どうやら、都知事選らしい。
珍しく、政治がらみ・・・書き留めておこう。
まぁ、左翼ではある・・・と思っている。
といか、常に権力におもねない自分でありたいと思っているというか・・・
『市井の人』でありたいと思っている。
都庁の中に17年いた私は、当時、都知事選といえば、
4年に一度の社長選び(都職員ではありません・・・念のため)の時なわけで、
その空気を肌で感じていた。
が、まぁ都庁から離れてもうずいぶんになるので、
離れてみると・・・どこで都知事選やってるんだろうという感じがするくらい、
空気を感じない・・・あぁ、政治ってこんなに遠いのか・・・と思うわけです。
実は、政治は暮らしに大きくかかわっているのだけれど、
日々暮らしているとその実感がない・・・という感じなのであります。
自分にかかわるところ・・・は、非常によくわかるけれど、
要求したい事があったりするわけだけれど、まぁ・・・ぼーっとしていると、日々過ぎていく。
子どもの頃、青空バッチをつけて、美濃部革新都政を子どもながらに喜んだ記憶がある私でさえ、
なんとなく、どこで都知事選やってるのかなぁ・・・くらいな感じになっている。
立会演説会がなくなり・・・選挙活動の規制が強くなり・・・
さまざま、政治からの距離をつくられ、無関心層を狙い通りにつくられてしまった感がある。
私の祖父は、自民党総裁選で、誰かを応援していたようで、
政治家たちとの箱根会議・・・にも参加していたようで、
母の記憶もあいまいな今・・・
それが誰を応援して、いつ、箱根のどこで等、確認するすべもないが、
まぁ・・・確認する意味もないと思うけど・・・
そんな我が家、私が生まれたときには、祖父は他界していなかったが、我が家の門には、
『石原慎太郎後援会』と貼られていて(当時衆議院2区選出の衆議院議員だったと思う。)
その門から、青空バッチの子どもが飛び出してくるんだから、面白い光景ではある。
さて、都民を守る立場の美濃部さんの悪評も数々あるわけですが・・・
福祉重視の都政を体現してくださった方だと思っています。
そして、その福祉重視のために財政難・・・に陥った都の財政を立て直したのが、
官僚から都知事になった鈴木俊一。
この人、まぁ、悪いこともしたけれど・・・財政再建を頑張った・・・が、結局、
都庁移転のために臨海部に『箱物』をばんばん作って、財政赤字は美濃部都政時代の水準になった。
まぁ、箱モノで赤字になるより、福祉で赤字にした、美濃部さんに軍配を上げる・・・感じだろうか。
しかし、鈴木俊一という人は、地方自治の立役者であり、すごい人だなぁ・・・と思うわけです。
鈴木都政・・・箱物行政、福祉切り捨ての行政を何とか福祉優先の都政へと訴えたとき、
機運は来た!という感じであったが、野党が統一候補を立てられず、
4期目の鈴木都政がスタートしたと記憶している。
さてさて、今回の都知事選である・・・
今回・・・非常に残念なことに、同じような結果を見ることになるだろう・・・と思うわけで、
まったくもって、何たることか!と思うわけだ・・・
政治に無関心な人たちが、カリスマ的存在の登場により、
政治に関心をもつことは大いに喜ばしいことだと思う。
また・・・実害・・・があり補償を地方自治体や国に対して求めることになり、
その動きの遅さ、補償の少なさ、暮らしていけないじゃないか!と憤って
政治に興味を持つという、この瞬間に都知事選になわけで、
大きなうねりとなる可能性のある都知事選だ・・・と、思っていたが・・・・・・
また、統一・・・が実現しなかった・・・
自分がキーパーソンであると、なぜ自覚してくれなかったか・・・
ものすごく、ものすごく、残念でならない・・・
大同小異・・・もちろん政策実現のためのお金をどう作るか・・・は『小異』ではないかもしれない。
が、いま大事なのは、弱い者の立場に立てる人・・・を、首長にすることではないだろうか・・・
国会という場で政治の難しさを痛感した人であれば、いま、『トルベキジツ』は何かを思考してほしかった。
と、思いながら・・・
もう資本主義でも社会主義でも共産主義でもない・・・
経済の構造が生まれないと・・・人類は大変なことになる気がすると
数年前から感じている私なのだが、どうしたらいいのかなんて、考えられるほどのおつむではない。
『労働』の場を生み出さないと、と思う。
格差ばかりが拡がるような構造では、大変なことになる気がするんだなぁ・・・
三人姉妹のイリーナが言う『働かなくっちゃ・・・働かなくっちゃ・・・』と。
労働すること、それが何かの役に立っていること・・・社会は支えあっていること・・・
そのことによって、人間らしい生活水準を得られること・・・それが大切なんだなぁ・・・と思う。
すでに、私の次の世代、次の次の世代が、その方向性を模索している・・・のだろう。
どうも新しいことが苦手になってしまった自分がいる。
だから・・・そんな自分にしかできない発信をすべきなのだろうなぁ・・・
政治に関しても・・・これから、どう変革されていくのか・・・
それは、新しい思考や新しいカタチがあってこそ、実現できるのかもしれない。
しかし、古い頭でも、この私が感じたことは書き留めておこうと思った。
私の立ち位置は、いつもココ。
ココに立っていると、周りが移動して、左翼にもなり、右翼にもなる。
見方によっては、差別主義者にも見えるかもしれないし、とてもリベラルな人にみえるかもしれない。
私は、私。
ぶれることは、ない。
都知事選投票日に予定があるので、期日前投票に行かなくっちゃな・・・と思う私なのでした。
珍しく、政治がらみ・・・書き留めておこう。
