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CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

閃輝暗点から偏頭痛(>_<)

2018-07-31 10:15:12 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
久しぶりの閃輝暗点。
若い人にある頭痛の前兆として有名だが、
わたしは、50歳前後で初めて経験した。
息子が、激しい頭痛を伴う閃輝暗点に苦しんでいた時期があるので、
私は、その症状が起きた時に、あ、コレが閃輝暗点か・・・と思った。
これまでもたまに経験しているが、わたしの閃輝暗点は、頭痛を伴わない。
だから、その摩訶不思議な、
水面に波をうつような煌めきを楽しめばいいと思っていた。
が、頭痛を伴わない閃輝暗点は、脳梗塞も疑われる・・・などの情報もあり、
昨年だったかなぁ・・・脳を調べてもらった。
異常なし・・・とのことで、ひと安心。
「ホルモンバランスの変化で起こることもあるんだよ」とドクター。
なるほど、まぁ、そういう時期ではあると納得していた。

久しぶりの閃輝暗点・・・
おととい、二回。
昨日、一回と、わたしにしては、頻回だった。

少し前にも、ちょっと違和感があったのだがやり過ごしていた。

一昨日は、頭痛を伴わなかったが、
昨日の閃輝暗点症状後、偏頭痛が襲ってきた。

人間、健康だと、それが当たり前。
人を思いやったり、優しくしたりしていても、
いやはや、病気や怪我の辛さは、わかっていないかもしれない。
と、思うほど、ちょっとつらい頭痛だ。

40歳になる少し前、
当時のわたしの職場の机には、バッファリンが常にあった。
常用していた時期があり、医者にしたたか怒られた。

昨日、久しぶりの、しかも閃輝暗点の後の頭痛。
わたしは、職場の椅子の背もたれに頭を乗せ、左右に振った。
強い痛みが分散してくれたら、少し楽になるのでは・・・と思ったわけだが、
それを言うと、先輩は笑った・・・うん、奇怪な行動だ。
非科学的な行動だ、しかし、なんとなく頭痛が和らいだ気がした。
(真似はしないように、ただのわたしの思い過ごしです)

その後、つい先ほどまで、偏頭痛が続いた。
頭の位置が変わると、痛みが強くなる。
(昨日は、頭振ったのだけど、今日はそうする気にもならない)
棚の下の書類を取ろうと、しゃがんで下を向く。
しばらく痛みをこらえるために動けないほどだった。

あぁ、頭痛ってこんなに辛かったんだ。。。

たまに自分が痛んでみると、人に優しくなれるかもしれない。

たかが頭痛、されど頭痛。

でもこの痛み、治ったら、忘れるんだよな。。。
忘れる能力は、人間にとってとても大切な能力。

などと書きながら、
墓場まで持っていきたい忘れたくないことが、
この頃、増えた気がしないでもない。

とにかく、閃輝暗点後、偏頭痛が続いている。
今回は、薬は服用せずにやり過ごしてみようと思う。

いろんな変化を受け止めながら、
いろんな違いを理解しながら、
ぼちぼちと・・・ですかね(^^)


食べること・・・大事です。

2018-07-06 08:46:57 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
最近、筋力・体力が落ちているなぁ・・・と感じてはいた。
それに、嚥下の際、というか、唾液さえも、気管に入ってしまうことがあり、
おいおい、誤嚥性肺炎にこの歳でなってしまうかもしれないじゃないか・・・と思ったりしていた。

それでも、別にどこか悪いわけでもないから、気にしていなかった。

しかも、たまにだが、ワンダーコアスマートで、遊んでいる。
だから、そんなに心配することはない・・・と思っていた。

先日、娘の通院のアッシーをしたときに、現代版栄養失調についての話が車のTVから、音だけ流れてきていた。

ん?
思い当たる節がある・・・
これ、私のこと?

過敏性大腸炎と診断されたわけではないが、まぁ、自分的には、そんな感じもしていて・・・
そして、食べる量がどうやら、少なくて・・・
まぁ、歳も重ねたから、消費カロリーを考えるとこの程度だろうと思っていたりして、
食事を抜いてしまうこともよくあって・・・そのたびに、少量で満足する自分になってきていて。。。
昨年一時期とてもよく食べて、幻の47キロ台になって、ちょっとふっくらして・・・
その後、また食べない時期に突入し、今は45キロで安定しているので心配していないが・・・
とにかく、食べる量が少ないことで、たんぱく質の吸収が上手くできなくなって・・・
なんと、嚥下に影響が出る・・・と、TVから流れていた・・・私じゃん、これ!

