チリでの奇跡の救出劇に、胸が熱くなった。
33名の作業員と、チリ国民とに、心から「おめでとう」と言おう。
そして、羨ましくて仕方なくなった。
私の周りには、外国人が沢山居る。
アメリカ大陸各国の人々。
ヨーロッパ各国の人々。
アフリカ各国の人々。
アジア各国の人々。
白人。
黒人。
アラブ人。
アジア人。
その他、あらゆる正体不明の人々。
パリは人種のるつぼ。
そして、皆夫々自分の祖国と固く繋がっている事が、良く判る。
在仏各国の大使館は、夫々の国民の為の、情報源であり、あらゆる問題の窓口であり、駆け込み寺であり、祖国とのパイプである。
皆、大使館を通じて、自分の祖国から「守られている」と感じている。
大使館は、自分と祖国とをつなぎ止めてくれている、『絆』なのだ。
あらゆる「祖国を離れて暮らす事になった」人々は、自国の大使館を通じて、自分の祖国からの、自分の祖国の政府からの、庇護を得られるのだ。
本来ならば。。。
悲しい事に、私個人は、いまだかって「日本国大使館」を通じて祖国から守られている、と感じた事はただの一度も無い。
もし日本で今回のチリの事件の様な事件が起こった場合、はたして16億円もの予算を使って「たった33人の一般作業員」を救出してくれるのだろうか、と考えてしまった。
この様に考えざるを得ない私は、「哀れな人間」であるのか。
それとも、日本と言う国がそのような「あわれな国」なのだろうか。
8年も前であったか。
元々政情不安定だったコート・ジボアールで、軍部の暴走による内戦状態になった事が有った。
以下は、パリで知り合った、ある大手有名企業のパリ駐在員であった日本人から聞いた話である。
彼等一家は、その当時、親子4人でヤムスクロに駐在していたそうです。
コート・ジボアールの首都、ヤムスクロに居た外国人達は、内戦の激化に伴い、今にも自宅が焼き討ちに遭いそうな危険な状況に怯えながら、最終的に夫々の大使館に非難して、国外脱出の機を待っていた。
民間の航空路線が遮断されてしまっていた中で、夫々の国の政府が「救助機」を準備して、自国民の救出に当たった。
その間、現地に駐在していた日本企業の駐在員などに対して、日本政府からの支援の手は、一切無かった。
結局、イギリス大使館に保護されて、イギリスが国民脱出にスケジュールを組んだ「英空軍機」の最後のフライトに、総ての英国市民が脱出できた後の残りの席に、日本人も乗せてくれて、命からがらロンドンまでたどり着いたそうです。
その後、彼の本社の指令でパリに来たそうですが、他の国の脱出者には、国が一時金の支給や、取り敢えずの住居の手配など、生活基盤の構築を援助してくれたそうだが、日本大使館は、一切何も支援してくれなかったそうです。
すべて「民間の事」なのだそうで。
命からがら、着の身着のまま脱出して来た人達は、取り敢えず帰国するなり、新たに生活するなり、当座の資金など無い訳だ。
しかし、日本政府は、外地に居る『民間の一般人』など、煩わしい「迷惑な存在」でこそあれ、親身に「世話をするべき」対象では無いらしいのです。
日本の外務省在外公館に取って、日本から来る政治家センセイと、大企業幹部のアテンド、が仕事らしい。
この話には、後日談が有ります。
結局この日本人駐在員氏は、コート・ジボアールと言うフランス語圏に駐在していた事から、帰国後ほどなく「パリ駐在」になって、再びパリにやって来ました。
パリには、パリ在住日本人子弟の為の、日本人がやっている幼稚園が有ります。
もちろん、フランスの政府には何ら関係ない「私企業」としての無認可幼稚園なのです。
駐在員達は、帰国後の子供達の教育の問題が有るので、現地校には入れず「日本人幼稚園」に子供達を通わせます。
半ば永住的に住んでいる日本人たちも、子供達に「日本人としてのルーツ」を失わせたくない為と、「日本語の基礎」を造り上げる為に、子供達をこの日本人幼稚園に通わせるのです。
件の駐在員氏は、早速お嬢さんをそこに通わせ始めました。
その一ヶ月後、新たにパリに赴任して来た、日本大使館勤務の『外交官の奥様』が、子供をその幼稚園に入れるべく、やって来た。
そして、パリ着任のパーティーかなにかで見知っていた、この駐在員氏を見留めていうには。
「私の子供を、なんで『民間人』なんかの子供と一緒に通わせなくちゃならないの(早く辞めさせなさいよ)!」
