joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

もし、わかるとしたら…

2004年08月16日 | reflexion
嫌いな人がいて、その人への恨みで悩んでしまうとき、「もし分かるとしたら、あの人の真実の姿はどういうものだろう?」とたずねてみます。

わたしにとって嫌いな人は、悪意があり、残忍で、他人を虫けらのようにあつかう悪魔です。もちろん、それはほんとうに相手の人の一部かもしれません。だって、わたしにもそういう部分があるのですから、嫌いなあの人にそういう部分があっておかしくないでしょう。

では、もう一度じぶんに聞いてみます。他人に悪意を持っているじぶんをわたしは好きでしょうか?悪意をもっているときのわたしはしあわせでしょうか?そして、残忍な部分をもっているわたしには、そうじゃないところがないでしょうか?

もしわたしが、本当は悪意ではなく、平和に満たされていたいなら、嫌いなあの人もそうでしょう。

もちろん、悪意をもつことは楽しい。人をいじめるのは楽しいですね。悪口も、ケンカも、楽しいですね。

しかし、もしそうした楽しさの誘惑を手放し、平和でみたされることができるのなら、誰でもそうしたいのではないでしょうか。

誰にとっても、平和への道は険しく、他人を攻撃することはいつも簡単です。しかし、わたしが平和を望んでいるのなら、嫌いなあの人も(じつは)平和を望んでいるでしょう。

もし、わかるとしたら、嫌いなあの人は、平和を望んでいます。


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