21日(月)関内での健診の後、石川町まで歩き、中華街でランチ。
山下公園から、横浜美術館を目指して、歩きました。
『絵』を鑑賞するには、とても体力がいる・・・
これは、私の持論で、そういう意味では、
健診の『胃カメラ』や『採血』で消耗しきった上に歩くなんて無謀・・・
わかってはいたのですが、いちいち電車に乗る気持にもなれず、歩きました。
後半、かなり・・・きました。
末端に血が回らないはずなのに、足の裏も甲もポッポしています。
なんとか美術館に到着しました。
中華街で購入した『せいろ』をぶら下げて・・・
横山大観・・・
どんな絵を描く人だろう・・・
私は二つのものを関連して覚えることが苦手だ。
つまり、『絵』と『画家』が結びつかない・・・
『麗子像』と岸田劉生
『叫び』とムンク
『ひまわり』とゴッホ
ゴヤの版画の数々
まぁ・・・これだけ分かれば立派なもんだ(笑)
とにかく・・・『横山大観』と聞いても思い浮かぶ絵がない・・・
その程度の私です・・・そして、今回観た絵も、
『絵』として私の中に残るけど・・・きっと誰の絵か忘れてしまう。
情けない記憶力です・・・
そんな私も『絵』を感じる時間は大好きです。
だから・・・たまに美術館に行きます。
『絵』を感じに行きます。
美術館に入り・・・
立ち止りました・・・
足を進め・・・
いくつかの作品を観て・・・
なんだろう、この感覚・・・
しばし、観入る・・・
『空気だ・・・この人、空気を描ける人なんだ』
そう思った。
『絵』を描くということは、
対象物があって、その対象物を、描くことだと思っていた。
横山大観の『絵』を観るまでは。
いや、たぶん、これまでも、対象物以外の部分に
何かを感じていたこともあったはずだ・・・
空であったり・・・それらの背景に支えられた何かを感じていたはずだ。
でも、空は空であり、背景は背景として存在していた・・・そんな気がする。
ところが・・・
横山大観の『絵』は、空気を感じる。
その温度や、肌にまつわりつく感じ、湿度さえも感じる・・・
そこに空気があり、奥行きが生まれる。
それは、対象物の遠近感というより、空気の層を感じる・・・
見えないけれど、いつも見ているもの
感じないけれど、いつも感じているもの
私は、驚いた。
この人、空気を描いている・・・
そして・・・『秋色』
どうやら、代表作らしい(^^ゞ
その前に立った瞬間に、微笑まずにはいられない。
とても、優しい気持ちになる・・・なぜ?
そこにいる鹿が、愛しみあっていることが、わかる。
『秋色』の空気は、優しさに満ち溢れている・・・
これから、冬に向かうさみしい季節なのに・・・
なにひとつ、さみしさを感じない・・・
私自身が、甘い恋に包まれてしまったような錯覚さえもたらす。
ポスターなどで紹介されているから、
多くの人が目にするであろう横山大観の代表作・・・
残念なことに、ポスターなどは、
作品の半分しか使われていない場合が多い。
本当に残念だ。。。
睦まじい鹿は、右端に描かれている。
左半分は・・・
あ~~~この部分があるから、
イメージがさらに大きく拡がるのに・・・
美術館へ行くに限る。
作品を、本物を、生を、観るに限る。
他にも・・・あ~~~ごめんなさい。
タイトルを思い出せない・・・
フクロウがいて、月が見えたり・・・
谷間の道を牛と人が歩んでいたり・・・
とにかく、どの『絵』にも空気が描かれていた。。。
余白・・・
イメージ・・・
ひろがり・・・
それを描くための具体的な対象物・・・
対象物を描く技法・・・
途中、何度も腰かけながら・・・
身体いっぱいに絵を感じてきた。
素敵な時間だった。。。。。
また・・・どこかの美術館に絵を観に行こう。
また・・・どこかの美術館に彫刻を観に行こう。
ムーアの優しい線を感じに行こう。
ロッソの空気と風を感じに行こう。
今日は、箱根に行く・・・日帰りで温泉に。
ちょっと、足をのばしてみるのも良いかもしれない。。。
雨が気になるけれど・・・
ご飯は美味しいし、たくさんのことを感じて、
そして身体も適度に動かして・・・秋がいってしまう前に。。。
忙しくはあるけれど、なんとなく・・・
素敵な秋を過ごしています。
感じる時間をたくさん過ごしています。