ちょっと、驚いた。

筋力も落ちてきていることも、同じことが原因かもしれない。

食べなくっちゃ、あかん!

ちょっと、自分で自分に警鐘をならした瞬間だった。

実は、ヴォイストレーニングとかして、声帯を開いたりしてるから、
わりと、開きっぱなしになって、気管に入ってしまうのかなぁ・・・
などと真面目に考えるくらい、私は最近嚥下が上手く行っていなかった(^^ゞ

まずいぞ、まずい!
いや、食事は、おいしいと思っています。
大丈夫です。
つまり、食事ではなく、この事態がまずいってことだ。
それでなくても常に貧血状態を指摘されているんだし、
あ~~~本当に、食事のこと・・・バランスはもちろんだが、量をしっかり食べないといけない。

ヘロヘロの身体では歌えない・・・

気が付けば6時に目覚めて、湯船で歌のこと考えていて、すっかりのぼせて、
それなのに、何も食べたり飲んだりしていない・・・これで、お昼まで過ごせてしまう自分がいる。

いかん!絶対にいかん!!

食べることにしよう・・・
トーストだけでなく、ハムチーズトマトに牛乳・・・とにかく、食べる!

ブログ書いてないで、食べなくっちゃ・・・なのであります。

現代版栄養失調・・・要注意!
食べること・・・大事です(^.^)

華麗なる加齢できるかなぁ・・・

2018-04-07 22:09:16 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
咳が苦にならない。
どうしたらいいんだ、咳は出るけど、
苦になるほどの出方じゃないんだ。

『長引く辛い咳。』という事での書き込みはいっぱいあるが、
私『長引いてるけど辛くない咳』な訳で、
咳がなくなれば薬は、もういいでしょうと言われ、
咳は無くなっていないけど、辛くないから、クリニックに行かなかった。

2月頃、むせ上げて嘔吐することもあって、
夜もなんども目覚めて、寝不足か、体も辛かった。

今はといえば、辛くない。
フツウに咳が出る感じ・・・フツウに、本当に辛くない。

しかし、どの書き込みを見ても、長引く咳は、侮れない。。。ようだ。

困ったなぁ・・・こんなに元気な私が、クリニックに行くのは、気がひける。

昨年末、癌が見つかり、転移もあり、余命宣告までされた知人。
最初、かなりショックで落ち込んでいたが、今は元気。
辛いことも苦しいこともあると思うが、元気である。
その知人が、平熱が低いということで、体温をもう少し高くしたいと、
米麹の甘酒を飲みはじめて、体温1度上昇したとのこと。

私は平熱は高い方なので、体温が1度上がったら、大変なんだが、
あの『八海山』の蔵元が作っているものを購入した。

私は、酒粕で作った甘酒が大の苦手で、
もちろん、つまり、奈良漬も苦手で、
甘酒は一生飲まないと思っていた。
が、米麹で作った甘酒は別物だった。

どうやら、米麹の甘酒はブームだった頃があったらしく、
いろいろな書き込みがあり、デメリットもしっかり書かれていた。

私は、流行り廃りに興味がない人で、
健康食品のブームにもサプリにもあまりなびかない。

そんな私が米麹の甘酒を飲んだ。
いい感じだ。
しかし、炭水化物であり、糖質な訳で、適度な運動もしないとなぁ・・・
と思っていたら、今日ネット上には、
『炭水化物が命を縮める・・・衝撃の論文の中身とは』という記事があった。

ありゃりゃ、ご飯大好きなんだけどなぁ・・・
米麹の甘酒、美味しいんだけどな・・・

ずっと薬を服用していたためか、便秘も気になりはじめていたが、
米麹の甘酒のおかげか、少し楽だ。

まぁ、吸っている空気選べないし、いろいろあるわさ。

いいこと悪いこと、何がベストか、本当によくわからん。

何事もいい塩梅で・・・よかろう。

咳もあれもこれも、ちょうど体の変わり目なのだろう、
体重増加もやっと落ち着いた。
高値安定期かな。
筋腫も乳管乳頭腫も経過観察。
いろいろなことに慣れながら、付き合いながら、歳を重ねる。

きつくなった服は捨てるべきだという大多数の方の意見に従うべきだろう。
断捨離も進む。
60歳までに、今よりシンプルに生きられるように。
そのためには、ここから5年の生き方に関わってくるな。。。
華麗な加齢できるかなぁ。。。
そんなことを考えながら過ごす、55歳の春なのでした(^^)

元気におしゃべり(^.^)

