101界隈を散歩します。

この付近は高級ブティックが立ち並んでます。けど妻は昔から高級品に興味を示さないのでアイス食べに行きました。冷たい!寒い今日の台北は15度!風も強い。こんな時にアイス?でも有名店なので無理やり食べました。

そして夕方に事件が発覚しました。

予約しておいたホテルにチェックインしようとしたら、ホテルの女性が、

「〇〇さんの予約は来月の今日の日付になっておりますが ... 」

またやってしまいました。

「今日は部屋が空いてる?」

空いてました。よかった。

しかも来月よりも宿泊費が今日の方が安いと、少し返金してくれました。良心的です。

夕食は名誉挽回とばかりに、美味しい臺灣家庭料理「欣葉」(Shin Yeh)へ。

台北市双城街34-1号

ここは美味しくて写真を撮るのも忘れたくらい。

もうほとんど食事も終わりにパシャリ!

臺灣家庭料理「欣葉」 ← クリック

明日は暖かい南へ移動します。


臺灣旅行初日

2017年02月26日 13時28分46秒 | 旅先、出張先、その他

久しぶりの夫婦の旅行初日

単身先にパスポートを置き忘れていることに旅行前日の夜に気付く!

どうするか?考えている暇はない!

取りあえず成田-台北の航空券をキャンセル!

翌朝一番の羽田-関空便と、午後の関空-台北の便をネット購入する。

取りあえずそのまま寝ました。

(凄い大損したかと思いきや?キャンセル便の返金と再予約便の差引はほぼゼロでした。)

バタバタのまま、なんとか夕方に無事に台北に付きました。

実は夕食に台北市内に住む恩師夫妻主催の夕食会があったのです。(大汗"

台北桃園空港に着いて電車に乗っている時間はないのでタクシーで現地へ直行!

いつも長蛇の列の鼎泰豐 (Din Tai Fung) へ。

 

鼎泰豐は予約できないので恩師夫妻と一時間ほど待って入場しました。

この小龍包を恩師夫妻と食べるために来たようなもの。

バタバタしましたが、取りあえず約束は果たせました。

夜遅く北投 ( Bei Tou ) にある温泉旅館にチェックインして台北の北投温泉に浸かりました。

4人くらい同時に浸かれそうな大きな湯船が部屋の中にあって硫黄っぽい温泉でした。

さて明日はどこへ行って何をするかな?

つづく


サバイバル・ファミリー

2017年02月14日 16時45分22秒 | Weblog

映画「サバイバル・ファミリー」見てきました。

この世から電気がなくなった!という話。

我が実家も母が嫁に来たときはランプの生活だったといいますから、我が家の歴史では電気の無い生活はそんな昔のことでもないんです。

日本でも1882年(明治15年)に東京・銀座に灯された日本初の電灯(アーク灯)が灯いたといいますから電気のある生活は近年のことです。電気が使えないと自動車飛行機も電車も水道も電磁調理器、ましてやスマホなど何もかも使えません。

*自動車や飛行機は動くんじゃないの?という意見もありますが、

 宇宙線の影響で電気が全く作動しないという設定なのでしょう。

映画にも出てきますが電気が使えなくなっても蒸気機関車は走りますね!

今は電気の無い生活なんて考えられませんが、電気が使えないとそこらじゅうの電気製品がゴミと化すんですね。

<!-- サバイバル・ファミリー -->

現代の我々が享受している便利な電気製品に囲まれた生活も「砂上の楼閣」なのかもしれません。


高雄 ランタン・フェスティバル

2017年02月12日 17時39分24秒 | 旅先、出張先、その他

今年も仕事でやってきました高雄!夜の徘徊はランタン・フェスティバル!

こんなランタン?が沢山展示されてます。近所の子供達が製作したものが多いです。

左右に傾きながら水陸両用車が河上りしてます。チョット怖くてこれには乗る気無し。

少し歩くと凄い屋台の数!

