CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

お釜でご飯を炊きながら、感じたこと。

2014-10-17 07:43:41 | 日記
テレビ・冷蔵庫・洗濯機
この家電の三種の神器の登場は、家事を大きく変えた。
そのことは、家事に追われていた女性を解放するきっかけにもなった。

そう思う。

私が小さな頃は、電話は子どもが触ってはいけないものだった。
私が小さな頃は、洗濯機の横にハンドルを回しながら洗濯物を絞るローラーが付いていた。
私が小さな頃は、テレビの映りが悪くなると叩いたりして・・・映ることが確かにあった。
私が小さな頃は、ご飯はガス釜で炊いていた記憶がある。

まだ、50年は経っていない。

いまや、暮らしは便利を通り越して、人間より早いスピードで流れている。
追い付くのに必死だ・・・いや、私は、追いつこうとはしない。
私は、深呼吸をしながら、もっとゆっくり歩きたいと思っている。

知人からいただいたお釜は、そんな風に考える私にとって、大切なものになった。

あれから、三日。
夕飯は、必ずお釜で、コンロの火で炊いた。
我が家は、オール電化のため、ガスが通っていない。
ゆえに、薪で・・・と言いたいところだが、それは無理なので
カセットコンロで、炊いている。

昨日、三回目・・・今までで一番美味しく炊けた。

ご飯を炊きながら、いろいろ考えた。

まず・・・ご飯に味と香りがあることを再確認。
というか・・・この美味しさは、初体験と思うくらい美味しい。
甘み、弾力、香り・・・あ~日本人でよかったと思った。

そして、家族が食事を一緒にすることの大切さ。
ご飯は、冷めてしまう前にお釜から出す必要がある。
できれば、炊きたてをみんなで、食べたい。
こんなに美味しいんだもの・・・一緒に食べたい。
そして、湯気の具合をみながら、火加減を調節しながら、
そんな風に気持ちを寄せて炊いたご飯だもの食べてあげたい。。。

電気釜でスイッチ一つで炊き上げたものとは少し違う。
そこに、人の心が寄りそっているとでもいうのだろうか
そのことが、いろんなことに影響する気がしてならない。
目に見えないなにかが・・・・・
ご飯を美味しくして、人の心を穏やかにするとでもいうのだろうか。

愛情・・・なんだろうな、それは。

お米を創る人、
お釜を創ってくれた人、
それでご飯を炊く人、
それを食べる人

愛情の輪がゆっくりと循環する。
愛情が静かに寄りそっている。

火加減は・・・マニュアル通りにはいかない。
部屋の気温や湿度だって関係するのではないだろうか。
同じ火加減でも、噴き出すまでの時間は違う。

なんとなく、大切なものを取り戻した気がする。

もちろん、私は現代に生きている。
私の後ろから、たくさんの情報やら、何やらが、私を追い抜いて行く。
追い抜かれることは、構わない、気にしない。
けれど、それらに押し倒されないくらいの踏ん張りは、必要だ。
だから、生活のすべてを『お釜でご飯を炊く』様な過ごし方に戻すことは不可能だ。

でも、『お釜でご飯を炊く』このコトひとつだけでも、大切にしたい。

そう思った。

今日は遅番・・・午前中、炊くとしましょう。
美味しいおにぎり・・・もちろん今日は砂糖と塩を間違えないで
しっかり結んでお弁当にするとしましょう(^_^)v

まっちゃん・・・ありがとうね。
お釜・・・私に幸せな時間をくれました。
おいしい時間をありがとう。

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