けんもホロロに言って退けたそうです。
お嬢さんを送って園に来ていた、駐在員氏の奥様は、居たたまれなくて逃げる様に帰宅したそうです。
しかも、夫が「パリで仕事しにくくなると困る」と判断して、結局お嬢さんを退園させざるを得なくなった。
信じられますか。
幼稚園に子供を通わせる年代の外交官で有る以上、決して『大使』などでは無いはず。
精々若くして出世した一等書記官か、本来なら二等書記官が良いところであろう。
そんな輩が、しかも外交官本人でもなく、たかが配偶者風情が、エリート意識をヒケラカして、「民間人の子供を辞めさせろ!」と平然とほざく。
それを聞いて、私は怒り心頭に発したのは、言うまでもない事でした。
新聞に投書してやろうと思ったのですが(まだ当時は新聞なる物に何らかの希望を抱いていた!)、ご本人の駐在員氏は「パリと言う狭い社会で仕事しにくくなるから、事を荒立てないでくれ」と言う事で、泣く泣く止めにしたのでした。
日本の役人など、所詮その程度なのだ。
それまでも、必要に駆られて大使館に行っては、気分を悪くして来た私としては、日本大使館のイメージなど最悪であったのですが。
その話を聞いた後は、「日本の役人なんて、税金泥棒のダニみたいな物だ」と、改めて思いを新たにした物でした。
外地に暮らす身としては、祖国との「公式な窓口で」あるべき日本大使館が、何も頼る気が起こらない存在である事は、不幸な事だと思う。
一年程前、ゆえ有って(いやいやながら)2日間接したある日本の知事が、地方政界に転進するまで何処やらの大使であったらしく、その間にありとあらゆるところに旅行しまくった話を得意げに聞かされて、平然とした表情を保ち続けるのに苦労した物でした。
官費で高級ワインを、ここぞとばかりに買いまくっているに違いない連中の、相手をさせられる方は、堪った物じゃない。
日本の官僚は、腐っている。
とにかく、この落盤事件が日本で起こったのでなくて、本当に良かった。
もし日本で起こっていたのなら、総て「会社の自己責任」で救助活動を行って、国のサポートなんぞ、一切受けられなかったに違いない。
『官僚政治の打倒』
こう訴えた政治家は、官僚達の見事な連携による冤罪で、極悪人扱いをされている。
33名の作業員と、チリ国民とに、心から「おめでとう」と言おう。
そして、羨ましくて仕方なくなった。
私の周りには、外国人が沢山居る。
アメリカ大陸各国の人々。
ヨーロッパ各国の人々。
アフリカ各国の人々。
アジア各国の人々。
白人。
黒人。
アラブ人。
アジア人。
その他、あらゆる正体不明の人々。
パリは人種のるつぼ。
そして、皆夫々自分の祖国と固く繋がっている事が、良く判る。
在仏各国の大使館は、夫々の国民の為の、情報源であり、あらゆる問題の窓口であり、駆け込み寺であり、祖国とのパイプである。
皆、大使館を通じて、自分の祖国から「守られている」と感じている。
大使館は、自分と祖国とをつなぎ止めてくれている、『絆』なのだ。
あらゆる「祖国を離れて暮らす事になった」人々は、自国の大使館を通じて、自分の祖国からの、自分の祖国の政府からの、庇護を得られるのだ。
本来ならば。。。
悲しい事に、私個人は、いまだかって「日本国大使館」を通じて祖国から守られている、と感じた事はただの一度も無い。
もし日本で今回のチリの事件の様な事件が起こった場合、はたして16億円もの予算を使って「たった33人の一般作業員」を救出してくれるのだろうか、と考えてしまった。
この様に考えざるを得ない私は、「哀れな人間」であるのか。
それとも、日本と言う国がそのような「あわれな国」なのだろうか。
8年も前であったか。
元々政情不安定だったコート・ジボアールで、軍部の暴走による内戦状態になった事が有った。
以下は、パリで知り合った、ある大手有名企業のパリ駐在員であった日本人から聞いた話である。
彼等一家は、その当時、親子4人でヤムスクロに駐在していたそうです。
コート・ジボアールの首都、ヤムスクロに居た外国人達は、内戦の激化に伴い、今にも自宅が焼き討ちに遭いそうな危険な状況に怯えながら、最終的に夫々の大使館に非難して、国外脱出の機を待っていた。
民間の航空路線が遮断されてしまっていた中で、夫々の国の政府が「救助機」を準備して、自国民の救出に当たった。
