人間が、人間を裁く。
実際に「神は直接には見えない」以上、そうせざるを得ない。
その為のルールが、しっかり定められている(筈である)。
司法の判断は、客観的な証拠に基づいた、公平なものであらなければならない。
勿論、人間は「神」とは違い、完璧にはほど遠い。
間違いは、多いに起こりうるであろう。
不完全な「人間」が裁く以上、幾重にも渡ったチェック機能を要して、防げる過ちは「防がなければ」ならない。
現世に置ける「神の代理人」を務める「司法」の担当官は、その立場に有る事を実感し、神の代理人として「公平無私」なる裁きに、これ務める訳である。
而して、『司法』の機能とは具現たる、直接の裁きの場は「裁判」である。
その場での「神の代理人」は『判事』と言う事になる筈だ。
裁判の場に至るまでに、各段階を経る事は、ご承知の通り。
先ず、初期段階としての「警察」のおこなう『捜査』が有る。
次に、充分な捜査に依る「証拠固め」に立脚した『逮捕状の請求』と『立件・起訴』の段階へと進む。
そしていよいよ『裁判』となる訳だが、その場での担当官は、『検事』と『判事』と『弁護士』である。
そして<検事>と<弁護士>両者の攻防の課程で、あらゆる証拠が吟味され、考証され、価値を判断するのが『判事』だ。
『神の裁断』は、判事の役目。
ここで、日本の現状を考えよう。
<捜査>と<取り調べ>との段階で、『検事』が大きなウエイトを占めているらしい。
逮捕するかどうかは、検事の裁量。
起訴するかどうかも、検事の裁量。
そして、日本においては「起訴された案件」の99%が、有罪になるらしい。
(先進国唯一の、超高率の有罪率だそうだ)
と言う事は、「起訴する事」=「有罪」を意味し、そこに『判事』の公正なる判断の介入する余地は、既に存在していないのでは無かろうか。
要するに、日本の司法制度に於いては、検事と判事との判断は、最初から「一致している」事になる。
それとも、『判事』は「判断しているつもり」なのか。
結果からすれば、起訴の段階で既に有罪が決まっている事を意味し、判事の役割は、単に「量刑判断」に過ぎない事になる。
そこでは既に、判事は「神の代理人」の役目を放棄している事になる。
しからば、日本の司法制度に置ける「神の役目」を担うのは、『検事』で有る、と言う事だ。
その事の問題点は、今はここでは触れない。
しかし、既存のシステムにより「裁かれる」しか他に選択肢がないのであれば、従うしか無いのが「法治国家」と言うものなのだろう。
(司法制度の根幹を改正するには、長い時間が必要になる事だろうから)
そこで、問いたい。
『検事』は、王なのか。
神の代理人として、地上に置ける「全権」を有しているがために、<何物>に対しても「責任を負う必要がない」王なのか?
それとも。
『検事』は、僕(しもべ)なのか。
つまり、あくまで<国家公務員>として、「国民に奉仕する役割を果たす」だけ、なのか?
日本において、国家公務員が国民に本当に奉仕しているのか、と言う問題もここでは触れない。
▶「うそつかない検事育てる」=小貫新検事長が会見―東京高検(時事見出し)
>先月27日付で就任した小貫芳信東京高検検事長(62)が5日、記者会見し、「今年は検察改革の重要な年になる。第一歩として、(昨年末の)検証結果で示された再発防止策の実現に努力していく」と抱負を述べた。
>小貫氏は、大阪地検特捜部による一連の事件について「自分の描いた構図が正しくて、相手の言うことは間違いだという思い込みがあったのでは」と言及。その上で、「うそをつかない検事を育てなければいけないと痛感した。うそをついてはいけないということが信念に高まるまで、徹底教育することが大事だ」と話した。
【時事通信/1月5日(水)19時32分配信】
何と!
今まで、検事とは「嘘をつくものだ」と、証言しているに等しいでは無いか。
何となんと。
そうだったんだ。
それで、総てが納得出来る。
日本の社会には、あまりにも「不思議な」有罪判決が多いと、予てより納得の行かない事に接して来た。
判決が確定してから、「無罪を主張」し続ける人が、実に多い。
単純に断定は出来ないが、要するにかなりの数で「冤罪が発生している」と見るのには、無理が有るだろうか?