まぁ、左翼ではある・・・と思っている。
といか、常に権力におもねない自分でありたいと思っているというか・・・
『市井の人』でありたいと思っている。
都庁の中に17年いた私は、当時、都知事選といえば、
4年に一度の社長選び(都職員ではありません・・・念のため)の時なわけで、
その空気を肌で感じていた。
が、まぁ都庁から離れてもうずいぶんになるので、
離れてみると・・・どこで都知事選やってるんだろうという感じがするくらい、
空気を感じない・・・あぁ、政治ってこんなに遠いのか・・・と思うわけです。
実は、政治は暮らしに大きくかかわっているのだけれど、
日々暮らしているとその実感がない・・・という感じなのであります。
自分にかかわるところ・・・は、非常によくわかるけれど、
要求したい事があったりするわけだけれど、まぁ・・・ぼーっとしていると、日々過ぎていく。
子どもの頃、青空バッチをつけて、美濃部革新都政を子どもながらに喜んだ記憶がある私でさえ、
なんとなく、どこで都知事選やってるのかなぁ・・・くらいな感じになっている。
立会演説会がなくなり・・・選挙活動の規制が強くなり・・・
さまざま、政治からの距離をつくられ、無関心層を狙い通りにつくられてしまった感がある。
私の祖父は、自民党総裁選で、誰かを応援していたようで、
政治家たちとの箱根会議・・・にも参加していたようで、
母の記憶もあいまいな今・・・
それが誰を応援して、いつ、箱根のどこで等、確認するすべもないが、
まぁ・・・確認する意味もないと思うけど・・・
そんな我が家、私が生まれたときには、祖父は他界していなかったが、我が家の門には、
『石原慎太郎後援会』と貼られていて(当時衆議院2区選出の衆議院議員だったと思う。)
その門から、青空バッチの子どもが飛び出してくるんだから、面白い光景ではある。
さて、都民を守る立場の美濃部さんの悪評も数々あるわけですが・・・
福祉重視の都政を体現してくださった方だと思っています。
そして、その福祉重視のために財政難・・・に陥った都の財政を立て直したのが、
官僚から都知事になった鈴木俊一。
この人、まぁ、悪いこともしたけれど・・・財政再建を頑張った・・・が、結局、
都庁移転のために臨海部に『箱物』をばんばん作って、財政赤字は美濃部都政時代の水準になった。
まぁ、箱モノで赤字になるより、福祉で赤字にした、美濃部さんに軍配を上げる・・・感じだろうか。
しかし、鈴木俊一という人は、地方自治の立役者であり、すごい人だなぁ・・・と思うわけです。
鈴木都政・・・箱物行政、福祉切り捨ての行政を何とか福祉優先の都政へと訴えたとき、
機運は来た!という感じであったが、野党が統一候補を立てられず、
4期目の鈴木都政がスタートしたと記憶している。
さてさて、今回の都知事選である・・・
今回・・・非常に残念なことに、同じような結果を見ることになるだろう・・・と思うわけで、
まったくもって、何たることか!と思うわけだ・・・
政治に無関心な人たちが、カリスマ的存在の登場により、
政治に関心をもつことは大いに喜ばしいことだと思う。
また・・・実害・・・があり補償を地方自治体や国に対して求めることになり、
その動きの遅さ、補償の少なさ、暮らしていけないじゃないか!と憤って
政治に興味を持つという、この瞬間に都知事選になわけで、
大きなうねりとなる可能性のある都知事選だ・・・と、思っていたが・・・・・・
また、統一・・・が実現しなかった・・・
自分がキーパーソンであると、なぜ自覚してくれなかったか・・・
ものすごく、ものすごく、残念でならない・・・
大同小異・・・もちろん政策実現のためのお金をどう作るか・・・は『小異』ではないかもしれない。
が、いま大事なのは、弱い者の立場に立てる人・・・を、首長にすることではないだろうか・・・
国会という場で政治の難しさを痛感した人であれば、いま、『トルベキジツ』は何かを思考してほしかった。
と、思いながら・・・
もう資本主義でも社会主義でも共産主義でもない・・・
経済の構造が生まれないと・・・人類は大変なことになる気がすると
数年前から感じている私なのだが、どうしたらいいのかなんて、考えられるほどのおつむではない。
『労働』の場を生み出さないと、と思う。
格差ばかりが拡がるような構造では、大変なことになる気がするんだなぁ・・・
三人姉妹のイリーナが言う『働かなくっちゃ・・・働かなくっちゃ・・・』と。
労働すること、それが何かの役に立っていること・・・社会は支えあっていること・・・
そのことによって、人間らしい生活水準を得られること・・・それが大切なんだなぁ・・・と思う。
すでに、私の次の世代、次の次の世代が、その方向性を模索している・・・のだろう。
どうも新しいことが苦手になってしまった自分がいる。
だから・・・そんな自分にしかできない発信をすべきなのだろうなぁ・・・
政治に関しても・・・これから、どう変革されていくのか・・・
それは、新しい思考や新しいカタチがあってこそ、実現できるのかもしれない。
しかし、古い頭でも、この私が感じたことは書き留めておこうと思った。
私の立ち位置は、いつもココ。
ココに立っていると、周りが移動して、左翼にもなり、右翼にもなる。
見方によっては、差別主義者にも見えるかもしれないし、とてもリベラルな人にみえるかもしれない。
私は、私。
ぶれることは、ない。
都知事選投票日に予定があるので、期日前投票に行かなくっちゃな・・・と思う私なのでした。
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