その間、現地に駐在していた日本企業の駐在員などに対して、日本政府からの支援の手は、一切無かった。
結局、イギリス大使館に保護されて、イギリスが国民脱出にスケジュールを組んだ「英空軍機」の最後のフライトに、総ての英国市民が脱出できた後の残りの席に、日本人も乗せてくれて、命からがらロンドンまでたどり着いたそうです。
その後、彼の本社の指令でパリに来たそうですが、他の国の脱出者には、国が一時金の支給や、取り敢えずの住居の手配など、生活基盤の構築を援助してくれたそうだが、日本大使館は、一切何も支援してくれなかったそうです。
すべて「民間の事」なのだそうで。
命からがら、着の身着のまま脱出して来た人達は、取り敢えず帰国するなり、新たに生活するなり、当座の資金など無い訳だ。
しかし、日本政府は、外地に居る『民間の一般人』など、煩わしい「迷惑な存在」でこそあれ、親身に「世話をするべき」対象では無いらしいのです。
日本の外務省在外公館に取って、日本から来る政治家センセイと、大企業幹部のアテンド、が仕事らしい。
この話には、後日談が有ります。
結局この日本人駐在員氏は、コート・ジボアールと言うフランス語圏に駐在していた事から、帰国後ほどなく「パリ駐在」になって、再びパリにやって来ました。
パリには、パリ在住日本人子弟の為の、日本人がやっている幼稚園が有ります。
もちろん、フランスの政府には何ら関係ない「私企業」としての無認可幼稚園なのです。
駐在員達は、帰国後の子供達の教育の問題が有るので、現地校には入れず「日本人幼稚園」に子供達を通わせます。
半ば永住的に住んでいる日本人たちも、子供達に「日本人としてのルーツ」を失わせたくない為と、「日本語の基礎」を造り上げる為に、子供達をこの日本人幼稚園に通わせるのです。
件の駐在員氏は、早速お嬢さんをそこに通わせ始めました。
その一ヶ月後、新たにパリに赴任して来た、日本大使館勤務の『外交官の奥様』が、子供をその幼稚園に入れるべく、やって来た。
そして、パリ着任のパーティーかなにかで見知っていた、この駐在員氏を見留めていうには。
「私の子供を、なんで『民間人』なんかの子供と一緒に通わせなくちゃならないの(早く辞めさせなさいよ)!」
けんもホロロに言って退けたそうです。
お嬢さんを送って園に来ていた、駐在員氏の奥様は、居たたまれなくて逃げる様に帰宅したそうです。
しかも、夫が「パリで仕事しにくくなると困る」と判断して、結局お嬢さんを退園させざるを得なくなった。
信じられますか。
幼稚園に子供を通わせる年代の外交官で有る以上、決して『大使』などでは無いはず。
精々若くして出世した一等書記官か、本来なら二等書記官が良いところであろう。
そんな輩が、しかも外交官本人でもなく、たかが配偶者風情が、エリート意識をヒケラカして、「民間人の子供を辞めさせろ!」と平然とほざく。
それを聞いて、私は怒り心頭に発したのは、言うまでもない事でした。
新聞に投書してやろうと思ったのですが(まだ当時は新聞なる物に何らかの希望を抱いていた!)、ご本人の駐在員氏は「パリと言う狭い社会で仕事しにくくなるから、事を荒立てないでくれ」と言う事で、泣く泣く止めにしたのでした。
日本の役人など、所詮その程度なのだ。
それまでも、必要に駆られて大使館に行っては、気分を悪くして来た私としては、日本大使館のイメージなど最悪であったのですが。
その話を聞いた後は、「日本の役人なんて、税金泥棒のダニみたいな物だ」と、改めて思いを新たにした物でした。
外地に暮らす身としては、祖国との「公式な窓口で」あるべき日本大使館が、何も頼る気が起こらない存在である事は、不幸な事だと思う。
一年程前、ゆえ有って(いやいやながら)2日間接したある日本の知事が、地方政界に転進するまで何処やらの大使であったらしく、その間にありとあらゆるところに旅行しまくった話を得意げに聞かされて、平然とした表情を保ち続けるのに苦労した物でした。
官費で高級ワインを、ここぞとばかりに買いまくっているに違いない連中の、相手をさせられる方は、堪った物じゃない。
日本の官僚は、腐っている。
とにかく、この落盤事件が日本で起こったのでなくて、本当に良かった。
もし日本で起こっていたのなら、総て「会社の自己責任」で救助活動を行って、国のサポートなんぞ、一切受けられなかったに違いない。
