joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

はぁ…

2010年10月27日 | 日記
あいかわらず、

「科学技術は二位ではだめというのは、科学のことが分かっていない」

という居丈高な発言が多いので一言。


大学に予算を多く配分するのがいいのか悪いのか、そんなことは誰にもわからない。


優秀な研修者に予算を配分することは正しいかもしれないが、


それは研究予算を増やさなくても、


日本から無駄な大学を排除するだけでいいかもしれないからだ。


大学の正当性は、


学校で教科を学ぶことは正しいという信念に支えられている。


しかし、当たり前のことだが、社会で生きていくために教科が支える部分というのはごく一部にすぎない。


それでも社会が工業生産主体である間は、教科を学ぶことが社会生活のベースになるという信念が信じられていたが、


早晩その信念は崩れていくだろう。


そうなると教科教育の有効性は信ぴょう性を失い、それは同時に大学の正当性を崩すことにもなっていく。


大学が存在することがおかしいと言っているのではない。ただ、誰にとっても必要なわけではないし、今信じられているほど社会を支える唯一無比の存在ではないことが明らかになるだけだ。


大学に通う学生のほとんどは、


大学に通うこと自体を本当に必要としているわけではないし、


大学の研究者のほとんどは、


研究が天職でもない。


教科を学ぶことは人間にとって大切であるという社会的な思いこみによって大学という存在は支えられ、


そこに大学があるから、


多くの若者が大学に通い、


多くの人が大学に職を求めているにすぎない。


そのことを見つめた上でなければ、研究予算はどれぐらいが適切かという問題について、


決定的なことは言えないのだ。


利害関係のある人が大学に予算が必要であることを訴えるのは、誠実ではないが、正直な行動だ。


だが、訳知り顔で、自分が世の中の仕組みを知っているかのような顔をして、研究予算を要求する姿は、鼻白んでしまう。

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