joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

映画 “There will be blood.”

2008年05月07日 | 映画・ドラマ
映画“There will be blood.”を観ました。

監督のポール・トーマス・アンダーソンの映画は、これまで三本見ていますが、どれも傑作でとても感動しました。

彼の映画の(わたしにとっての)特徴は、映画館で見たときよりも、家でビデオで観たときの方が感動することです。

人間の感情の掘り下げが深いので、繰り返し観て初めてその映画の味わいが分かってくるのです。

“There will be blood.”も、正直に言えば、今の時点ではそれほど感動しているわけではありません。

20世紀のはじめに、アメリカの西部で石油採掘で巨万の富を築いた男の物語ですが、その人物像はわたしたちの想像を超えるようなものではありません。堀江貴文さんや村上さんの生のドラマを見させてもらっている私たちにとって、ダニエル・デイ・ルイスが演じる人物は、とりたてて常軌を逸しているわけではありません。


どうもこの映画は、何か焦点がうまく絞れていないように思う。

映画は、デイ・ルイス演じる石油業者と、裏に世俗的な欲をもっている牧師との関係を軸に進んでいるようですが、だったらこの二人の対決をもっとおしだしてもよかったように思う。

いずれにせよ、石油業者のもつ欲も牧師の持つ欲も、わたしたちが隠し持っている欲そのものです。

その意味では、わたしたち人間がどういうものであるかを教えてくれる映画であるし、その点でアンダーソンのこれまでの映画と共通しているとはいえます。

でも、これまでの映画ほど、自分でも気づかなかったような一面を教えてくれるわけではない。欲わたしたちが知っている欲深い人間を描いているだけだといえます。

しかし、これはまだ一度観ただけの感想です。

DVDが出たらまた観てみよう。

『パンチ・ドランク・ラブ』にも『マグノリア』に感動できたのも、DVDで観てからなのだから。


映画『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

2008年03月24日 | 映画・ドラマ
映画『ヒストリー・オブ・バイオレンス』を観ました。

この映画は深く解釈しようと思えばできる映画だとは思います。

平和な日常と普通の人の中にも潜んでいる暴力性をあばいているとはいえます。

でも結局私には、ヴィゴ・モーテンセン演じる主人公の殺人シーンが引き起こす興奮の快感だけがよかったように思います。

普通のチンピラではない人間が突如殺人マシーンに変わり、思いもつかない方法で相手を殺していくその意外性に興奮していたのだと思います。

面白い映画だし印象に残る映画です。でも、深みがある映画かどうかは分かりません。

映画『善き人のためのソナタ』

2008年03月02日 | 映画・ドラマ
映画『善き人のためのソナタ』を観ました。

市民生活が国家の監視下におかれ、社会主義思想に反対する者に弾圧を加えた旧東ドイツ時代のお話です。

東ドイツで国家が市民生活の会話までも監視下に置き、多くの密告者によって多くの人が投獄されていたことは知っていました。だから、この映画で扱われている監視の実態については、それほど驚きではありませんでした。

むしろ私たちにとって本当に驚愕なのは、家族や友人までもが「密告者」であることを、ベルリンの壁崩壊後の情報公開によって知った東ドイツ市民が多かったという事実でしょう。

そのような心の傷を抱えた人が現在の東ドイツの半分を占めているのです。国家としてどれほど大きな問題を抱えているかがわかります。



この映画が伝えることの怖さの一つは、社会主義思想など信じておらず、自分の出世欲によって国家に仕えていた者が東ドイツという監視国家を運営していたという事実です。

自由のない社会であればあるほど、他人の顔色を窺って権力に媚びへつらう者が生きやすい社会になります。

その点では、この話は今の西側社会にも、日本にも当てはまる話のはずです。



映画 『プライドと偏見』

2008年02月19日 | 映画・ドラマ
映画プライドと偏見を見ました。キーラー・ナイトレイ主演の2005年の映画です。原作はジェーン・オースティン。

イギリスの田舎の風景がとてもきれいです。

この映画を18歳のときに見ていたら、イギリスが、そしてヨーロッパが夢の国に思えたかもしれません。

でも、私たちは、「ここではないどこか」へ逃げることはできません。

イギリスの美しい田舎に行っても、そこに楽園は存在しないし、今ここで生活しているときに感じる窮屈さが消えるわけでもないと思う。

この映画で強調されているイギリスのきれいな田園風景をみると、日本人にとってもイギリスの人にとっても、そして世界中の人にとっても、イギリスの田園が持つ意味が同じなのだと気づかされます。