2018-03-07 22:30:48 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
昨年末から『癌』なんだとの報告を何人かの友人から受け、いろいろ考える機会をえた。
私は腫瘍内科の勝俣ドクターのツイッターを以前からフォローしている。
エビデンス・・・
標準治療・・・
余命宣告・・・
緩和ケア・・・

もちろん、専門家ではないので、そのつぶやきの一部分しか理解できていないと思うが、
その中で、見えてくるもの・・・考えさせられること・・・様々ある。

登山家の田部井淳子さんの言葉・・・『病気になっても病人にはなりたくない』

患者の側は、これを心に刻んでおくことなのだとつくづく思う。
病院で治療を受けながら、おふくろの知恵袋みたいなことを試したり、
音楽を聴いたり、登山をしたり、できることなら、自分の心が落ち着くことはするといい。

しかし、人間、パニック状態になると判断を誤ったりする。

だから、普段から、いろいろ小さな哲学をしておくことは、大切だ。
穏やかに死ぬ(生きる)ために、それは大切なことだ。

今日は、遠隔転移もある友人宅へお邪魔した。
最初・・・もう、この世の終わり・・・のような、気持ちになったということだが、
今は、比較的元気になって、自分の病気をしっかり受け止めながら、過ごしている。
こうして、受け入れるためには、家族の理解とフォローも欠かせない。
パートナーは、朝ご飯担当、夕飯は、友人が担当している。
煮物などにも挑戦しているらしく、それをごちそうになった。

病気であることを必要以上に気を使うことなく、
お湯がなくなれば、取ってきてもらい、こき使った(笑)

余命告知の外れる確率について話すと、
「そうなんだ・・・父親の時ドンピシャだったから・・・」と。

でも最近は、人間いつ死ぬかわからない。
だから、今できることをしっかり楽しもうと思えるようになったらしい。

先日職場の研修で「確率と可能性をごちゃ混ぜにしないで考えないと・・・」と言われた。
なんとなくわかる気がする、が、まだ腑に落ちないわけで、
分かりやすい例えがないかな・・・と考えている。
理系頭ではないので、なかなか、理解ができない。

そんな私ができるのは、元気にワハハオホホと笑っておしゃべりすること。
私自身も楽しい時間だった。

もう一人の友人は、すぐにオペとなり、今はすでに職場復帰している。
入院期間も短かったようだ。
外科的処置で、今後、経過観察となる。

そういえば、我が家の家人もがん患者だった・・・
S状結腸を切除してもうすぐ5年。
家人の場合、癌よりも、肝臓や糖尿の方が厄介かもしれない。
掌はお猿さんのように真っ赤っかで・・・
今日もたらふく呑んだから、明日身体動かないんだろうなぁ・・・

それでも、毎日笑いながら元気である。

笑顔いっぱいの時間が多いほうが、いいに決まっている。
元気におしゃべり・・・これって重要だと思った私なのでした(^.^)


『病は気から』は・・・本当か?

2018-03-05 10:46:29 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
ある意味『本当』だと思うが、『嘘』でもある。
それが私の答えです。

『意識しない意識』・・・
それは『自らの意識』で、他者のではないので念のため・・・

その『意識しない意識』を初めて感じたのは、
初めての妊娠を知った時だった。

妊娠は、病ではないが・・・

私は、当時、京王プラザホテルのBARでバイトしていた。
その店にはフロアに高低差があった。
妊娠してるかなぁ・・・と思いつつも、
急いでる時には、早足でその階段を昇っていた私が・・・
妊娠確定後、早足で昇ることができなくなった。
別に誰かに言われたわけではないが、走れなくなった。
走らなく・・・ではなく、走れなくなったのだ。
運動神経を、脳がつかさどっていると感じた瞬間だった。

私の知人は、ある病気になり・・・
その病気の深刻さを主治医に説明される。
その話を聞く前と聞いた後では、動作に差異が現れた。
歩くこともままならないほど、
つまり、すり足でゆっくりとしか進めなくなってしまった。
何をするのも億劫になり身体が思うように動かなくなった。

そんな中、別の病院で検査を受けることになり、
その病院のドクターから、「動いたほうがいいですよ」と言われる。
その次の日から、体が軽くなり、動けるようになった。
その病院では、通院加療をすすめられたらしい。
灰色で重たい空気に包まれていた知人。
「動いたほうがいい」と言われ、
そのひと言が重たい灰色の空気を一掃してくれた。
そして、昨日まで動けなかった身体が、嘘のように軽くなったわけだ。

安静にしなければならないこと、
その病気がいかに深刻なものなのかを話した主治医は嘘をついたわけではない。
エビデンス・・・(ある治療法がよいといえる証拠。
薬や治療方法、検査方法など、医療の内容全般について、
それがよいと判断できる証拠)に基づいた標準的な話だったと思われる。
根拠のある話をしたわけで科学的な判断に基づいたものだったわけだ。

