Nodame Cantabile の3巻では、ドイツから来た有名指揮者シュトレーゼマンからchiakiがついに教えを受けること認められます。シュトレーゼマンは音大の学生たちから自分で学生をチョイスして「Sオーケストラ」を組織しますが、そこに千秋もアシスタントとして参加することになりました。
「Sオケ」のメンバーたちがが音大の試験で苦しんでいる時、千秋はほとんどの試験を終え、シュトレーゼマンの前でピアノのレッスンを受けています。しかし、早く六本木のクラブで遊びたいシュトレーゼマンは、さっさとレッスンを切り上げようとします。
Stresemann: I get bored waiting for everyone to finish the exams.(みんなが試験を終えるのを待つのは疲れました) Let's go up kick our heels... ...at Club One More Kiss!
Chiaki: Is a teacher supposed to say that...? (それが教師の言う言葉ですか?)
(p.8)
kick up one's heels とは、「ふざけ回る;楽しく時を過す」という意味ですね。シュトレーゼマンは千秋を夜遊びに誘っているわけです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コントラバスのさくらは、お父さんが会社経営に失敗してビンボーになったため、学費のためにバイトをしなければなりません。しかし、音大の学費を稼ぐためにバイトをしているために、音楽の練習ができないという状態です。
さくらの家は借金を抱え、母親もパートに出ており、両親はさくらにも働いて欲しいと思っています。しかしさくらは、コントラバス奏者になるという夢を諦めることができません。さくらはのだめに自分の本当の夢を語ります。
Sakura: My parents want me to get job. But I want to study abroad. (親は私に働いて欲しいのだけど、でも私は外国で勉強したい) Truth be known.
(p.57)
最後の文章は、if (the) truth be known [told] (「本当のことを言うと」)という成句の省略形ですね。
ここではtruthに対するbe動詞の現在形 is も、あるいは過去形 was も使われていません。つまり時制による限定が文章に加えられていません。
時間という限定を受けないということは、この truth be known 「真実が知られる」ということが、実際に起こった出来事ではないからなのでしょう。
そうではなく、純粋に仮定として、「…なら」と言いたいので、原形beが使われているのだと思います。
「もし過去にそうなっていたら・・・」と言いたいときは仮定法過去(or過去完了)を使います。また「将来にそのことが起きるなら」というニュアンスを込めたいときは、if節の中に現在形かwillあるいはbe going toを使います。
しかし truth be known と言うときは、「真実が知られる」ということがそのように実際に起きるということを全く考えずに、純粋な仮定(一般論)というものを話者は表現したいのだと思います。
「Sオケ」のメンバーたちがが音大の試験で苦しんでいる時、千秋はほとんどの試験を終え、シュトレーゼマンの前でピアノのレッスンを受けています。しかし、早く六本木のクラブで遊びたいシュトレーゼマンは、さっさとレッスンを切り上げようとします。
Stresemann: I get bored waiting for everyone to finish the exams.(みんなが試験を終えるのを待つのは疲れました) Let's go up kick our heels... ...at Club One More Kiss!
Chiaki: Is a teacher supposed to say that...? (それが教師の言う言葉ですか?)
(p.8)
kick up one's heels とは、「ふざけ回る;楽しく時を過す」という意味ですね。シュトレーゼマンは千秋を夜遊びに誘っているわけです。
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コントラバスのさくらは、お父さんが会社経営に失敗してビンボーになったため、学費のためにバイトをしなければなりません。しかし、音大の学費を稼ぐためにバイトをしているために、音楽の練習ができないという状態です。
さくらの家は借金を抱え、母親もパートに出ており、両親はさくらにも働いて欲しいと思っています。しかしさくらは、コントラバス奏者になるという夢を諦めることができません。さくらはのだめに自分の本当の夢を語ります。
Sakura: My parents want me to get job. But I want to study abroad. (親は私に働いて欲しいのだけど、でも私は外国で勉強したい) Truth be known.
(p.57)
最後の文章は、if (the) truth be known [told] (「本当のことを言うと」)という成句の省略形ですね。
ここではtruthに対するbe動詞の現在形 is も、あるいは過去形 was も使われていません。つまり時制による限定が文章に加えられていません。
時間という限定を受けないということは、この truth be known 「真実が知られる」ということが、実際に起こった出来事ではないからなのでしょう。
そうではなく、純粋に仮定として、「…なら」と言いたいので、原形beが使われているのだと思います。
「もし過去にそうなっていたら・・・」と言いたいときは仮定法過去(or過去完了)を使います。また「将来にそのことが起きるなら」というニュアンスを込めたいときは、if節の中に現在形かwillあるいはbe going toを使います。
しかし truth be known と言うときは、「真実が知られる」ということがそのように実際に起きるということを全く考えずに、純粋な仮定(一般論)というものを話者は表現したいのだと思います。
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