映画 『ラブソングができるまで』

2008年02月16日 | 映画・ドラマ
映画『ラブソングができるまで』を見ました。

ドリュー・バリモアがとってもチャーミングですね。一つ一つの表情がとても輝いています。

ヒュー・グラントはシンガー・ソングライターの役でステージで歌う姿が意外にさまになっています。

落ち目のポップスターがなぜあんないいアパートに住んでいるだぁ???という疑問は、ラブコメだからという理由で許せてしまうし、全体に漂うほわほわ感はとても心地いいです。

気楽になりたいときにぴったりな気楽な映画です。

民主党的なもの

2007年12月30日 | 映画・ドラマ
ドラマ“WEST WING セカンド・シーズン”の第4話。

民主党の大統領は共和党員のやり手弁護士をホワイトハウスで雇うことにし、その彼女にオファーを出します。

しかし彼女は民主党員たちの態度への苛立ちを隠そうとしません。

大統領の側近が

「君たちは銃が好きなんだろう?」

と言うと彼女は

「そうよ。あなたたちは銃が好きな人を憎みたいだけでしょ。」

と言い返します。


民主党的なもの。中絶の是認、人種差別の撤廃、同性愛の容認といったことは、それ自体は正しいのですが、そういったものへの正義に囚われていると、視野が狭くなります。

狂信的という点では、グローバリズムも反グローバリズムも、市場原理主義も福祉国家派も、保守も革新も、異性愛主義も同性愛容認も、男根主義もフェミニストも大差ありません。

「あなたたちは銃が好きな人を憎みたいだけでしょ。」

という言葉は、シンプルですが、民主党的なものが好きな人に自分を振り返させるだけのメッセージをもっています。

映画 『コープスブライド』

2007年08月29日 | 映画・ドラマ
ティム・バートン監督が2005年に製作したアニメ映画『コープスブライド』(原題“Korpse Bride”)を観ました。

結婚を控えたある男性ヴィクターが、夜の森で結婚式に言う誓いの言葉を練習していると、間違って「死体の花嫁」コープス・ブライドにプロポーズしてしまいます。自分が求婚されたと勘違いしたコープス・ブライドのエミリーは、ヴィクターを決して放そうせず、死人の国にヴィクターを引き込もうとします。果たしてヴィクターは許嫁のヴィクトリアの元へ帰ることができるのか…?

この映画もアニメーションですが、登場人物たちの表情がとても豊かで、実写と同じ、あるいはそれ以上に登場人物たちの感情が痛いほど伝わってきます。

このアニメはストップモーションアニメと言って、人形を1コマ1コマ動かして絵を完成させるという、恐ろしく根気のいる作業を通じて作られています。それでももちろん絵の動きは通常のアニメに比べてぎこちない。しかし、にもかかわらず人物描写は秀逸。このことから、アニメにおける感情表現の上手さというのは、CGの進歩とは関係ないんだなと気づかされます。

途中で挿入される歌もいい。コープスブライドが後半で自分の心痛を綴った歌詞は、観る者の心を打ちます。

とてもおもしろい映画で、わたしは3回も観てしまいました。


ティム・バートンのコープスブライド 特別版

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映画 『エターナルサンシャイン』

2007年08月25日 | 映画・ドラマ
『エターナルサンシャイン』(原題“Eternal Sunshine of spotless mind”)という映画を観たのは、もう1ヶ月以上前のこと。

この映画が作られたのはもう3、4年前のことです。たしか脚本がアカデミー賞にノミネートされていました。賞を取ったのかもしれない。脚本を担当したのが、傑作『ジョン・マルコヴィッチの穴』『アダプテーション』を作ったチャーリー・カウフマンだと聞けば、納得する人も多いのでは。

『エターナルサンシャイン』も、上記ニ作品に似ています。話の内容が妙に入り組んでいながら、そのややこしさによって観る人の感情の奥に潜んでいるものをぐりぐりと表に出していくのです。

平凡な会社員ジョエルは、ある朝いつものように会社に行こうとするが、気まぐれで急に行き先を変え、海に行こうとする。そこで彼は不思議な女性クレメンタインと出会う。二人は意気投合するのだが… 画面を観ていると、どうやら二人はそれ以前から知り合っていたらしい。ん?でも最初の場面では、二人はたった今出会ったばかりのはず。なのになぜ前から知り合いなんだ。前から知り合いなのに、なぜ二人はお互いのことを知らないんだ???

