又やって来た、静かで暑い夏の日。
『敗戦の日』
(これより読売新聞から引用)
◇民主党枝野幹事長の談話。
「どのような困難にあっても国際社会にねばり強く働きかけ、核廃絶への歩みを進める」
「過去の歴史と正面から向き合い、その教訓と反省を未来の平和へとつなげる努力を続け、国際社会とともに平和を創造していく決意を新たにし、実現にまい進していく」
◇自民党谷垣総裁談話の発表。
「国際法的な評価につき、我が国の立場はいささかも変わるものではない」
「(条約締結時の李氏王朝下の)大韓帝国国民であった方々に与えた多大の苦難に正面から向き合う勇気と真摯(しんし)さを持たねばならない」
◇公明党談話。
「核兵器は『絶対悪』との思想に基づき、断固たる決意で核廃絶に取り組む」
◇共産党。
「世界平和と核兵器廃絶を正面から掲げ、外交諸問題の平和的解決のため、奮闘する」
◇社民党。
「沖縄をはじめ、全国で引き続き在日米軍基地の整理、縮小、撤去や日米地位協定の改定を目指す」
◇みんなの党。
「戦時体制のもとで完成された官僚統制・中央集権が残存している。改めて国民主権の確立を決意する」
◇たちあがれ日本。
「独立国家としてふさわしい戦没者追悼行政を再建する」
(以上、読売新聞8月15日0時1分配信より引用)
「美辞麗句」
「大言壮語」
文字通りの。
政治家の台詞が<実現可能>で有るなんて事は、恐らく皆無に近いのでは無かろうか。
日本の政治家が、よく国際的な問題を約束する如き発言をするが、聞かされる度に腹が立つ。
国内の事ですら、日本の国民の為の事ですら、何にも出来ないくせに。
しかし、政治家は当てにしなくとも、人類の一員として、日本人の一人一人が、考えなければならない事が、有るのだ。
特に、『敗戦記念日』を65回繰り返して来た今日、しかも21世紀も十分の一が過ぎた今、日本は、日本人は、これからの日本の為に、来るべき世界の為に、未来の人類の為に、何を考えなければならないのだろう。
何を成さねばならないのだろう。
未曾有の大戦争に敗北し、惨めな姿を曝したあの日から、65年。
国民の一人一人が、「鬼畜米英」を叫び、「皇国日本の必勝」を信じ込み、愛しい人を<バンザイ>で戦地に送り出し、食糧難に苦しみながら、空襲に怯え、竹槍で爆撃機を落とせると信じ込み、心の中では一体何を考えていたのだろう。
8月15日に、総てが『無』になった。
我々は、あの日から、一体何を学んだのだろうか。
軍部の思い上がり。
それを許す為に国民を煽り立てた、マスコミ。
洗脳されて、破滅へと突っ走った国民。
その国民の、精神と肉体とを、誘導し、利用し尽くし、自らの思い違いを遂行して行った、軍部と言う名の官僚機構。
そして、自分達の<勘違い>に気がつかず、自分達のやる事が唯一正しい、と信じ込んで日本を破滅に追い込んで行った官僚機構。
現代と、同じだ。
『破滅』への道程。
官僚達の、狂気の勘違いによる国民への裏切り行為の道筋。
『アッツ島』
『硫黄島』
『沖縄』
それ以外にも、ガダルカナル沖で、インパールで、サイパンで、グアムで、レイテ島沖で。
日本軍は、圧倒的惨敗を喫して撤退するか、全員が玉砕した。
東京にある『大本営』は、これら現場を非情に切り捨てた。
将棋の<捨て駒>の如くに。
何万人もの国民を。
軍部は本土決戦を計画し、国民はそれに備えた。
『生きて虜囚の辱めを受けず』
戦陣訓は、あらゆる日本人の精神を絡めとり、抵抗力を失った負傷兵であろうと、武器弾薬の尽きた兵士であろうと、死ぬ事を前提に敵弾の前に素手で身をさらした。
それすら出来ない者には、<自決>を強要した。
政府からも独立した、『エリート参謀」による「作戦立案」と「作戦遂行」とを独占した『大本営』という官僚組織。
大本営と言う名の<エリート軍事官僚>達は、前線の状況報告を無視し、前線の増援派遣要請を握りつぶし、テクノクラートとしての義務である彼我の軍事力の分析比較も行わず、武器弾薬も食料すら送らず、現場に『死』を命じた。
ソヴィエト連邦軍が、友好不可侵条約を一方的に破って参戦した事と、広島と長崎への原爆攻撃によって、日本軍部は総ての戦いを渋々停止し、無条件に降伏した。
