おかんのネタ帳

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瀬田の唐橋

2018-12-01 23:06:46 | 湖国日記
いよいよ、師走ですね~
そのわりに暖かいような・・この間に、そこかしこの掃除を、
すればいいねんけど、なかなか・・(汗)

先日、あまりに夕景が美しいので、立ち止まって撮ってみました。

まずは、夕照の道で見た夕日。



信号で止まったので、窓をあけてiPhoneで。

琵琶湖岸を瀬田から石山へ向かう、
ここはもう、瀬田川ですね。



唐橋公園の木々。
某スーパーに車を止めて、ミラーレスで撮ったのですが、
このあたりから、瀬田の唐橋まで公園が続きます。



夕方にもかかわらず、ボートの練習をしている人が。
このあたりには、琵琶湖漕艇場や、
大学や高校のボート部の艇舎などがいくつかありますね。

そういえば、先日テレビの「よーいドン」で
ママさんボート部を紹介してたけど、
私ら世代の女性が、頑張ってはりました。

そうそう、「がんばっていきまっしょい」
とかいうボートの映画があったけど、
たしか、この辺りでロケしてはりましたね~



瀬田の唐橋です。
山に沈んだ夕日の名残が、近江八景の「唐橋の夕照」、
琵琶湖八景の「夕陽、瀬田石山の清流」を表してます。
逆光なので、うまく撮れてませんけど・・

日本三大名橋のひとつ。
古くは日本書記も登場し、壬申の乱では最後の決戦の場になり、
室町時代の観応の乱では焼き払われました。

信長が現在の位置に造らせたといわれるものの、
東国から京都へ入るときの軍事・交通の要衝の橋なので、
「唐橋を制するものは天下を制す」とまでいわれ、
その後も、焼かれる憂き目にあっています。

現在の橋は昭和54年に架け替えられたようです

「日本の道100選」にも選ばれているようですが、
橋が「道」に選ばれるのも、ちょっと不思議。

「いそがばまわれ」の語源となったとも言われてます。
江戸時代、東から京都へ上るには草津の矢橋から
大津への琵琶湖の航路が最も早いとされていましたが
反面、比叡おろしの強風により船出・船着きが遅れることも少なくなく、
瀬田まで南下すれば風の影響を受けずに、
唐橋を渡ることができるということをいうたんですね。

大津を愛した松尾芭蕉も、俳句を詠んでます。
・・・唐橋公園に句碑があったのに、気づかず(汗)

五月雨に隠れぬものや瀬田の橋

あたりの景色が五月雨でぼんやりしてるのに、
唐橋だけは隠されることなくしっかり見えている、
という句のようです~

橋桁の忍は月の名残り哉

この句も、瀬田の唐橋の句だとか。

夕景の瀬田の唐橋は、行きかう車がぎっしり。

今も、重要な交通の要所なんですね~




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