こういった謎を映画は最初に観客に提示し、観客は徐々に、二人が以前から知り合いでいながら、なぜまた初めて出会ったかのような態度を取るのか、その理由を知ることになります。


チャーリー・カウフマンの脚本は、二つの話を同時進行で進める。そして、それらの話が意外な結びつきをもっている。

ただ彼の脚本の素晴らしさは、その意外な発想・アイデアで映画が終っていないところです。そのような意外性のある話を書きながら、その意外性が後々で観る者が普段見ないようにしていた奥深い感情に直面するように促しているのです。

ちょうどこの映画が、恋愛の痛みを観客に再体験させるように。


僕はチャーリー・カウフマンの映画を観ていていつも感じるのは、そのような話のおもしろさと同時に、登場人物たちの生活観・リアルさが画面から伝わってくること。アパートの古ぼけた感じや、道路の汚さ、豊かさと貧しさ、そういった生活のリアルさが画面からとてもよく伝わってくる。それはハリウッドかインディーかという違いではなく、作り手がどれだけ日常描写に細心の注意を働かせているかということだと思う。

レンタルDVD店に行って、何も借りたいものがないけど何か借りておきたい、というときに借りると、トクした気分になる映画だと思います。


エターナルサンシャイン DTSスペシャル・エディション

ハピネット

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映画 『レミーのおいしいレストラン 』

2007年08月14日 | 映画・ドラマ
映画『レミーのおいしいレストラン』を観て来ました。

この映画、上映されているのは吹き替え版ばかりで、字幕版はレイトショーのみ。洋画の日本語吹き替えは嫌なので僕は字幕版に行ってきました。

でも、今考えれば、べつに吹き替えでもよかったかもしれない。

洋画の吹き替えが嫌なのは、声優の演技が不自然に感じるからだけど、アニメーションの場合は元々も声優が喋っているんだから、日本語の吹き替えで観ても違和感はなかったかもしれない。

映画は、内容が始まるまでピクサー・ディズニーという会社の宣伝みたいなアニメーションが長い間流れていて、僕はちょっとイライラしてしまった。ひょっとして間違って別の劇場に入ったんじゃないかと思ったくらい(シネコンなのでたくさん劇場がある)、本編と関係ない・しかし予告編でもないアニメーションが流れるのです。

でも、本編は面白かったですよ。この映画は基本は子供向けで、でも作り手が決して「子供向け」として妥協したりせず、結果的にそのクオリティはだれが見ても傑作と思える水準に達しているのです。

こういうアニメを見ていると、実写もアニメも区別はないよなぁと思ってしまう。これは、技術的発展という以上に、作り手の意識が、アニメと実写の間の違いを超えようと狙っているのだと思う。

それは登場人物たちの表情やセリフの作り込みに表れている。本物の俳優に演技させて後から絵にしているのかもしれない。でもそれだけでなく、脚本や絵の構図も実写を思わせるのです。

その点日本のアニメは、実写とアニメを別物ととらえているところはないかな。

スリルも興奮も感動もある、子供が見ても大人が見ても満足できる、素晴らしい映画です。


レミーのおいしいレストラン オリジナル・サウンドトラック
サントラ
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映画 『ノッティングヒルの恋人』

2007年07月16日 | 映画・ドラマ
先日、夜中にテレビで映画『ノッティングヒルの恋人』をやっていました。

ジュリア・ロバーツとヒュー・グラント主演のロマコメですね。当時大ヒットしていたと思います。

僕は映画館でなくレンタルで初めて見ましたが、今でもお気に入りの映画の一本です。

たしか、この映画でヒュー・グラントはトップスターへの道を駆け上ったのだと思います。知名度はそれ以前からありましたが、大スターと認められるようになったのはこの映画がきっかけだったと思う。その後『ブリジット・ジョーンズ』『アバウト・ア・ボーイ』(大傑作!)『ラブ・アクチュアリー』と、ロマコメで大ヒット作に立て続けに出演しいます。

