坂本龍一氏の遺稿ともなった、新潮社から出版されたエッセイ集「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読んだ。
読みながら、その壮絶極まりないがん治療体験の個所に出くわすと、読んでいた本をそこで閉じたくなってしまったことが何度かあった。それほどこの本は、読み進めるのが辛かった。でもやはり凄い本だと思う。
そんな坂本龍一氏の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読み終え、ふと頭に浮かんできたのが、親しい友人の娘さんに関するエピソードだ。
その友人は、とても仲のいい友人の一人である。
たまに会ってはお酒を飲んだり色んな悩み事を相談したりする、小学校の同級生だった人間で、これまで長い友人生活を送ってきたことから、大半のことなら互いに何でも知る、そんな親しい間柄だ。
ある日、彼が突然こう言った。
「うちの娘、実は癌だったんだ・・・」と。
そんなこと、それまで全く話してくれたことがなかったので、いきなりの告白に吃驚した。
友人には娘さんがいて、首都圏にある有名な某国立大学を卒業してからは、その後ずっとドイツに暮らし、ドイツ語の翻訳とかそのほか日独を繋ぐ様々なコンサルティングの仕事をやっていた。
たまに青森市内の実家に帰って来ると、両親たちとスキーに出掛けるスポーツ好きの女性でもあった。
そんな友人の娘さんが来青中、「腰が痛い」というので県内で最も権威のある某病院を訪ねたところ、精密検査を行った医師が、「乳がん末期で、それが既にリンパにまで広がり、このままだと余命一年ないかもしれない。とにかくすぐに外科手術を施したいけれど、多くの患者の順番待ちで、手術自体数か月後になる可能性もある」と、申し訳なさそうに告げたのだとか。
友人夫婦は目の前が真っ暗になり、最愛の娘さんもただ呆然とその場に立ち尽くしていたという。
その絶望たるや言葉になんて言い表せないだろう。目の前に「死」がぶら下がっているのだ。光が閉ざされた真っ暗な闇だけが圧し掛かってくるのだ。耐えられるわけがない。
友人の娘さんは絶望の淵に立たされながらも(それは両親だって同じ心境だろう)、意を決し、「こうして待ちの姿勢でいるだけじゃ駄目だ。何も変わらない。ただ死を受け入れることになってしまう」と、あらゆる情報をインターネットなどで調べ尽くした結果、「ドイツに帰ってドイツの病院でがん治療を受ける」と決め、心配する両親を説得してそのままドイツへと帰る決断をしたのである。
そして・・・。