晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

山国コート・ダジュールの象徴、山頂に張り付く魅惑の村々。<山里を訪ねる No.2>【日曜フォトの旅】

2013-04-14 21:38:22 | 旅行とレジャー
「コート・ダジュールは山国だった」続編で、再び「鷹の巣の様に」山頂にへばりつく村を訪れよう。


前回は、殆ど観光客が訪れない、本物の「生きた村」をご紹介した。

今回は、「世界のリゾート」コート・ダジュールならではの、有名観光地に挙げられる村々を、ご紹介する。


ニースから「断崖道路(コーニッシュ)」の中段を東に20分も走れば到着する『エズ・ヴィラージュ村』。



     
     「サン・ジャン・キャップ・フェラ岬」を背後に望む『エズ村』



切り立った断崖の真下の「プティット・コーニッシュ(下段道路)」には、『エズ・ボー・ド・メール(海浜のエズ)村』がある。



     
     『エズ村』と『海浜のエズ村』とを共に見下ろす



「モワイヤン・コーニッシュ(中段道路)」の、村の入り口に駐車場があり、そこからそのまま上り坂。

ジグザグに登ると、小さく鍵型に曲がった「城門」がある。


村の中は、階段だらけ。


     


     



この村に、二軒の高級ホテルがある。

何件もの家が、それぞれ客室になっている。



     
     ホテル『シャトー・エザ』の看板


この写真の左下、暗く陰になっているアーチの奥も、この小径の先も、ホテルの客室。


     
     小径の途中左の小さな黒いドアは、客室の一つ


レストランは、一番外側の断崖に向かって、テラスがせり出す様に作ってある。

どの客室も、意匠が異なり古い石組みむき出しの壁が、歴史と情緒をタップリ感じさせてくれる。



階段でなければ、狭い小径がうねる。


     



     


     



山頂は城跡。


     



その「城址公園」のような頂上部だけは入場料が必要となる。

そこは「シャボテン公園」になっている。



     



この村には、ニーチェが滞在した。

断崖絶壁を縫う様に、下の「海浜のエズ村」まで、岩だらけで草薮だらけの小径が、急坂となって続く。

彼が「思索」に耽りながら上り下りしたと言う事で、『哲学の道』と呼ばれているらしい。



     



地中海が眼下に広がり、正に絶景である。



次にニースを挟んで反対側、西側に言ってみよう。

ニースを西に抜けて、カーニュ村当たりから山側に入って行くと、45分程でもう一つの有名な村に至る。

『サン・ポール・ド・ヴァンス村』である。


     
     『サン・ポール・ド・ヴァンス村』



この村も、周囲は城壁に囲まれて居り、入り口は大砲用の狭間が開いた城門で防御されていた。


     
     鍵型に曲がる城門へのアクセス



城門は、単なるドアではなく頑丈な建造物であり、壁面にタイル製の村の遠望図と、見取り図とが掲げられている。


     
     城門の内壁に掲げられた見取り図の遠望図



この村は、世界中の観光客に大人気で、城門から中に入ると細長い村の中央を通る「背骨」の様な<メイン・ストリート>には、アート・ギャラリーやハンド・クラフトの店がずらりと並んでいる。



     



     



     



     



     