日本の司法制度に於いて、検事の果たす役割がそこまで大きいのなら、「検事が嘘をつく」存在であるのなら、冤罪は多発して当然と言う訳なのだ。
▶<小貫東京高検検事長>「再発防止策履行に努力」会見で抱負(毎日見出し)
>昨年12月27日付で就任した小貫芳信・東京高検検事長(62)が5日、記者会見し「今年は検察改革の重要な年になる。昨年末に最高検が公表した再発防止策を実現して履行することに努力していきたい」と抱負を語った。今年2月から検事長が特捜部の捜査を指揮することについては「高検の違った目で主任検事と同じ証拠を見ながら判断していくことは評価できる」と述べた。
【1月5日(水)20時9分配信】
「高検の<違った目>で主任検事と同じ証拠を見ながら判断」すると言う事は、単に「もう一人の別の検事」も見る、と言う事に過ぎないのでは無いかと言う気がする。
<違った目>が、あくまで<違う価値観の目>でなければ、親検事長の言う事は、意味をなさない。
最終的に「高級官僚」に過ぎない『検事長』としては、自分の領域に手を突っ込まれるのが、気に入る訳は無かろう。
所詮は、公務員が公務員を裁く訳は無い。
所詮は、如何に「外に対して取り繕って見える」様にしながら、「如何に身内を庇う」かだ。
これに尽きる。
今回の検察人事は、あくまで「既得権を守る」為のもの。
『特捜部を潰させるな』
という合い言葉の基での、小賢しい見せかけに過ぎない。
こんな人事を、やすやすと承認する事自体が、『仙谷法務大臣』の面目躍如たるべき事柄である。
なにしろ、「小沢起訴」に執念を燃やしていらっしゃる。
直前で、雲散霧消させてなるものか!
小沢死すべし!
おまけに「尖閣諸島事件」では検察に<借り>があるしなあ。
あの『村木事件』は、公務員が公務員を裁く事件であったからこそ、冤罪が晴らされたのだ。
ノン・キャリアーに責任を負わせておしまい。
あの事件の過程で繰り広げられた、「冤罪のでっち上げ」のシステムを、システムとして検証し、システムとして断罪する事など、とっくに「雲散霧消」してしまっている。
単純に「前田某」と言う主任検事の、個人的な、単発的な「あの場の暴走」に過ぎない、という事件の矮小化に、見事に成功した。
しかし、国民は騙されない。
馬鹿を言う出ない。
アレが、その場限りの「特異な例」であった筈がないでは無いか。
巷にあふれる「冤罪の発覚」が、如実に証明している。
あくまで、日本の「検察組織」というシステムの「性格」が垣間見えた事件であった。
『氷山の一角』
あの事件が、百歩譲って、前田某のしでかした「単なる例外」事件だったとしたいのであれば、すくなくともも『前田某』が担当した捜査の総ては、検証するべきであろう。
する訳は無い。
何しろ「陸山会事件」の捜査も、この『前田某』が担当しているのだから。
検証など、出来る訳が無い。
万が一にでも、「陸山会事件」の捜査を蒸し返す事にでもなったら、日本中がひっくり返る程の大騒ぎは、必定。
それをやらせない為に、『大林宏検事総長』は、詰め腹を切ってみせた。
『九センマンえん』の退職金を手に。
ほとぼりが冷めたら、第三国に設置された「ナントカ研究所」に主任研究員なんて肩書きで、「スウセンマンエン」の年収で数年間「遊学し」、その後どこかの一等国の大使を拝命するに違いない。
霞ヶ関恐るべし!
小沢の復権こそが急務である。
▶小沢氏政倫審出席なら全面公開を…岡田幹事長(読売見出し)
>民主党の岡田幹事長は5日夜、インターネットサイト「ニコニコ動画」の番組で、小沢一郎元代表が衆院政治倫理審査会(政倫審)に出席した場合の対応について「フルオープンにするのが一番いい」と述べ、テレビ中継などで全面公開すべきだとの考えを示した。
【読売新聞/1月6日(木)0時9分配信】
面白いじゃないか。
やって頂きましょう。
編集や恣意的カットの出来ない、WEBカメラを入れて、全編フル公開して頂きましょう。
参考人として、西松の専務、前田某「主任検事殿」、及び、「起訴するに至らなかった」責任者である、前検事総長、東京地検特捜部長も招致して、全面的に明らかにしようでは有りませんか。
勿論、「第五東京検察審査会」の11名、その会合を仕切った地検担当者も、総て招致するべし。
だって「政治とカネ」の問題から、完全に解き放たれたい「民主党」だったでしょ。
そこまでやらなくては、何も解決致しません。
大いにやろう。
ついでに、その場を「強制起訴裁判」の法廷にしてしまえ!
「検事は嘘をつく」と言う自事を、天下に知らしめるべし。
泥縄で始めた「取り調べ可視化法案」なんて、抜け穴だらけの「付け焼き刃」で「小手先の」法案で、司法改革なんぞ出来る若が無い。
「検事は嘘をつく」
その事を前提に、抜本的に、ラディカルに、改革を実行して頂きたいのです。
検事は「全知全能の権力者=王」では無く、「しもべ=公務員」である事を認識させなけばなりません。
自称「司法界のあばずれ」、仙谷法務大臣殿!
