joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

旅を楽しむ方法

2006年09月27日 | 絵画を観て・写真を撮って


僕は旅行というものをほとんどしません。先立つものが・・・という想いもあるけれど、「旅行に行こう!」という気力も基本的に湧いてこないのです。

だから、国内で旅行した場所というのはほとんどありません(ちなみに住んだことのあるのは国内で5ケ所。父は転勤族じゃないです)。

でも、数年前にドイツに一年半留学していたときは、「せっかくヨーロッパにいるのだから、いろいろな所に行かなければならないのではないだろうか」という軽い強迫観念に囚われて、いくつかの場所に無理やり旅行しました。

でも、それまでろくに旅行したことがなかったので、全然旅行を楽しむことが下手でした。

朝食も昼食も夕食も、どうやって食べるのかつねに考えないとだめだし、コーヒーを飲みたくなったら喫茶店に入らなければならないし、毎日同じ服ばかり着ているし(普段別におしゃれでもないのだけれど)、洗濯しなくちゃならないし(石鹸でゴシゴシ)、何時に汽車に乗るのか調べなきゃならないし、その日に何をするか、「有意義」な計画を立てなきゃならないし。

それで結局、適当に町並みをぶらぶら見る以外は、美術館に入る以外に思いつきません。でも美術館なんて普段行かないよ。だけど旅行したら美術館・博物館に行くものだと思って、じっと「鑑賞」しています。まぁ、それはそれで感動することもあるのですが、結局一日中歩き回って毎日くたくたになって、自分の住んでいるところに戻るときの列車では「これで解放される」という気分にもなりました。

というように僕は旅行がとても下手です。

何が言いたいかというと、でも最近デジカメで町並みを写真に取るようになって、歩くことに楽しみが一つ加わったので、旅行をしても楽しみが増えて、それなりに楽しめるのじゃないかと思ったということです。

無理に美術館に入らなくても、ぶらぶら歩いて写真を撮れば、それなりにその土地を楽しめるんじゃないかと。もともと散歩は好きですから。


涼風

一眼レフに触る

2006年09月17日 | 絵画を観て・写真を撮って


先日ブログに載せている写真をほめられて嬉しかったので、家電屋に寄ったついでに(生まれて初めて)「一眼レフ」のカメラを見てみました。

僕はデジカメが普及する前にカメラを持ったことがないし、デジカメが普及してからもデジカメを買ったことがないし、今使っているデジカメも本来は父親のものです(僕ばっかり使っているけど)。

なのでデジカメの種類は何も分かりません。お店のカメラを見ていて、とりあえず、コンパクトデジカメと一眼レフデジカメがあること。一眼レフ=デジカメではなくて、「一眼レフデジカメ」というものがあることがなんとなく想像できました。

その「一眼レフデジカメ」は大きい。大きいしなぜかどれも黒色です。これはなぜなんだろう?コンパクトデジカメはどれも銀色なのに、なぜ一眼レフはどれも黒色なのだろうか?

それはともかく、一眼レフデジカメを手にとってみると、重い。コンパクトデジカメに比べてはるかに重いです。この重いカメラをもって歩くには、やはりそれなりに「写真を撮るんだ」という意気込みが必要のように思います。

またお値段もやはり高めですね。

後、コンパクトデジカメと一眼レフでどのくらい写真に差が出るんでしょうね。

と思っていたら、シンクロするように、宝彩有采さんのメルマガが送られてきて、次のように述べられていました。

「さて、最近のデジカメの進歩は著しいですね。
コンパクトなカメラでもきれいに写りますし、
なんと言ってもフィルムも焼きつけも不要ですから、便利です。

とはいっても、以前良く使っていた一眼レフで撮った写真のようにはいきません。
やはり、レンズが違います。以前は、望遠とか、広角とかを使い分けて、構図や絞りをきめて、
一枚一枚真剣に写真をとっていました。
ですから、出来上がった写真も、なんとなく、趣があって下手なりに、自己満足の世界がありました。」

<宝彩有菜のメールマガジン>

というので、やはり分かる人には明らかな違いがあるみたいです。写真に明らかな違いがあるのかな。

とりあえずはコンパクトデジカメで写真を撮る楽しみをもっと体験してから(今でも楽しいのだけど)、次のことを考えることにします。


涼風

朝の緑

2006年06月09日 | 絵画を観て・写真を撮って


一昨日の朝、珍しく早起きしました。お腹が減っていたので、ココアにパン1枚にオレンジを食べてもまだ満たされず、さらにロールケーキを二切れ食べました。そんなにクリームのついていない、コンビニで売っているようなパンだけれど、さすがに朝から甘いものを沢山食べたなぁという感覚(からだに脂肪が増えていくような)と罪悪感につきまとわれたので、軽くウォーキングすることにしました。

湿度も低く、陽射しも差し、空は青く、世界がオレンジ色で輝いているみたいで、まぁなんていい天気なのでしょう。

デジカメで写真を撮るようになってから気づいたことですが、日本の町では(おそらく大都市以外は世界中同じでしょうが)緑があふれています。それは町の区画整理で行政が意図的に植えたものでもあるし、元々自然の中を無理やり切り開いて家を建てたため隙間から覗いている緑でもあるし、各家庭が植木鉢に植えた花でもあります。

どの家にもじつに多くの花が世話をされているんですね。今まで知らなかったけど、日本の人の(あるいは人々の)多くが種を蒔き、水をやり、土を買ったりして花の世話をしているんですね。本当に本当に毎日毎日信じられないほどの多くの人が多くの花を世話しているんじゃないでしょうか。でなければ、歩いてあれだけ多くの花に遭遇することはできません。