その『ノッティング・ヒル』、今見ても肩の力が抜ける映画でいいですね。お気楽であるけれど、一つ一つのシーンに無駄がなくて、完成度が高い(と思う)。

ロンドンの街がとても魅力的に映ります。都会で汚いけれども、とても爽やかな感じ。

主人公の周りの登場人物も貧乏だったり障害を負っていたりするけど、どれもみなイイヤツばかりで。

ジュリア・ロバーツも、個人的にはこの映画の彼女はとても可愛い。

要するにどういう映画かというと、冒頭で登場するような、カプチーノかオレンジジュースをおいしく飲んだときのような映画なんです。

まだ観たことのない人がいたら、お薦めします。

映画 『ゾディアック』

2007年06月26日 | 映画・ドラマ
今月から公開されている映画『ゾディアック』を観ました。これは、1960年代後半に起きた実在の連続殺人事件を扱った映画。

この事件では、犯人は連続的に殺人を犯すと同時に、犯人しか知りえない情報や暗号を新聞社に送りつけ、それを新聞紙面で公開しなければさらに殺人を犯すと警察を脅しました。これは当時のアメリカ社会に一大センセーションを巻き起こしたそうです。劇場型犯罪の走りだったわけです。

映画は、当時の殺害現場を再現するだけでなく、新聞記者や警察の関係者のこの事件に対する関わりを描写していきます。

この連続殺人事件はたしかにショッキングなものです。犯人は当初は殺害に動機を抱えていたものの、その後は無差別に市民を殺害していきます。また、それに関する手紙を新聞社・メディアに送り、世の中が自分の事件に右往左往しているのを楽しみます。

ただこの映画の焦点は、この殺人鬼の生体を描写することではなく、その犯人と事件に関わっていく中で神経をすり減らしていく新聞記者や刑事たちを追うことにあります。

この記者や刑事たちも実在の人物だそうですが、彼らは犯人が送りつける暗号の解読に没頭したり、犯人の正体を暴くことに専念するうちに、自らの生活を犠牲にしていき、心理のバランスをも欠いていくようになります。

今から見れば、この犯人は確かに残酷ですが、これ以上に残忍な殺人鬼は存在するのでしょう。だからこの映画の主眼は、いかにこの犯人が異常であるかを伝えることにあるのではありません(その点は同じ監督の『セブン』との違いです)。そうではなく、この事件に関わっていくうちに、消耗と恐怖に取り込まれていく関係者たちの状態を描くことこそ、この映画が目的としていることです。

事件そのものの残忍性以上に、記者や警察たちの事件への関わりを通して、観客はこの事件に対する恐怖や消耗感を再体験していくことになります。

この事件よりも残忍な事件はあると書きましたが、しかし監督は、この事件がいかに当事者たちにとって恐怖に満ちたものであるかを、観客に伝えます。

私たちは、メディアの報道を通じて日々殺人事件に遭遇します。また映画やドラマではつねに誰かが誰かに殺されています。それを通じて私たちは、殺人事件に驚いたりしなくなっています。

しかし、映画は、この犯人が「不意打ち」とでもいうべき仕方で市民を襲っていく殺人の怖さを、限りなくリアルな描写で伝えます。

私は、今この映画の殺害シーンを思い出しながらキーボードを打っていますが、それを思い出すと今でも胸が恐怖で冷たくなります。そして思います。日々あふれている殺人事件では、私がこの映画で感じている恐怖とは比べようもないほどの恐怖を、被害者は感じているのだということを。

ビートたけしの『その男凶暴につき』は、暴力の生々しさを私たちに伝えるために撮られた映画だということです。暴力の氾濫で麻痺した私たちの感覚に、暴力とは同いうものかをもう一度思い出させようとした、と監督は語っていました。

毛色は違いますが、この『ゾディアック』は、殺人というものがいかに恐怖に満ちたものかを、私たちに思い出させてくれます。

この事件の犯人よりも「残忍」な殺害描写は多くの映画で描写されています。しかしそれらはすべてエンターテイメントとなり、私たちはそこに殺人の生々しさを感じなくなっています。

『ゾディアック』は、そうした多くの映画とは異なり、殺人事件とはどういうものか、それに関わることはどういうものか、ということを、私たちに思い出させてくれるのです。

映画 『ネバーランド』

2007年06月22日 | 映画・ドラマ


2004年のアメリカ・イギリス映画『ネバーランド』を観ました。主演はジョニー・デップ。共演にケイト・ウィンスレットやダスティン・ホフマン。

内容は、名作『ピーターパン』をイギリスの劇作家ジェームズ・バリが書くきっかけとなった、デイビス夫人とその四人の子供との交流を描いたもの。ただ、映画の最初に“Inspired by True Stories”とあるように、あくまで実話にインスパイアを受けているのであって、史実をそのままなぞった話ではないそうです。実際にあった出来事を基に、ファンタジー映画として成立するように内容は変更されています。