できるかな?
実際に「神は直接には見えない」以上、そうせざるを得ない。
その為のルールが、しっかり定められている(筈である)。
司法の判断は、客観的な証拠に基づいた、公平なものであらなければならない。
勿論、人間は「神」とは違い、完璧にはほど遠い。
間違いは、多いに起こりうるであろう。
不完全な「人間」が裁く以上、幾重にも渡ったチェック機能を要して、防げる過ちは「防がなければ」ならない。
現世に置ける「神の代理人」を務める「司法」の担当官は、その立場に有る事を実感し、神の代理人として「公平無私」なる裁きに、これ務める訳である。
而して、『司法』の機能とは具現たる、直接の裁きの場は「裁判」である。
その場での「神の代理人」は『判事』と言う事になる筈だ。
裁判の場に至るまでに、各段階を経る事は、ご承知の通り。
先ず、初期段階としての「警察」のおこなう『捜査』が有る。
次に、充分な捜査に依る「証拠固め」に立脚した『逮捕状の請求』と『立件・起訴』の段階へと進む。
そしていよいよ『裁判』となる訳だが、その場での担当官は、『検事』と『判事』と『弁護士』である。
そして<検事>と<弁護士>両者の攻防の課程で、あらゆる証拠が吟味され、考証され、価値を判断するのが『判事』だ。
『神の裁断』は、判事の役目。
ここで、日本の現状を考えよう。
<捜査>と<取り調べ>との段階で、『検事』が大きなウエイトを占めているらしい。
逮捕するかどうかは、検事の裁量。
起訴するかどうかも、検事の裁量。
そして、日本においては「起訴された案件」の99%が、有罪になるらしい。
(先進国唯一の、超高率の有罪率だそうだ)
と言う事は、「起訴する事」=「有罪」を意味し、そこに『判事』の公正なる判断の介入する余地は、既に存在していないのでは無かろうか。
要するに、日本の司法制度に於いては、検事と判事との判断は、最初から「一致している」事になる。
それとも、『判事』は「判断しているつもり」なのか。
結果からすれば、起訴の段階で既に有罪が決まっている事を意味し、判事の役割は、単に「量刑判断」に過ぎない事になる。
そこでは既に、判事は「神の代理人」の役目を放棄している事になる。
しからば、日本の司法制度に置ける「神の役目」を担うのは、『検事』で有る、と言う事だ。
その事の問題点は、今はここでは触れない。
しかし、既存のシステムにより「裁かれる」しか他に選択肢がないのであれば、従うしか無いのが「法治国家」と言うものなのだろう。
(司法制度の根幹を改正するには、長い時間が必要になる事だろうから)
そこで、問いたい。
『検事』は、王なのか。
神の代理人として、地上に置ける「全権」を有しているがために、<何物>に対しても「責任を負う必要がない」王なのか?
それとも。
『検事』は、僕(しもべ)なのか。
つまり、あくまで<国家公務員>として、「国民に奉仕する役割を果たす」だけ、なのか?
日本において、国家公務員が国民に本当に奉仕しているのか、と言う問題もここでは触れない。
▶「うそつかない検事育てる」=小貫新検事長が会見―東京高検(時事見出し)
>先月27日付で就任した小貫芳信東京高検検事長(62)が5日、記者会見し、「今年は検察改革の重要な年になる。第一歩として、(昨年末の)検証結果で示された再発防止策の実現に努力していく」と抱負を述べた。
>小貫氏は、大阪地検特捜部による一連の事件について「自分の描いた構図が正しくて、相手の言うことは間違いだという思い込みがあったのでは」と言及。その上で、「うそをつかない検事を育てなければいけないと痛感した。うそをついてはいけないということが信念に高まるまで、徹底教育することが大事だ」と話した。
【時事通信/1月5日(水)19時32分配信】
何と!
今まで、検事とは「嘘をつくものだ」と、証言しているに等しいでは無いか。
何となんと。
そうだったんだ。
それで、総てが納得出来る。
日本の社会には、あまりにも「不思議な」有罪判決が多いと、予てより納得の行かない事に接して来た。
判決が確定してから、「無罪を主張」し続ける人が、実に多い。
単純に断定は出来ないが、要するにかなりの数で「冤罪が発生している」と見るのには、無理が有るだろうか?