『官僚政治の打倒』
こう訴えた政治家は、官僚達の見事な連携による冤罪で、極悪人扱いをされている。
大統領が現場に張り付いていたことについて人気取りと言う人もいますが、チリの場合特別な意味があったと思います。(まあ、人気取りとしても、あれだけ根性入れば立派なもんです。)
大統領は、外国がチリに対して抱くクーデター・軍事政権というイメージを払拭できるだろうと述べていましたが、本当はピノチェト政権下の凄まじい弾圧を経験した国民に対して、権力者が国民の命を奪う側から助ける側に本当に変わったんだよというメッセージを伝えたかったのではないでしょうか。BBCのレポーターがこの救出劇はチリの歴史の分水嶺になるだろう」と言ってたのはそういう意味かなと思って見ていました。
翻ってわが国は、政府から外交官の家族に至るまで「官尊民卑」、国民を守るポーズすらないとは酷いものですね。
ただ、個人的経験から言わせていただくと、共に招待された席で、民間企業駐在員一家からしがないスポーツ団体関係者の我々に対して「同じ日本人と思われたくない。近寄るな。」と言わんばかりの態度をとられた事もありました。
外国人から見たら目糞鼻糞だろうに、この抜きがたい序列意識。「官尊民卑」の根っこは国民一人一人の心中にあるのかもしれません。
本当に、良かったですね。
もし、これが日本でのケースでしたら、企業(鉱山会社)が全力を尽くしたとは思います。
日本の技術のプライドにかけて、救い出したかもしれません。
しかし、その間に、会社は「社会にたいして」謝罪を延々と続け、マスコミは国民を誘導して、やいのやいのと会社側にプレッシャーをかけ続けた事でしょう。
被害者の家族をワイドショーに引っ張り出して、お涙ちょうだいが繰り返された挙げ句に、救出に成功した後も、会社の責任を繰り返し追求される事になり、万一失敗でもしよう物なら、会社は極悪人扱いになりますね。
その間、政府は物質的にも、精神的にも、邪魔する事こそあれ、支援する事は無いと思います。
暗澹たる思いです。
「官尊民卑」の、その『民間』の中でも「序列」を付けての上下関係の構築と、あからさまな「いじめ」と言って良い程の態度を取る意識は、江戸幕府開設以来の『士農工商』による身分の固定化に始まり、ガス抜きの為に『エタ』を更に造り上げた、あの精神構造が、延々と今日まで引き継がれている様です。
<先輩と後輩><役所と民間><年上と年下><大企業と中小企業><本社と下請け>等など、日本人は必ず「自分より弱い」相手を見つけ出して虐めないと、自分の精神状態を保てない様に出来ているのかも知れません。
フジタの社員拘束時にも まったくもって 政府は無関心。たとえ 上海閥何たらという裏事情があろうと あまりにも無関心。それどころか死刑になっても構わないよ。その方が中国を叩きやすいし、ニュースにもなるもんね。ってな感じでしたね。
おにいさまの今回の記事を読んで 何とも言い難い心境になりました。
おにいさまは 筆の力で、私は国民の行動として お互いの強みを活かして 闘いましょう。 でも おにいさま、無理はダメですよ。
私なんか、家事の合間に そのままの格好で、つまり 短パン姿で検察庁に行き 挙げ句の果ては 相談係のオッサンから 「ちょっと ちょっと そこへ行くんなら もって穏やかにね」なんてアドバイス受ける始末。あまりにも横柄だったのは確かだけど。昔の私はもっと恐ろしい人間だったんだ!! 今は丸いんだぞ!!ちゅうの。
賞賛と感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、その一方で、パリ様と同様に日本政府のことを考えてしまいました。
方向性は少々違うかもしれませんが、私が考えたのは北朝鮮に捉えられた拉致被害者のこと。
奇しくも今日は被害者5名が8年ぶりに祖国の地を踏んだ日です。
先日、蓮池透氏の講演を聴いたのですが、この8年間、外務省、国土交通省、警察に何度も何度も足を運び、解放された5名以外の被害者の調査を依頼し、何度も何度も同じ話をし、2~3年後にはまた新人さんが担当になり、再び同じ話を何度も何度も繰り返す、そんな日々だったそうです。
これでは埒が明かないと、法務局の人権擁護課に駆け込んだところ「外国に住む方の人権は扱っていない」との答えだったとか。
信じられない!