『玉砕』を推奨し、『自決』を命じた<軍事官僚組織>は、国の為に最善を尽くすのでは無く、『美辞麗句』に酔って、「美辞麗句」を実現させる為に、現場の兵士達を死地に追い立てて行った。
民間人をすら、死地に追い立てた。
民間人を守るのが『義務』である筈の<軍事エリート>達が、国民を殺戮した。
万一、ソ連の参戦が無かったら。
万一、原爆の投下が無かったら。
万一、天皇の決断が無かったら。
恐らく日本は、<焦土>と化していたに違いない。
大本営の作戦立案のミスは、隠し通した。
大本営の作戦遂行のミスは、隠し通した。
『大本営』の<無能>さは、隠し通した。
官僚の特性。
結果として、330万人の犠牲者を出したあの無謀な戦争に対しての、分析も、検証も、なされる事も無く、責任の追及が行われる事も無く、一部エリートによる「国民切り捨て」の事実は、闇に葬られた。
自分達の頭を過信し、頭で考え、頭で理解し、現場を理解出来ず、失敗しても責任は取らずに、ヌケヌケと延命する。
日本の官僚制度とは、かくのごとき物である。
過去も現在も。
21世紀も10年経った、2010年の今日に有っても。
恐らく未来まで。
人類史上皆無の現象である、『占領軍』への積極的協力は、総て『高級軍事官僚』達の<延命>の為に、行われたのだ。
原爆投下後、わずか2日目にしての、<専門医学調査団>の広島入り。
あの、「前例の無い事はやらない」はずの官僚達が、あの「交通事情の劣悪な」ときに、専門家の選別と編成、移動手段の確保などを、これほど素早い行動がとれる事自体が、驚嘆に値する。
前もって準備がなされていない事には、あり得ない手際の良さであった。
恐らく、<上層部>は原爆投下を、前もって掴んでいた筈だ。
敗戦と、米軍による占領制度を覚悟した彼らは、米軍に「いち早く協力する事によって」延命を計った事は明白である。
3発目の原爆投下候補地は、新潟市であったらしい。
事前の警告で、市民は<全員>市外に避難した。
のちに、米軍資料から<新潟>が予定されていた事が、明らかとなっている。
日本の高級官僚は、かくのごとくに、日本の国民の為には決して働かない。
彼らは、自分達の為にのみ、働く人種である。
現在に至るまで、全く変わっていない。
いまだかってない『デフレ・スパイラル』に襲われて、収入の減少と、社会保障制度の破綻による、労働者の地位の不安定は、1930年代の『世界的大恐慌』以上の深刻さにあっても、官僚達は「自分自身の利益が第一」「自分のの組織が第二」、でしか動かない。
『国民の生活が第一』の筈であった。
鳩山前首相の唱える、『普天間基地』の海外移設、最低でも県外、と言う政策に対して、全く動こうとせず、9ヶ月かけて首相を潰してしまった。
それ以前に、脱官僚を掲げる「政権交代が見込まれる」野党幹事長を、突然に疑獄事件をでっち上げて、検察を使って追い落とした。
政権交代がなされ、彼が復権するや、でっち上げ捜査を継続し、マスコミを手足の如くに使って、国民感情をコントロールして再度追い落とした。
国民の為に働く筈の事務方に過ぎない<役人>が、国民の負託を受けた代議士を、不正をでっち上げて失脚させる。
恐ろしい国だ。
民主主義国家とは到底呼べない「低開発国」なみの官僚組織である。
やっている事は、旧『大日本帝国』官吏の時から、何ら変わっていないのだ。
変わるどころか、増々国民に背を向けて、身時からの利益確保に手練手管を弄する。
籠絡される政治家も、どうしようもないバカでは有るが、国の利益に反する事を平気でやる官僚とは、一体何なんだろうか。
仲間の老後の安楽の保証の為に、あらゆる政策に対して、夫々の実行機関としての『特殊法人』を造り上げ、総ての政策実行の過程で、予算を中抜きする。
組織が不足して来ると、新たな法人を造る為に、新たな法案をひねり出す。
たとえいくら予算が有ってもきりがなく、たりなく無くなる度に『国債』を発酵し続けて来た。
ふんぞり返っている<お役人様>の老後の更なる贅沢のために、国民はせっせと税金を納め続け、収入は下がり、労働条件は悪化しても、役人は更に<増税>を企んでいる。