日本の司法制度に於いて、検事の果たす役割がそこまで大きいのなら、「検事が嘘をつく」存在であるのなら、冤罪は多発して当然と言う訳なのだ。
▶<小貫東京高検検事長>「再発防止策履行に努力」会見で抱負(毎日見出し)
>昨年12月27日付で就任した小貫芳信・東京高検検事長(62)が5日、記者会見し「今年は検察改革の重要な年になる。昨年末に最高検が公表した再発防止策を実現して履行することに努力していきたい」と抱負を語った。今年2月から検事長が特捜部の捜査を指揮することについては「高検の違った目で主任検事と同じ証拠を見ながら判断していくことは評価できる」と述べた。
【1月5日(水)20時9分配信】
「高検の<違った目>で主任検事と同じ証拠を見ながら判断」すると言う事は、単に「もう一人の別の検事」も見る、と言う事に過ぎないのでは無いかと言う気がする。
<違った目>が、あくまで<違う価値観の目>でなければ、親検事長の言う事は、意味をなさない。
最終的に「高級官僚」に過ぎない『検事長』としては、自分の領域に手を突っ込まれるのが、気に入る訳は無かろう。
所詮は、公務員が公務員を裁く訳は無い。
所詮は、如何に「外に対して取り繕って見える」様にしながら、「如何に身内を庇う」かだ。
これに尽きる。
今回の検察人事は、あくまで「既得権を守る」為のもの。
『特捜部を潰させるな』
という合い言葉の基での、小賢しい見せかけに過ぎない。
こんな人事を、やすやすと承認する事自体が、『仙谷法務大臣』の面目躍如たるべき事柄である。
なにしろ、「小沢起訴」に執念を燃やしていらっしゃる。
直前で、雲散霧消させてなるものか!
小沢死すべし!
おまけに「尖閣諸島事件」では検察に<借り>があるしなあ。
あの『村木事件』は、公務員が公務員を裁く事件であったからこそ、冤罪が晴らされたのだ。
ノン・キャリアーに責任を負わせておしまい。
あの事件の過程で繰り広げられた、「冤罪のでっち上げ」のシステムを、システムとして検証し、システムとして断罪する事など、とっくに「雲散霧消」してしまっている。
単純に「前田某」と言う主任検事の、個人的な、単発的な「あの場の暴走」に過ぎない、という事件の矮小化に、見事に成功した。
しかし、国民は騙されない。
馬鹿を言う出ない。
アレが、その場限りの「特異な例」であった筈がないでは無いか。
巷にあふれる「冤罪の発覚」が、如実に証明している。
あくまで、日本の「検察組織」というシステムの「性格」が垣間見えた事件であった。
『氷山の一角』
あの事件が、百歩譲って、前田某のしでかした「単なる例外」事件だったとしたいのであれば、すくなくともも『前田某』が担当した捜査の総ては、検証するべきであろう。
する訳は無い。
何しろ「陸山会事件」の捜査も、この『前田某』が担当しているのだから。
検証など、出来る訳が無い。
万が一にでも、「陸山会事件」の捜査を蒸し返す事にでもなったら、日本中がひっくり返る程の大騒ぎは、必定。
それをやらせない為に、『大林宏検事総長』は、詰め腹を切ってみせた。
『九センマンえん』の退職金を手に。
ほとぼりが冷めたら、第三国に設置された「ナントカ研究所」に主任研究員なんて肩書きで、「スウセンマンエン」の年収で数年間「遊学し」、その後どこかの一等国の大使を拝命するに違いない。
霞ヶ関恐るべし!
小沢の復権こそが急務である。
▶小沢氏政倫審出席なら全面公開を…岡田幹事長(読売見出し)
>民主党の岡田幹事長は5日夜、インターネットサイト「ニコニコ動画」の番組で、小沢一郎元代表が衆院政治倫理審査会(政倫審)に出席した場合の対応について「フルオープンにするのが一番いい」と述べ、テレビ中継などで全面公開すべきだとの考えを示した。
【読売新聞/1月6日(木)0時9分配信】
面白いじゃないか。
やって頂きましょう。
編集や恣意的カットの出来ない、WEBカメラを入れて、全編フル公開して頂きましょう。
参考人として、西松の専務、前田某「主任検事殿」、及び、「起訴するに至らなかった」責任者である、前検事総長、東京地検特捜部長も招致して、全面的に明らかにしようでは有りませんか。
勿論、「第五東京検察審査会」の11名、その会合を仕切った地検担当者も、総て招致するべし。
だって「政治とカネ」の問題から、完全に解き放たれたい「民主党」だったでしょ。
そこまでやらなくては、何も解決致しません。
大いにやろう。
ついでに、その場を「強制起訴裁判」の法廷にしてしまえ!
「検事は嘘をつく」と言う自事を、天下に知らしめるべし。
泥縄で始めた「取り調べ可視化法案」なんて、抜け穴だらけの「付け焼き刃」で「小手先の」法案で、司法改革なんぞ出来る若が無い。
「検事は嘘をつく」
その事を前提に、抜本的に、ラディカルに、改革を実行して頂きたいのです。
検事は「全知全能の権力者=王」では無く、「しもべ=公務員」である事を認識させなけばなりません。
自称「司法界のあばずれ」、仙谷法務大臣殿!
できるかな?