ジェームズ・バリは新作の公演が不評に終わり、落ち込みを紛らわすために公園で書き物をします。そこで彼は未亡人のデイビス夫人と四人の子供たちと出会います。バリはその男の子たち、とりわけ三男のピーターとの交流を通して、あの『名作ピーターパン』を書き上げるのですが・・・

これはまるでジョニー・デップのために作られたような映画。一体この映画のバリ役を他に誰が演じることができるのか想像がつきません。デップ演じる劇作家バリは、年齢は大人でも子供のような純粋さとユーモアを兼ね備えた人物。彼は、父親をなくし塞ぎこんでいるピーターや、必死に母親を助けようとするその子供たちに、その持ち前のユーモアと想像力で、現実の中に喜びを見出すことの大切さを教えていきます。

ジョニー・デップはこの役でアカデミー主演男優賞にノミネートされましたが、確か当時は批評家に「ノミネートされるべきではない」「彼のベストの演技ではない」と評されていました。

しかし私には、今まで見た中でもこの映画のデップがベストです。おどけたようなユーモアを出しながらも、基本的には感情を抑えた彼の演技は、ファンタジーでありながら派手な演出を見せないこの映画に見事にフィットしています。『エド・ウッド』よりも、『スリーピー・ホロウ』よりも、私はこの映画のデップが好きです。

他の役者もまたみな素晴らしい。ケイト・ウィンスレットやダスティン・ホフマンも、知名度は一流なのに、静かに進行する映画にピタっと合う演技を見せ、画面に溶け込んでいます。

他にも、バリの妻役やデイビス夫人の母親役の女性など、出てくる役者みなが的確に役柄を演じて行きます。

これだけ有名な役者を起用しながら、映画は派手な演出もなく、ファンタジーでありながら、そこに嘘を感じさせません。音楽も、これも静かながら素晴らしい。

そのような落ち着いた展開だからこそ、ラストの場面で感動を呼び起こすのです。


ただ、とても感動的な映画だけに、デイビス家に実際にその後に起きた出来事を知ると、複雑な気持ちにさせられます(長男のジョージは第一次大戦で戦死し、四男のマイケルは20歳のときに、友人と共に溺れ死にます。さらに、「ピーターパン」のモデルとなったピーターは、ピーターパンと自分が世間で同一視されることに生涯悩み続け、63歳のときに、バーを出た後で列車が向かってくる線路で投身自殺します)。

映画 『ニュースの天才』

2007年06月18日 | 映画・ドラマ

2004年のアメリカ映画『ニュースの天才』を見ました。主演は『スター・ウォーズ』のアナキン(ダース・ベイダー)役のヘイデン・クリステンセン、共演にピーター・サースガード、クロエ・セヴィニーなど。

アメリカで権威ある雑誌として認められている“The New Republic”で、1990年代後半に、ある一人の記者が書いた記事が捏造だったことが判明するという事件があったそうです。それも、1本ではなく20本以上の記事が。

アメリカのジャーナリズムでは取材源に対するチェックはかなり厳しいということなのですが、この記者スティーブン・グラスは、自身が原稿チェックの経験を持っていたため、どうすればチェックを潜り抜けられるかも熟知していました。

おかげでその一流雑誌に勤める記者たちの誰もが、編集会議で自身の捏造した“ネタ”を披露するグラスの嘘を見抜くことができず、グラスによる長期にわたる捏造記事の発表を止めることができませんでした。

映画では、この実話をかなり丹念になぞり、ある事件をきっかけに他誌の記者に捏造がバレそうになったグラスが、必死で編集長に嘘を隠そうとしていく様子を再現しています。その過程でグラスは、自身が捏造した記事を本物であると周囲に思い込ませるために、様々な嘘を重ねていくようになります。しかしやがて・・・

この映画でとにかく感心したのが、実在する元記者のスティーブン・グラスを演じたヘイデン・クリステンセンの演技。

この映画は捏造を重ねていく記者の内面を深く追うことはせずに、グラスの行動や表情を表面的に追いかけていきます。しかし、その行動を見ただけで、観客は、この記者が自分の感情に触れることを忘れ、自分に仮面をかぶせ、さらには自分が仮面をかぶっていることすら忘れてしまうぐらいに、内面に深い闇があることを感じ取っていくことができます。

おそらくグラスの中にあったのは、単純な虚栄心だけではないと思います。それは、状況に適応しようとする心性であり、周りの人間が驚く姿を見ることの快感であり、(捏造された)見事な記事を見て自分自身が興奮していったのでしょう。つまり彼自身も、自分が考え出した話に夢中になって言ったために、作り話に没頭して行ってしまったのです。