こんな飲み物買ってみました。

屋台でサトウキビを絞ったジュースです。

飲むと子供の頃にサトウキビに噛りついた記憶が戻ってきました。

人間の味覚って凄いですね、子供の頃の味覚を覚えてるんですね〜。


貴金属みがき

2017年02月10日 08時28分58秒 | Weblog

コンビニに「貴金属みがき」なる商品が売ってた。

目的もないけど買ってきた。手元にあった国産オリエントスター腕時計を磨いてみた。

あっという間に指先と商品の布は真っ黒になりました。時計はピカピカになりました。研磨剤が入っているのでしょう。汚れも取るけど金属も磨く?

後で説明書を読むと、

「磨き過ぎに注意」

「手袋をしてご使用下さい。」

とありました。


メジロを保護!

2017年02月07日 08時30分45秒 | Weblog

アパートの共用玄関の自動ドアの手前に「メジロ」が床に倒れてた。

多分、玄関のガラス窓にぶつかったんでしょう。

まだ生きていたので部屋に持ち帰り、保護しました。

かろうじて立ってるけど、目がうつろです。

死ぬなよ!と声をかけて取りあえず静かに見守った。

しばらくして飛べるようになったのか?部屋の中を飛び始めたので窓を開けたら元気よく飛び立っていきました。

部屋から出ていくときは一旦、大きく開けた扉の端に止まって、じ~と、こちらを見ていた。その時は既にうつろな眼ではなく野生の精悍な眼に戻っていた。最後にじ~とこちらを見ていたのはなぜだろう?

1 ありがとう!なら良いのだけど。

2 よくも酷い目に遭わせてくれたな!という怒りか?


1 だったらいいのだけど、でも良かった、良かった。

最近アパート内の中庭の庭園(笑)の椿の花の蜜をメジロ達が吸いに来てたのは知ってたので、近道をして玄関のガラス窓にぶつかったのでしょう。

もうガラスにぶつかるんじゃないよ。


對馬丸の悲劇

2017年02月04日 20時12分36秒 | Weblog

沖縄で仕事していて昼間に時間ができたので那覇市にある

「對馬(対馬)丸記念館」に行ってきました。

第二次世界大戦の昭和19年に起きた對馬丸の悲劇を伝える記念館です。

当時沖縄の小学生たちが疎開で長崎へ向けて對馬丸(商船)で航海中に奄美大島(正確にはトカラ列島の悪石島)沖で米国海軍の潜水艦に撃沈させられた事件の記念館です。

在りし日の日本郵船 對馬丸

商船 對馬丸の模型です。どう見ても軍艦には見えません。

無くなった方々は、

という痛ましい事件です。

ここでは涙なくしては見れないのですが、腹が立つのは二つ!

1 なぜ米海軍の潜水艦は民間船の對馬丸に魚雷攻撃したのか?

 事前に戦闘艦艇ではないことは分かっていたようです。

2 この對馬丸を護衛していた日本海軍の蓮、宇治の2艦艇は、

 對馬丸が攻撃されていることを知りながら逃走した。

せめて日本海軍の蓮、宇治の2艦艇が対抗処置を取り、海上に放りだされた子供たちを救助してくれたらかなりの命を救えたのはないかと思うと悔しくてならない。この艦長の任務は輸送船の對馬丸の護衛であったにも関わらず、何もしないで逃走したことは、どんな理由があっても決して許せないことです。

自分の子供がこのような状況に置かれたらと考えただけで胸が張り裂けそうになります。

時代としてかなり昔のことのように感じますが、無くなった方々はちょうど私の両親とほぼ同世代です。昔のことではないですね。

對馬丸記念館

沖縄戦の最後の現地沖縄の司令官 太田海軍中将が自決前に海軍次官(大本営)に宛てた最後の電文が思い出されます。

「沖縄県民かく戦えり、県民に対し後世、特別の御高配を賜らんことを」