晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

19世紀の全欧の貴婦人が憧れた<香りと美の殿堂>『ゲラン』は、今も健在。

2011-01-09 17:53:02 | 歴史と文化
これから、週末に時々<歴史が育んだ「ヨーロッパを代表する」様々の文化>を、ご紹介して行こうと思う。

カテドラルであったり、宮殿であったり、或は「歴史的名店」であったり。


ヨーロッパと言えば、やはりパリのウエートが大きい。
(私が在パリだから、だけでは無く)

その、ヨーロッパの中心であったパリには、ヨーロッパを動かして来た「名店」が、少なくない。

日本語で「ブランド」と言ってしまうと、とたんに<薄汚く>聞こえてしまうので、私はこの言葉は好きでは無い。

歴史の流れの中で、ある一時期を画し、その国の文化形成の流れの中で、文化の一角を形成して来た「各種の」名店は、今日まで世界中で愛され続けて来た。

そして、世界中で愛されて来た背景には、やはりそれだけの理由があったのです。

その『商標』は、<ブランド>などと英語を日本語で誤解して理解している様な、軽薄な物では無い。

『越後屋』
『ミキモト』
『虎屋黒川』




日本にも、探せば多いはず。
創業の背景を知ると、やはり一定の敬意を払って接するべき、そのような「歴史の名店」は、ある意味で、その国の歴史の一要素でもあるのです。


今回は、<香水の名店>『ゲラン』の本店をご紹介します。


世界中の人が、その名前くらいは聞いた事が有る筈の、パリを代表する大通り『シャン・ゼリゼ大通り』の68番地。

     

世界に名前の知られた通りとは言え、ゲランの3代目「ジャック・ゲラン」が店を出した、1914年当時は、まだ町外れの散歩道に毛の生えた程度の場所に過ぎなかった。


創業者のピエール=フランソワ・パスカル・ゲランが1928年にリボリ通りに開業した頃は、<香水>と<ヴィネガー>と<スキン・ケア>を製造販売する店で有りました。

言うまでもなく、これらの3種の商品は、旧来の「薬局」と分離して、しかし旧来の「化粧品製造業」とは一線を画した、産業革命がもたらした『科学と医学」とが結合した、新しい分野の商売だったのです。

『基礎化粧品』等と言う発想は未だ存在せず、科学と医学とで学位を持つ創業者の作る製品は、あっという間にパリを飛び出し、ヨーロッパ中の貴婦人達を虜にしてしまいました。

四半世紀を経ずして、既に各国の王室御用達、帝室御用達のお墨付きを、殆ど獲得してしまっていました。

何しろ、赤ワイン(ボルドー産)入りのリップ・クリームなんて、『ポリフェノール』の知識など無かったその頃に、どれほどの驚きを盛って、受け止められた事かを考えると、驚くべき先進性を感じ取る事が出来ます。

ボルドーのワインの色素。
ボルドーのワインの香り。

に加えて、唇への塗布の感触や、ワインの持つある種の「フェロモン」まで、あらゆる肯定的要素が含まれている訳ですから。

     

三代目のジャックが、この「シャン・ゼリゼ通り」に店を移す時には、結構な反論や非難が降り注いだそうです。

しかし、その後のシャン・ゼリゼ通りの造り上げて来た「特権的知名度」の、さきがけになったのでした。

あの『ルイ・ヴュイトン』も第一号店は、このゲランの店のすぐとなりであったそうです。


この写真は、店内から外の通りを見た角度です。
一階の店内に入ると、以外に<狭い>のに驚かれるでしょう。

しかし、総ては2階に隠されています。


その二階へと誘う階段の直ぐ脇に、創業当時の「香料行李」が飾られています。

       
     
     70の小仕切りに、夫々の「原料」の香料が入れられていた。

     

     ヴァニラの仕切りです。


さて、その階段ですが、何と壁面は「黄金のモザイク」で飾られています。

     

     

     よく見ると、ステップにまで「金の象眼」が。


二階に上ると、ギャラリーの壁面は、黄金のモザイクで眩い事この上無し!!