大戦の検証も反省もなされていない以上、当たり前では有ろうが、日本の官僚は『売国奴』であると断言していい。
何ら反省がなされていない。
<反省>だけなら「猿でも出来る」と言うのに。
元々、反省する必要が無い訳だが。
彼らは、日本の事を考えている訳では無いのだから、何ら反省する事実が存在していない。
敗戦65周年記念日にあたって、又また<怒り>が新たになって来る。
当時、直接国民を戦地に駆り立てて殺した<官僚共>が、今では、国民から<生活の保証>を奪い去って、国民を窮地へと追い込んでいる。
官僚は、『特権階級』では無く、彼らとて同じ『国民』である事を、知らしめなくてはならない。
それには、如何しても『剛腕』が不可欠だ。
お役人さま達、いい加減になさいまし。
地獄に堕ちますよ。
『敗戦の日』
(これより読売新聞から引用)
◇民主党枝野幹事長の談話。
「どのような困難にあっても国際社会にねばり強く働きかけ、核廃絶への歩みを進める」
「過去の歴史と正面から向き合い、その教訓と反省を未来の平和へとつなげる努力を続け、国際社会とともに平和を創造していく決意を新たにし、実現にまい進していく」
◇自民党谷垣総裁談話の発表。
「国際法的な評価につき、我が国の立場はいささかも変わるものではない」
「(条約締結時の李氏王朝下の)大韓帝国国民であった方々に与えた多大の苦難に正面から向き合う勇気と真摯(しんし)さを持たねばならない」
◇公明党談話。
「核兵器は『絶対悪』との思想に基づき、断固たる決意で核廃絶に取り組む」
◇共産党。
「世界平和と核兵器廃絶を正面から掲げ、外交諸問題の平和的解決のため、奮闘する」
◇社民党。
「沖縄をはじめ、全国で引き続き在日米軍基地の整理、縮小、撤去や日米地位協定の改定を目指す」
◇みんなの党。
「戦時体制のもとで完成された官僚統制・中央集権が残存している。改めて国民主権の確立を決意する」
◇たちあがれ日本。
「独立国家としてふさわしい戦没者追悼行政を再建する」
(以上、読売新聞8月15日0時1分配信より引用)
「美辞麗句」
「大言壮語」
文字通りの。
政治家の台詞が<実現可能>で有るなんて事は、恐らく皆無に近いのでは無かろうか。
日本の政治家が、よく国際的な問題を約束する如き発言をするが、聞かされる度に腹が立つ。
国内の事ですら、日本の国民の為の事ですら、何にも出来ないくせに。
しかし、政治家は当てにしなくとも、人類の一員として、日本人の一人一人が、考えなければならない事が、有るのだ。
特に、『敗戦記念日』を65回繰り返して来た今日、しかも21世紀も十分の一が過ぎた今、日本は、日本人は、これからの日本の為に、来るべき世界の為に、未来の人類の為に、何を考えなければならないのだろう。
何を成さねばならないのだろう。
未曾有の大戦争に敗北し、惨めな姿を曝したあの日から、65年。
国民の一人一人が、「鬼畜米英」を叫び、「皇国日本の必勝」を信じ込み、愛しい人を<バンザイ>で戦地に送り出し、食糧難に苦しみながら、空襲に怯え、竹槍で爆撃機を落とせると信じ込み、心の中では一体何を考えていたのだろう。
8月15日に、総てが『無』になった。
我々は、あの日から、一体何を学んだのだろうか。
軍部の思い上がり。
それを許す為に国民を煽り立てた、マスコミ。
洗脳されて、破滅へと突っ走った国民。
その国民の、精神と肉体とを、誘導し、利用し尽くし、自らの思い違いを遂行して行った、軍部と言う名の官僚機構。
そして、自分達の<勘違い>に気がつかず、自分達のやる事が唯一正しい、と信じ込んで日本を破滅に追い込んで行った官僚機構。
現代と、同じだ。
『破滅』への道程。
官僚達の、狂気の勘違いによる国民への裏切り行為の道筋。
『アッツ島』
『硫黄島』
『沖縄』
それ以外にも、ガダルカナル沖で、インパールで、サイパンで、グアムで、レイテ島沖で。
日本軍は、圧倒的惨敗を喫して撤退するか、全員が玉砕した。
東京にある『大本営』は、これら現場を非情に切り捨てた。
将棋の<捨て駒>の如くに。
何万人もの国民を。
