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今の生活では、スムーズに行ったときで一日に7時間くらい勉強します。とくに何かに集中して勉強しているわけではないのですが。語学だったり、本を読んだり、両方を兼ねたり。
毎日そうしていると疲れてきて、たまに何もしたくなくなるときもあります。
今日は、別の要因で夕方頃から何も手がつかなくなりました。ある組織から手紙が送られてきて、2万円強を払うようにとのこと。
僕はてっきりそれは払わなくてよいと思っていたので、とても動揺しました。胸がどきどきします。
それを払わなければどうなるのか分かりません。社会的に排除の眼差しを向けられたりする怖れも感じます。
あるいは払わなくてもなんの影響もないのかもしれません。
また別の組織からももっと多額の請求が来るかもしれないという怖れも同時に湧き起りました。
以前ある人が、
「お金というのはスピリチュアルなもの」
と言っていました。それがどういう意味なのかじつはいまだに僕には分かりません。
お金とは、僕の場合はつねに欠乏感と結びついているかもしれません。
普通の、あるいは経済的に下層の家庭に育つと、お金とは「キツキツ」した感じで守るもの、という感じだと思います。それは、自分からお金を生み出す、あるいはお金の流れを作り出す知恵がないと思い込んでいるので、自分がお金をもつには入ってきた「なけなし」のお金を出て行かないように両手・両腕でぎゅっと握り締めているべきものなのです。
でも、水と同じで、どんなに両手・両腕を組み合わせても、スルスルと水(お金)は出て行ってしまいます。
涼風
Rumikoさんのブログもいつも読ませてもらっています。
このブログでいつからか自分の思いつくことを文法を無視してそのまま書くようになりました。支離滅裂だろうなと思いながらも、“ちゃんとした”文章を書くのが窮屈になってしまって。
それでも読んでもらえて嬉しいです。
私は、回りくどくなるのですね。。。
はぁ・・・