中央の通りを先まで抜けると、反対側の城門に至る。


     
     反対側の城門


この城門を出ても、街道には至らない。

引き返す形で、城壁に沿って城壁の外側の道を、入り口の城門に引き返す様になっている。


そして、その城門の外に「墓地」がある。


     
     「サン・ポール・ド・ヴァンス村」の墓地



この墓地に葬られている、最重要人物は『マルク・シャガール』であろうか。

彼は、最晩年この村で余生を過ごし、この墓地に眠っている。


     
     『マルク・シャガール』の墓


墓地を後にして、再び城門をくぐって、中央の通りに平行する外側の道を引き返す。

お花に飾られた、非常に美しい階段状の玄関を持つ民家が有った。


     
     左の階段の上に、もう一つ上の階の住居の玄関も有る



途中の家の壁面に、繰り込みの壁龕が有って、聖人の像が祀られていた。

聖者様の両肩に、鳩が留って寒さを避けていたのが、とても印象的であった。

大司教笏を手にしているので、この村出身の古の大司教様ででも有るのだろう。


     
     聖人と鳩



今週ご紹介した「鷹の巣村」は、観光的で住民の生活感覚は感じ取れない。

前回の『ペイユ』と『ペイヨン』の」様な、一握りの住人達が昔ながらの暮らしを未だに守っている「生きた村」の静けさの方が、観光的で賑やかな「見せ物の村」よりは、ずっと魅力が有る事は語るを待たないと、改めて思った。







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6 コメント

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石畳 (Himbeere)
2013-04-15 07:19:56
パリさま、

今週も楽しませて頂きました。
階段、石畳、歩くのも大変ですし、ピンヒールの靴など、ヘタするとヒールの後ろの皮が剥ける事がありますが、私とても、好きなのです。
この国で一番好きな町が、ザルツブルクなのですが、小路、路地、正にこの様な感じです。落ち着きますね。石畳も、どんどん少なくなって来ておりますね、時代でしょうか・・・。

今週もありがとうございました。世の中虚しい事ばかり、偶にはこの様な所で、心を洗いたいものです。
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小旅行 (ノラ)
2013-04-15 20:20:26
ご紹介頂いた町は昨年行ってきたばかりのところです。確かに観光化されてはいましたが、苦労して行った甲斐がありました。タイムスリップしたようで居心地良く、帰りたくなかったです。嫌なことばかりの続く日本で、パリ様の紀行に触れることで癒されています。
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Himbeereさま。 (時々パリ)
2013-04-16 06:54:18
コメント有り難うございました。
ええっ、もしかしてHimさまは、常にピンヒールなのですか!?
数百年タイムスリップする様な村を歩くときは、草鞋でしょ!!(*^_^*)
ザルツブルクも素敵ですが、何しろここにはあくまで青い空と、輝く太陽と、紺碧の海が同時に楽しめます。
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ノラさま。 (時々パリ)
2013-04-16 06:58:53
コメント有り難うございました。
行かれましたか。
それは良かった。
それに付けても、私が不満に思う事は、日本は「古いもの」を平気で捨て去る事です。
「古い」と言う言葉が否定的に使われる有様。
新しいピカピカで豪華な華麗な物は、お金をかければ出来ますし、手に入ります。
時間が購って来た物は、お金では手に入らない。
人間だって、若者は大人には敵わない筈なのに、日本の町には大人の居場所が無い。
総てに於いて、お子チャマ社会であることが、とっても不満です。
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日本人から???人へ (閻魔)
2013-04-18 13:16:49
数年前エズの高級ホテルに泊まった時(ベットに天蓋がついている)隣の部屋は日本人だったが近年は同じ東洋人でも違う人種だったのです。やっぱりシンデレラ幻想は??人も強いのですね。

いまは観光化されすぎたエズも40年まえは乗合バスでよく遊びにいったもんです。そのころはほんとにひなびたムラって感じでした。しかし絶景だけはむかしのままですけど。

ヴァンスではサンポールというホテルがお手頃価格で雰囲気があります。ありました?かな。
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閻魔様。 (時々パリ)
2013-04-28 07:04:39
コメント有り難うございました。
『天涯付きベッド」と閻魔様とは、あまりにに合わない(爆)
サン・ポール・ド・ヴァンスのホテル『サン・ポール』だったら、15年程前に新規開店した「高級」ホテルが、今でもありますが。
とってもセンスの良いホテルですよ。
真ん中の道の右側に。
それが新規開店以前にあそこに同名のホテルが有ったかどうか、定かでは無いです。
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