軍部は本土決戦を計画し、国民はそれに備えた。
『生きて虜囚の辱めを受けず』
戦陣訓は、あらゆる日本人の精神を絡めとり、抵抗力を失った負傷兵であろうと、武器弾薬の尽きた兵士であろうと、死ぬ事を前提に敵弾の前に素手で身をさらした。
それすら出来ない者には、<自決>を強要した。
政府からも独立した、『エリート参謀」による「作戦立案」と「作戦遂行」とを独占した『大本営』という官僚組織。
大本営と言う名の<エリート軍事官僚>達は、前線の状況報告を無視し、前線の増援派遣要請を握りつぶし、テクノクラートとしての義務である彼我の軍事力の分析比較も行わず、武器弾薬も食料すら送らず、現場に『死』を命じた。
ソヴィエト連邦軍が、友好不可侵条約を一方的に破って参戦した事と、広島と長崎への原爆攻撃によって、日本軍部は総ての戦いを渋々停止し、無条件に降伏した。
『玉砕』を推奨し、『自決』を命じた<軍事官僚組織>は、国の為に最善を尽くすのでは無く、『美辞麗句』に酔って、「美辞麗句」を実現させる為に、現場の兵士達を死地に追い立てて行った。
民間人をすら、死地に追い立てた。
民間人を守るのが『義務』である筈の<軍事エリート>達が、国民を殺戮した。
万一、ソ連の参戦が無かったら。
万一、原爆の投下が無かったら。
万一、天皇の決断が無かったら。
恐らく日本は、<焦土>と化していたに違いない。
大本営の作戦立案のミスは、隠し通した。
大本営の作戦遂行のミスは、隠し通した。
『大本営』の<無能>さは、隠し通した。
官僚の特性。
結果として、330万人の犠牲者を出したあの無謀な戦争に対しての、分析も、検証も、なされる事も無く、責任の追及が行われる事も無く、一部エリートによる「国民切り捨て」の事実は、闇に葬られた。
自分達の頭を過信し、頭で考え、頭で理解し、現場を理解出来ず、失敗しても責任は取らずに、ヌケヌケと延命する。
日本の官僚制度とは、かくのごとき物である。
過去も現在も。
21世紀も10年経った、2010年の今日に有っても。
恐らく未来まで。
人類史上皆無の現象である、『占領軍』への積極的協力は、総て『高級軍事官僚』達の<延命>の為に、行われたのだ。
原爆投下後、わずか2日目にしての、<専門医学調査団>の広島入り。
あの、「前例の無い事はやらない」はずの官僚達が、あの「交通事情の劣悪な」ときに、専門家の選別と編成、移動手段の確保などを、これほど素早い行動がとれる事自体が、驚嘆に値する。
前もって準備がなされていない事には、あり得ない手際の良さであった。
恐らく、<上層部>は原爆投下を、前もって掴んでいた筈だ。
敗戦と、米軍による占領制度を覚悟した彼らは、米軍に「いち早く協力する事によって」延命を計った事は明白である。
3発目の原爆投下候補地は、新潟市であったらしい。
事前の警告で、市民は<全員>市外に避難した。
のちに、米軍資料から<新潟>が予定されていた事が、明らかとなっている。
日本の高級官僚は、かくのごとくに、日本の国民の為には決して働かない。
彼らは、自分達の為にのみ、働く人種である。
現在に至るまで、全く変わっていない。
いまだかってない『デフレ・スパイラル』に襲われて、収入の減少と、社会保障制度の破綻による、労働者の地位の不安定は、1930年代の『世界的大恐慌』以上の深刻さにあっても、官僚達は「自分自身の利益が第一」「自分のの組織が第二」、でしか動かない。
『国民の生活が第一』の筈であった。
鳩山前首相の唱える、『普天間基地』の海外移設、最低でも県外、と言う政策に対して、全く動こうとせず、9ヶ月かけて首相を潰してしまった。
それ以前に、脱官僚を掲げる「政権交代が見込まれる」野党幹事長を、突然に疑獄事件をでっち上げて、検察を使って追い落とした。
政権交代がなされ、彼が復権するや、でっち上げ捜査を継続し、マスコミを手足の如くに使って、国民感情をコントロールして再度追い落とした。
国民の為に働く筈の事務方に過ぎない<役人>が、国民の負託を受けた代議士を、不正をでっち上げて失脚させる。
恐ろしい国だ。
民主主義国家とは到底呼べない「低開発国」なみの官僚組織である。
