joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

ひとそれぞれ

2005年03月05日 | 語学
もう一つブログを新しく作ってみました。ドイツの新聞などの記事を紹介するサイトです。思いつきでぱっぱっと作ってみたのだけど、なんだか疲れました。

まず、今回はライブドアのブログで作ってみたのだけど、勝手が違うからか、なかなかスムーズにサイトが作成できない。作り方の説明にも一般的でない用語をたくさん使っていて、あまり初心者には親切じゃない感じがした。僕がgooに慣れているからかもしれないけど、はじめてブログをする人には別の方がいいのかも。

そうは言っても、慣れるとまた良さが分かるかもしれないですけどね。

あと、新聞記事を日本語で要約したりするのも、ちょっと時間がかかったかな。毎日続けるのはしんどいかも。

いつまで続くか分からないのですけど、一定期間続いて、これからも続けられそうだと、ブックマークに加えたいと思います。


でも、ただ海外の新聞の記事を紹介するという内容自体は、もう貴重じゃないですね。翻訳ソフトはまだ英語ぐらいしか廉価で出回っていないけど、そのうち各国語が安く手に入るのでしょう。すると、外国語を勉強しなくても海外の新聞を読むことはどんどん当たり前になるし、もうすでになっている。

なのに、なぜいまだに世間は英語ブームなのでしょう。そのうち自動通訳機なんてのもできるだろうに。

僕も語学を勉強しているけど、それは何かに役立てたいというより、語学学習自体が一種のゲームのように感じられて面白いから昨年から英語を勉強しています。

でも、ビジネスのような限られた場面で使われる外国語であれば、専門用語に対応する翻訳・通訳マシーンはこれからもっと性能アップすると思う。

神田昌典さんは、英語は完璧にマスターすることはあきらめて、自分の関心にかかわる範囲の単語の習得に励めば、わずかな単語数で足りると、昨年の著書『お金と英語の非常識な関係』
で書いていました。それは僕もそうだと思います。たとえビジネスでも、海外の人も、相手が日本人なら手加減してしゃべるだろうし。

それにそれほど語彙がなくても、相手が外国の人でも、気の合う人とはコミュニケーションは成立すると思う。これは僕の体験からの印象です。もちろん、日本人同士のようには行かない。だけど、それだけに、ほんとに伝えたいことをだけをシンプルに伝え合うコミュニケーションになって友達になれるのです。

それに、言葉を完璧に理解すれば友達になれるのなら、わたしたちはすべての日本の人と仲良くなっているはずだけど、現実は違いますからね。


とは言っても、「ネイティブスピーカーシリーズ」の英語学者大西泰斗さんなんかは、1000語や2000語で英会話ができると思ったら大間違い。深い内容のことを話したければやはりもっともっとたくさん語彙力を増やすべき、と言っています。

こういうもんだいはどうなのだろう?

夏目漱石は、ロンドンに5年いて、でも「英語なんてわかるわけがない。イギリス人のように英語の本を読めるわけがない」と悟った時点で留学を切り上げたそうです。

日本で一番ドイツ語がうまいといわれている三島憲一さんも、「外国語なんか勉強するな。一頁に一つでも分からない単語があるなら、その言葉をまったく分からないのと同じなんだ」と言っていました。

僕に知る範囲では、ものすごく語学ができる人ほど、語学に対して謙虚です。それに、そういう人ほど、語学だけできても仕方がないと冷めています。それよりも、たとえ語学ができなくても、深い内容について考え話すほうが大切だと感じているようでした。

中谷彰宏さんも、著書『昨日と違う自分になる「学習力」』
の中で、1冊の洋書を読むよりも、その時間を使って10冊の日本語の本を読むことが大事だと言っています。


うーーん。


でも、なんでもそうだけど、最後は人それぞれで結論を出すしかありません。語学ができるのもすばらしいし、できなくてもすばらしい、そういうものなんだと思います。一番大切なのは、コンプレックスにとらわれないことですね。


涼風


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