自分が本当に考えていること・感じていることを内省するだけの注意力を失い、周りの状況の動きだけに翻弄されている人間の悲しい姿がここにあります。ただ彼は、そのあまりにも卓越した演技力のために、自分が演技していることすらわすれてしまったのではないかと思います。

ヘイデン・クリステンセンは、そのように嘘をつき続ける人間が、実は自分を完璧に見失ってしまっていることを、その表情によって見事に表現します。

この映画では編集長を演じたピーター・サースガードが批評家から絶賛されたそうです。たしかにそれは素晴らしい演技なのですが、私にはこの映画を作っているのは、やはり主演のクリステンセンの演技のように感じました。

映画 『終わりで始まりの4日間』

2007年06月09日 | 映画・ドラマ



2004年に本国で公開されたアメリカ映画『終わりで始まりの4日間』(原題“Garden State ”)を観ました。主演は本国ではコメディ俳優として有名なザック・ブラフ、ヒロインにナタリー・ポートマン、共演はピーター・サースガードなど。

この映画の脚本と監督も主演のザック・ブラフがこなしたそうです。元々彼が大学時代に書いた脚本を映画にしたとのこと。

あらすじは… ロサンゼルスに住む26歳の駆け出し俳優アンドリューは、故郷ニュージャージの父から、母親がバスルームで溺れ死んだという知らせを受け、生まれた土地へ帰ります。そこで彼は昔の友達や、風変わりな女の子との出会いを通して、自分が子供の頃に失った感情を取り戻していくことに…

いい映画というのは、概して、登場人物にこちらが感情移入できる場合が多い。この映画も観ていてジーンとさせられます。ただこの映画が他と異なるのは、なぜ自分がこの映画にジーンと来るのかがすぐには分かりにくいところにあるのではないでしょうか。

とてもよくできた映画なのですが、なぜこの映画がこれほどにまでいい映画になったのかは、簡単には分かりません。それぐらい人間の気持ちの微妙な機微をとらえている映画なのだと思います。

幼い頃の事件をきっかけに感情を失った若者が、故郷で“負け犬”として暮らしながらも人間的な感情を奥底に隠し持っていた親友や、自分に対して正直すぎる女の子と出会い、自分の中に“何か”を発見していきます。

アメリカの若者たちの行き詰った感情が、この映画ではとてもよく描かれているように思いました。同時に、彼らが実は望んでいる救済も、この映画はとても鮮やかに描いているように思います。

映画 『ポロック 2人だけのアトリエ』

2007年06月02日 | 映画・ドラマ
映画『ポロック 2人だけのアトリエ』を見ました。主演・監督がエド・ハリス。共演は、『ミスティック・リバー』や『モナリザ・スマイル』にも出ていたマーシャ・ゲイ・ハーデン。最後にジェニファー・コネリーも。

これは、アメリカの20世紀絵画を代表する画家ジャクソン・ポロックの伝記映画ということです。わたしはこの人を全く知らないのですが、筆で描くdrawのではなく、絵具やペンキを直接的にキャンパスの上に叩きつけていく画法で、当時の美術界の寵児となった人のようです。

映画は、そのポロックと妻のリー・クラズナーとの出会いから結婚生活を織り交ぜながら、ポロックの創作活動の過程を伝記風に再現しています。

観ている間は画面に引き込まれます。役者の演技はとても説得力があり、場面展開にもまったく無駄がありません。

お話は、芸術家の生涯を描いたものとしては、典型的なストーリーを描きます。売れない時代の苦労。才能あるゆえの自閉的な(要するに子供っぽい)性格。同じ芸術家である妻との恋愛と葛藤。創作の行き詰まり。人間関係の破綻。結婚生活の危機。アルコールと愛人に溺れていく日々…

どれもどこかで見聞きした話で、新鮮味はありません。ただ、役者たちの演技は、そのありふれた話を、観る者にもう一度、それがどれだけありふれた話であっても、当事者たちにとっては痛切なものだったことを思い出させます。

また、それ以上にこの映画の見せ場を作っているのは、主演のエド・ハリスによる、ジャクソン・ポロックの画法「アクション・ペインティング」の再現です。

実際のポロックの描き方を知らないから、どれだけそれが事実を再現しているかは分からないけれど、それでも絵の具を直接的にぶつけていくことで芸術を創造して行くその過程には鬼気迫るものがあります。

話自体は新しいものではないですが、制作者たちの丁寧な映画作りと役者たちの演技によって、“何か”を観たという気にさせてくれる映画です。