やっている事は、旧『大日本帝国』官吏の時から、何ら変わっていないのだ。
変わるどころか、増々国民に背を向けて、身時からの利益確保に手練手管を弄する。
籠絡される政治家も、どうしようもないバカでは有るが、国の利益に反する事を平気でやる官僚とは、一体何なんだろうか。
仲間の老後の安楽の保証の為に、あらゆる政策に対して、夫々の実行機関としての『特殊法人』を造り上げ、総ての政策実行の過程で、予算を中抜きする。
組織が不足して来ると、新たな法人を造る為に、新たな法案をひねり出す。
たとえいくら予算が有ってもきりがなく、たりなく無くなる度に『国債』を発酵し続けて来た。
ふんぞり返っている<お役人様>の老後の更なる贅沢のために、国民はせっせと税金を納め続け、収入は下がり、労働条件は悪化しても、役人は更に<増税>を企んでいる。
大戦の検証も反省もなされていない以上、当たり前では有ろうが、日本の官僚は『売国奴』であると断言していい。
何ら反省がなされていない。
<反省>だけなら「猿でも出来る」と言うのに。
元々、反省する必要が無い訳だが。
彼らは、日本の事を考えている訳では無いのだから、何ら反省する事実が存在していない。
敗戦65周年記念日にあたって、又また<怒り>が新たになって来る。
当時、直接国民を戦地に駆り立てて殺した<官僚共>が、今では、国民から<生活の保証>を奪い去って、国民を窮地へと追い込んでいる。
官僚は、『特権階級』では無く、彼らとて同じ『国民』である事を、知らしめなくてはならない。
それには、如何しても『剛腕』が不可欠だ。
お役人さま達、いい加減になさいまし。
地獄に堕ちますよ。
私は日本を戦争に導いた戦犯達、官僚達がうらめしいです。戦争がなければ、今のようなアメリカに服従する日本はなかった。日本の誇る文化、アイデンティティも毀損されることはなかった。65年たっても同盟国の使者を悼むどころか、戦勝記念をタイムススクエアでキスで祝うようなアメリカに悔しい思いを抱かされることもなかった。
英霊を弔うのならば、不戦の誓いを戦後日本の確固たるアイデンティティとして確立することでしょう。自衛を除く、戦争を行わない、加担しない、支持しない。例えアメリカの不興を買ったとしても誇り高い日本を取戻し、世界の信頼を勝ち取ることができるでしょう。これこそが、グローバリゼーションの現代で日本がとるべき道だと確信しています。
しかし、考えてみると、アメリカの国民も<何も>知らないのですよね。
お上がやっている事を、国民は何も知らされていない、と言う図式は日本と一緒だ。
アメリカの国民の<世間知らず(世界知らず)>が、彼らが世界中行く先々で、嫌われる理由の大きな部分でもあります。
国民が意図的に情報から遮断されている構造は、世界共通でもあり、今更ですが、一番損をするのが、当の国民である事を、お上は解っていない。
それもこれも、官僚達が、<国民意識>をもっていないせいであろうと、思っています。
上級国家公務員任官試験を、なにか変える必要が有りそうです。
『不戦の誓い』は、霞が関にこそ、率先してやらせるべき事ですね。
東京大空襲の際の大本営発表とか詳しい記事が
「ニュース・ワーカー2」美浦克教
http://tekcat.blog21.fc2.com/tb.php/1561-2a601ab6
にあります。お暇な時にでもどうぞ・・・。
ナチの幹部は徹底的に責任追及されています。日本の大本営幹部連中の氏名、その後の消息を徹底的に調べ、公表し裁判にかけるべきです。
生存の有無を問わず、徹底的に裁くべきです。
残念なことにそれをさせないのが、実は官僚であり、この100年何一つ変わらぬ日本の実態でもあります。
官僚とは
「たとえ国が滅びても、選民であるところの自分たちは繁栄し続ける・・と信じている」
悪魔ですから、国賊などといわれようが屁とも思わないでしょう。
「ニュース・ワーカー2」
これが正解です。
それにしても、ネットの世界でだけ、真実や実態、本来の有様などが理解されて、語られていて、しかしそれは<外の>世界の一般の国民に殆ど広まって行かない、知られて行かない、と言う事に、脱力感を覚える事が有ります。