山下公園から、横浜美術館を目指して、歩きました。
『絵』を鑑賞するには、とても体力がいる・・・
これは、私の持論で、そういう意味では、
健診の『胃カメラ』や『採血』で消耗しきった上に歩くなんて無謀・・・
わかってはいたのですが、いちいち電車に乗る気持にもなれず、歩きました。
後半、かなり・・・きました。
末端に血が回らないはずなのに、足の裏も甲もポッポしています。
なんとか美術館に到着しました。
中華街で購入した『せいろ』をぶら下げて・・・
横山大観・・・
どんな絵を描く人だろう・・・
私は二つのものを関連して覚えることが苦手だ。
つまり、『絵』と『画家』が結びつかない・・・
『麗子像』と岸田劉生
『叫び』とムンク
『ひまわり』とゴッホ
ゴヤの版画の数々
まぁ・・・これだけ分かれば立派なもんだ(笑)
とにかく・・・『横山大観』と聞いても思い浮かぶ絵がない・・・
その程度の私です・・・そして、今回観た絵も、
『絵』として私の中に残るけど・・・きっと誰の絵か忘れてしまう。
情けない記憶力です・・・
そんな私も『絵』を感じる時間は大好きです。
だから・・・たまに美術館に行きます。
『絵』を感じに行きます。
美術館に入り・・・
立ち止りました・・・
足を進め・・・
いくつかの作品を観て・・・
なんだろう、この感覚・・・
しばし、観入る・・・
『空気だ・・・この人、空気を描ける人なんだ』
そう思った。
『絵』を描くということは、
対象物があって、その対象物を、描くことだと思っていた。
横山大観の『絵』を観るまでは。
いや、たぶん、これまでも、対象物以外の部分に
何かを感じていたこともあったはずだ・・・
空であったり・・・それらの背景に支えられた何かを感じていたはずだ。
でも、空は空であり、背景は背景として存在していた・・・そんな気がする。
ところが・・・
横山大観の『絵』は、空気を感じる。
その温度や、肌にまつわりつく感じ、湿度さえも感じる・・・
そこに空気があり、奥行きが生まれる。
それは、対象物の遠近感というより、空気の層を感じる・・・
見えないけれど、いつも見ているもの
感じないけれど、いつも感じているもの
私は、驚いた。
この人、空気を描いている・・・
そして・・・『秋色』
どうやら、代表作らしい(^^ゞ
その前に立った瞬間に、微笑まずにはいられない。
とても、優しい気持ちになる・・・なぜ?
そこにいる鹿が、愛しみあっていることが、わかる。
『秋色』の空気は、優しさに満ち溢れている・・・
これから、冬に向かうさみしい季節なのに・・・
なにひとつ、さみしさを感じない・・・
私自身が、甘い恋に包まれてしまったような錯覚さえもたらす。
ポスターなどで紹介されているから、
多くの人が目にするであろう横山大観の代表作・・・
残念なことに、ポスターなどは、
作品の半分しか使われていない場合が多い。
本当に残念だ。。。
睦まじい鹿は、右端に描かれている。
左半分は・・・
あ~~~この部分があるから、
イメージがさらに大きく拡がるのに・・・
美術館へ行くに限る。
作品を、本物を、生を、観るに限る。
他にも・・・あ~~~ごめんなさい。
タイトルを思い出せない・・・
フクロウがいて、月が見えたり・・・
谷間の道を牛と人が歩んでいたり・・・
とにかく、どの『絵』にも空気が描かれていた。。。
余白・・・
イメージ・・・
ひろがり・・・
それを描くための具体的な対象物・・・
対象物を描く技法・・・
途中、何度も腰かけながら・・・
身体いっぱいに絵を感じてきた。
素敵な時間だった。。。。。
また・・・どこかの美術館に絵を観に行こう。
また・・・どこかの美術館に彫刻を観に行こう。
ムーアの優しい線を感じに行こう。
ロッソの空気と風を感じに行こう。
今日は、箱根に行く・・・日帰りで温泉に。
ちょっと、足をのばしてみるのも良いかもしれない。。。
雨が気になるけれど・・・
ご飯は美味しいし、たくさんのことを感じて、
そして身体も適度に動かして・・・秋がいってしまう前に。。。
忙しくはあるけれど、なんとなく・・・
素敵な秋を過ごしています。
感じる時間をたくさん過ごしています。
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