では政府は一体何のためにあるのでしょう?まさか自身の金儲け?
これじゃ、コート・ジボアールに駐在した日本人の方が自国の政府に冷たくあしらわれるのも道理かもしれません。
この国は国民を財産と思わず、奴隷としか思わないのでしょう。
本気で国外逃亡か出家したい気分です。。。
もっ、もしかして<元ヤン>?
それだったらオトロチイ。
私なんぞに「筆の力」など有りませんが、昔恐ろしいかった人が、体を張って下さると、何でも出来そうです。
コメントありがとう御座いました。
そうでしたか、もう8年ですか。
「5人返して、8人死亡を通告」で一件落着。
『平壌宣言』を出して両国は和解した。
国際法的には、そういう事になっている訳です。
それで、北朝鮮はそれ以上にしつこく言われる事が堪らないのですよ、きっと。
そこで、増々トンガル事になる。
むしろ、「一切責任追及はしないし、謝罪も要求しないから、と密かに交渉して『ボルネオのジャングルの小村かどこかに密かに連れて行って、有る非突然発見される様にする。
一体何故そんなところに「拉致被害者日本人」がいたのか、誰も分からない。
世紀の大ミステリー。
しかし、見つかって帰ってこられてよかった良かった」
とするべきでは、と真剣に考えます。
謝罪をさせなければ気持ちが晴れないのであれば、取り返した後で、攻めたて続ければ良いのです。
約束違反もクソも無い。
取り返したら勝ちです。
名を捨てて実を取るべき。
拉致被害者の家族もドンドンお歳を重ねられて行くのですから、これ以上「ツッパりあい」をしているのは、見ていられないです。
さすがですね。
でも、私の知る外交官の人達はそんなに天狗の人はいなくて、やはり最近は民間の目を気にして腰が低いですよ。あまり高飛車な物言いをする人はいませんね。
むしろその人達を取り巻く企業の海外駐在員の人達が問題ですよ。彼らは大使館員達をよいしょしすぎます。 事ある毎に「あっ、大使、あっ領事!今度テニスが・・・、今度ゴルフが・・」と、何かと機会を作ってはいっつも揉み手をしながらぺこぺこしてます。 日本人会で・・と言いながら、”大使館員&企業駐在員限定の集い”がしょっちゅうですよ。 それだから、知らずの内に大使館員達も鼻が高くなってしまうんですよね。
私の経験では、大企業の駐在員とその家族の人達の方が鼻持ちなら無いやつが多いですよ。 もちろん彼らも外務省や、政府に対しては不満だらけですよ。でも面と向かって、もう少しこうして欲しいとか、ああして欲しいなんていう人は一人もいませんよ。 まあ、言える訳無いのですよね。癒着してますから。
世界中のどこの日本人社会も階級があって、1級は外交官、2級が企業関係者、そしてJICAや、国連関係者がいればその人達が2.5級、現地にとけ込んで生活してる人はまあ4級か、日本人とは見なされないかってところですね。
4級市民は普段から1級市民の事など当てにしてないけど、2級市民の人達は普段からさんざんよいしょしてるのにいざとなると何にもしてくれないから怒る気持ちも分かりますがね。 さてパリ様は何級市民ですか。
私は「れっきとした」4級市民です。
自信を持って、心に一点の曇りも無し。
そうでなければ、こんなブログ、書けません。
ただ、外交官の中でも、キャリアーから外れている組、例えば駐アルジェリア大使館の書記官などは、とてもフランクです。
やはり、陽の当たるところにばかり居ては、人間と言えども腐ってしまうのでしょう。
「苦労は買ってでもしろ」ですね。
それから、大使館員と大企業の駐在員の「奥様方」が、最低です。
「○○のおくさま」と旦那の役職の記号で呼ばれて、旦那の序列がそのまま女達の序列。
きっと本人達は必死なのでしょうが、見ていて馬鹿みたいです。