いくらマスコミの偏向や教育の歪みを考えてみても、おかしい。
国民の資質の問題か、などと偉そうな事は言いたくないのですが。
>3発目の原爆投下候補地は、新潟市であったらしい。
初めて知り、なるほどと思いました。
ソ連が日本上陸を目指すとして、千島列島経由北海道と考えがちでしたが、ウラジオストックから直接新潟港に上陸すれば、東北北陸をダイレクトに占領できたわけです。アメリカとしては阻止したい事態ですから、新潟を上陸不能地帯にするには手っ取り早いやり方で、合理性があります。
ただ、細かい点で恐縮なのですが、終戦時の運輸通信大臣小日山直登の秘書官の手記によれば、迂回路線の確保、待避線の設置、補修機材の各所への配置などがきちんと行われ、20年7月後半においても、国鉄の運行秩序は比較的守られていたようでした。
この時期、大臣は九州視察を行っています。九州は既に戦闘地域の趣で、大臣の列車も機銃掃射にあっていますが、本土ではまだ、安全とは言えぬまでも順当な移動が可能であったようです。
原爆の事前情報察知については、前掲手記においても、畑元帥、大島中国地方総監らが、広島空襲について甘い見通しを持っていたことを示唆していますし、内務省エリートで中国地方各県を統括し、各県知事への指揮権を持っていた大島総監自身が原爆被災死した事実から見て、否定的にならざるを得ません。他方、当時の大阪鉄道局長佐藤栄作が、東海道沿線の空爆情報をある程度掴んでいたらしいことも示唆されており、<上層部>には米軍爆撃一般についての事前情報が入っていたことも、おそらく間違いないことなのだと思います。
詳しい話はどうでもいいが、この人ユーゴスラビアの代表監督でもありました。ワールドカップで素晴らしい結果を残しました。
チトー亡き後・・・冷戦が終結し・・・民族運動は激化し・・・ユーゴスラビアは戦争に終始して滅茶苦茶になりました。
・・・ここまで前段
このオシムさんは、アメリカが落とした原爆の悲劇を学校で習っていた。
8月9日、小倉が天気が悪く急遽長崎に原爆投下されたことも知っていた。次は新潟に落とす予定だったことも習っていた。
詳しい話は「オシムの伝言」というブログでも見てください。
こんな話を日本人の51歳の私は驚くのです。
戦後14年たったときに生まれた私は、学校でこんな話を教わったことが無い。
原爆の悲惨さ、無差別殺人の東京大空襲の惨劇も学校では教えてもらわなかった。
正確に言えば、他人の出来事的な表現で、こんな事件もありました・・・と、軽く流された程度。
日本の教科書にアメリカの悪魔の所業を正確に記して子供たちに教える気が無かったのですよ。日本の教育は「アメリカの奴隷日本を疑ってはいけない!」という決まりでもあったのかいな???
アメリカに気に入られることが、官僚の出世と生きる道・・・こんな時代がいつまで続くのやら・・・。
ちなみに、政治経済マスコミ、様々な方たちが「それに逆らって」消されてきたのでしょうね。
そこにあるのは「日本という国」を貪り続けるアメリカと日本の官僚たちのタッグマッチなのでしょうね。
戦争の反省・分析をまったく行っていない日本は、根無し草のごとくでしょう。
戦前の軍部の暴走が、戦後は政治家・官僚の暴走となっただけ。
根本的にはまったく変わっていない。
国民自身も主権が自分達にあるという気概がまったくない。
DNAに刷り込まれたかの如く根っからの封建主義ラヴァーw
支配されていいように弄ばれるのがお好きのようです。
といった感じで、こういった認識は共有できるのに、時々パリさんと憲法認識が全く異なるのは不思議です。
どうしてこんな愚民が(時々パリさんたちにとっての)人類の理想とやらの戦争放棄平和憲法を、よくもまあその戦後混乱期に制定できたものです。
もし奇跡が起こったというのなら、神風を最後まで信じさせた軍部と大して変わらないような気がしますが・・・
の訂正です。
誤:本土ではまだ、安全とは言えぬまでも順当な移動が可能であったようです。
正:本州ではまだ、安全とは言えぬまでも順当な移動が可能であったようです。