     

     眩いばかりに輝いて、怪しい雰囲気も。


その奥には、ゆったりとした展示空間が広がります。

巨大なシャンデリアを下に下ろしたような<円形の棚>には、販売している香水のラインナップが、飾られています。

     
    
     どれも、オリジナルの香水瓶が大小並んでいます。

ところで、香水瓶と言う物は、コレクション・アイテムにすらなっている程で、装飾効果に優れた物がありますが、<バッカラ>に、始めて「量産ベース」でクリスタルのボトルをオーダーしたのも、ゲランが始めてでした。
150年前の事です。

     

     ベスト・セラー『シャリマール』のディスプレー。



数々の名品を生み出して来た『ゲラン』の香水の原料である、各種香料も、分かりやすく展示されています。

     

     代表的各商品の後ろに置かれた、主に使われている香料の入れられた硝子の容器。

     

     要所要所に「主な香料」の器も置かれている。

     

     容器のディテール。



それより、『ゲラン』がゲランたる所以は、近代的エステの始まり、と言われる専門的エステが今日まで続けられています。

この店は、「香水店」では有りません。

美肌、アンチ・エイジング、保水、荒れた肌の復元、など「現代のエステ」で行っている事は、ほとんどがゲランに依って始められたのです。

正しく、女性に取って『正義の味方』だったのですね。


何しろ、19世紀社交界のご婦人方の「美肌傾向」に合わせて、『ホワイトニング・スキンケアー』商品が作られていた伝統は、伊達では有りません。

貴女が、普段何気なく使っていらっしゃる、基礎化粧品や、リップ・スティックなどは、総て『ゲラン』が世に出したのです。

先ず「コスメ」のコーナーが有ります。

     

     大きな鏡が有るので分かる通り、自由に試用できます。
     勿論、お店のスタッフに助言を受けながらの方が、遥かに有意義です。


先ず、階段を上って「金の廊下」に入ったら、すぐ奥に「カウンセラー・ブース」が有ります。

     

     飛行機のビジネスクラスのシートの様な『ボックス』が。
     フット・ウォッシャー付き。

適度な距離を置いて、幾つか置かれているボックスで、エステの処置希望のお客樣方の、『問診』、及びお肌の現状チェックを行います。

お客様毎の要望をお聞きして、お肌の具合や健康状態を計って、処置に必要な「材料」を決めるのだそうです。

     

     照明が落とされた、エステ・コーナーに向かうギャラリー。


そして、売り場の雰囲気と打って変わって、静かなギャラリーを進み、奥へと向かえば。。。


奥には、当地に1939年に『エステ・サロン』を開業した時と全く同じに整えられている「個室」が並んでいます。

実は、建物全体が「国の重要文化財」に指定されているので、創業当時と同じ状態を保つのが義務なのだとか。

     

     銅板を打ち出して造られているシンクが、時代を感じさせてくれます。

     


窓からは、新鮮な樹々の緑が直ぐ前に有って、あのにぎやかな『シャン・ゼリゼ通り』に居る事を、すっかり忘れてしまいます。

一応、エステの「固定客」は、それぞれ『カルテ』が造られてて、世界中何処の『ゲラン』のエステ・サロンに言っても、オンラインで検索して、ここ本店と全く同じ処置を受ける事が出来るのだそうです。

普通は、フェイシャル・ケアーと、アンチ・エイジングが主ですが、ボディーのフル・ケアーも時には求められるそうです。


実際には、問診の後で、必要な処置を決め、5回から10回位のコースを設定するのだそうです。

特に、結婚の決まったお嬢様の、結婚式までの半年を利用して、「躯を磨きたい」という依頼が多いとか。


     

     オー・ド・コローニュ・アンペリアルの巨大ボトル。


オーストリア皇后、シシーの愛称で知られる『エリザベート皇妃』や、英国の『ヴィクトリア女王』等の「御用達調香師」の栄を賜った事もさることながら、『ゲラン』の名を最高に高めたのが、皇帝ナポレオン3世の妃『ウージェニー』の為に1853年に造られた香水、『オー・ド・コローニュ・アンペリアル』の大成功でした。

初代ピエール=フランソワ・パスカル・ゲランは、帝室の紋章『ミツバチ』を使用する事が許され、ボトルに69匹ちりばめられました。

この栄により、ロシア皇室、スペイン王室なども、こぞってゲランを「御用達」に指名します。


以来、ミツバチは『ゲラン』社のシンボルとしての地位をっ守っています。


いかがでしたか?

「こんな物、かんけえーねー」等とおっしゃらずに、たまにはこのような<オツムの給油>も必要ですよ。

今後、折に触れて『エルメス』や『バッカラ』などをご紹介して行くつもりであります。
その他、フランス・スペイン・ポルトガル・イタリアなどの文化財も。

お楽しみに(^^)
コメント (14)
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