朝の気持ちのいい空気と太陽の光の中で、それらの緑はとても輝いて映っていました。“What a wonderful world!”という有名な歌がありますが、あの歌もきっと朝の緑を見て書かれたんじゃないでしょうか。


時間的に学校に子どもたちが行く時間でした。大人も子供も、一人でも多くこの朝の素晴らしさを日々実感しているなら、それは素晴らしいことではないでしょうか。


涼風

今日のうれしかったこと

2006年05月02日 | 絵画を観て・写真を撮って


私の親が購入したデジカメとプリンタではじめて印刷しました。デジカメプリントはややこしいとTOKIOの彼とキキキリンがプロパガンダしているけど、やってみれば簡単じゃん!こんなに簡単でいいのだろうかと思うぐらいあっという間に印刷してくれました。

プリンタはCanon コンパクトフォトプリンター SELPHY CP510なんですが、アマゾンで見てみるとそんなに高くないですよね。量販店ならもっと安いのかな。でもとってもきれいに印刷してくれましたよ。文明の利器って素晴らしい!!!

なんだか写真が身近に感じた瞬間でした。


涼風

写真と日常

2006年04月06日 | 絵画を観て・写真を撮って


肉眼で風景を見るとき、わたしたちは自分の惹かれるものに・気になるものにフォーカスします。なので、それ以外のものが目に入らないので、自分のフォーカスしているものの良いところ・気になるところだけが浮き上がり、その際に感動を覚えたり強い印象を感じたりします。

しかしそれを写真に撮ると、自分のフォーカスしていなかった周りの背景も一緒に入ります。

自分のフォーカスしているものが、自分の関心によって浮き上がった“何か”であるとすれば、自分の関心外にあった背景はその“何か”のない退屈な日常です。

写真を撮ると、自分の関心があったその“何か”が退屈な日常の一部に取り囲まれ、そこにあった神秘性が奪われ、すべて退屈なものに変わっています。

僕は「写真」という分野について全く知らないし、有名な写真家の名前も知りません。

一流の写真家というのは、上で言ったような日常の退屈さにとらわれず、肉眼の感動と写真とは別のものであることを意識し、あくまで写真としての感動という固有の美的領域を感覚ででも分かっている人のことを言うのでしょうか?

涼風

写真

2006年03月31日 | 絵画を観て・写真を撮って


写真を撮っていて想うのは、肉眼で見た世界と写真の世界とは全く違うのだということ。

僕は生まれてから自分のカメラを持ったこともなく、今もないのだけど、親が買ったデジカメで写真を最近撮っています。

撮る前は、たんに見て「いいなぁ」と想う風景とかを写真にすればその感動は残るものだと思っていました。

ふだん私たちは、何気ない風景、ありふれた道路、家々、木々とかを見て、何となく“日常の味わい”みたいなものを感じて、大きく感動しなくても「あぁ、いい感じ」と思うことが多いのだと思います。

例えば夕方の駅前。目の前に広がる道路。そんなありふれたものを見ても、そこに何がしかのよさを感じるものだと思います。

でもそういうものを写真に撮っても、何も面白くない。肉眼で見たいい風景が、デジカメで見直すとすごく退屈な写真になっているのです。

写真というのは残酷です。

涼風

gooブログでは画像は1MB以下

2006年03月26日 | 絵画を観て・写真を撮って


僕はどんな写真でもブログに載せられると思っていたのですが、gooブログでは1MB以下の画像しか載せられないようです。この情報量の差は、やっぱりカラーの多さや色の深さで変わるのかな?花の写真とか撮ってもブログに載せられないのです。残念。

1MB以上の写真でも載せられる方法はあるのかな?

涼風

デジカメを買う

2006年03月16日 | 絵画を観て・写真を撮って


プリンタ付きでデジタルカメラを買いました。親が。

思わず「そんなお金があるんだったらDVDレコーダーを買ってよ~!」と言いたくなりましたが、べつに僕のために買ったわけでもないので何も言えません。

それに、きっと本人達は、買い物それ自体を楽しみたかったんだと思います。なんてたって「じゃぱネットたかた」でのお買い物ですから。ローヤルゼリーとかよく買ってます。

しかしわざわざプリンタ付きで買っておきながら、早くも「面倒くさいから現像は写真屋に出せばいいわ」とか言っています。そのぐらい私がやります!

普段「節約節約」と言っておきながら、なんでデジカメ買って写真屋に頼むんだぁ~?

買ってからは父親がいじくっているみたいですが、まだ何かを撮っている気配はありません。

僕もメカには基本的の弱いので、用もないのに使い方を覚えようというモチベイションがわきません。しかしとりあえず、父親がいない間にさっさと使い方を覚えてしまおうと思います。

でも覚えたとして何に使うのだろう?子供がいるわけでもないしなぁ。

道を歩いていてきれいな花や植物を見つけても、僕は肉眼で見て感じればそれで満足してしまう性質です。わざわざ写真に撮りたいとは思わない。だって撮らなくたって、またその場所に行けば見れるじゃないですか。

旅行?僕は旅行というものはほとんどしません。でもしたとしても、名所なら写真に撮らなくてもいつでも色んなところで写真を見れるし、そうでなければ一度行っただけの場所を写真にとってもあまり感慨深くならないと思う。

以前一年半だけ海外に住んでいたことがありましたが、さすがにそういう時の写真があればなぁと思うことはあります。海外でなくても、以前住んでいた場所の写真を撮ると、別のところに移住したときに感慨深く見ることができるかもしれない。僕の場合は、金沢、大阪、東京…

ということは、今住んでいる場所の写真も撮っておくと、後々べつのところに住むことになったら、懐かしく見ることができるのだろうか。


涼風