医療現場では、毎日、患者を目の前にする。
だから、病態は様々あれど、『病気』が日常化する。
だから『病気』が当たり前になる。
フツウノコトとして、語られる。

しかし、患者にしてみれば青天の霹靂で、
なんの問題もなく送ってきていた日常が、急変する。

主治医の言葉が『死刑宣告』のように聞こえることさえある。
それくらい『病気』というのは、患者にとっては『非日常』なのだ。
そのことを配慮せず、当たり前のこととして主治医から告げられた知人は
『意識していない意識』に支配され、身体さえ動かなくなってしまったわけだ・・・

動けなかったときと、動けるようになった時で、
病態に変化があったかと言えば、
治療もしていないし特に大きな変化があったわけではない。
しかし、知人の運動能力は大きな変化を見せた。

私は、この二つのことを考えると、やはり『病は気から』は真実だと思う。
一方で、妊娠の状況も、知人の病態も、変わってはいないのだから、
『病は気から』は嘘だともいえる。

気の持ちようで何が変わったかと言えば、運動能力が一番顕著に表れた変化だ。
そのことは、生活に大きく影響する。
動けなければ、さらに落ち込むこともあろう。
動ければ、病気のことばかり考えず、別のことをできる時間が増える。

たまに笑えば癌にならないなど聞くが、そんなことは無い。
たまにこのサプリで癌が治るなどという広告を見るが、そんなことは無い。
『いやいや、私はそれで癌が治った』という方。
それは、どれくらいの症例で、どれくらいの方が治ったというのだろうか。
自分を標準化してはいけない。
インターネットでは、私も含めて自分を標準化して語られることが多い。
だから、インターネット情報が万人に当てはまるものでないことを心しておくことだ。
そして、どの情報が、科学的根拠にもとづいているかを見極めることも必要だ。

エビデンスに基づいた標準治療を受けるべきである。
その治療の際、状況を患者がしっかり受け止めるために医師は説明をすることになる。
その説明が、患者に何をどう及ぼすかもしっかり考えて、
患者やその家族に、丁寧に話す必要がある。
『病は気から』ということを医師は忘れてはならない。
数字やデータに基づきながらも、『心』が病気・・・いや、
『その人の生きる時間を幸せにする』ことに
少なからず影響することをどこかに思うべきである。

とはいっても、患者それぞれの性格が違うのだから、
昨日書いたように・・・どっちに転んでも、
医者は大変な仕事であることに変わりはない。

例えば、お祈りすれば病気は治るかと言えば、治らない。
科学的に病態が変化することは無い。
ただ、信じるものは救われる・・・の例えではないが、
お祈りすることで気持ちが楽になるかもしれない。

どこぞの医学博士が保証する何とか療法が病態を変化させ治療できるのなら、
とっくにその療法が標準治療として、推奨されているはずである。

ただ・・・そこに安心を、
藁にも縋る思いでそこに安心を求める人もあるだろう。
そこに商売が成立する・・・

『病は気から』は本当にある。
だから、そこに落とし穴も生まれる。

人間の心(脳)は、まだまだ未知なる世界なのだと思う。
感情をコントロールできればいいが、暴走もする。
だからこそ、人間と言えるのかもしれない。
計算通りにはいかない・・・

分かりにくく長くなったかもしれないが、最近つらつら考えていること書いてみた。

もちろん、私は医療を学んだわけではない、
なんの資格もない人間で、あくまで、私の私見であるわけだ。

昨日・・・職場で看護師になるために勉強している同僚が、ある本を見せてくれた。
『病気が見えるシリーズ』だ・・・
娘に話すと・・・「あ~あれね、売れてる医学書だね」
医学書といっても、興味のある人には、読める(理解に限界はあるが)本だと思った。
一冊3000円以上する本で何巻もあるので、
自分の興味のある分野を手にするといいかもしれない。

消化器と・・・免疫と・・・と考えながら、娘に買ってきてもらおうと思っている。

まぁ・・・まとまらないが、このくらいにしておこう。

最近考えていることをつらつらと、綴ってみた。
まぁ・・・なにか重たい現実が起こったときに、
それでも前向きになるために必要なのは、起こる前から情報を得て、準備することだろう。
ことが起きてからでは、パニックになっていては冷静な判断ができなくなるからなぁ・・・

まぁ、自然災害に備えるのと同じような感じなのかな・・・とふと思った。
語り部たちの話を聞き、体験者の話を聞く・・・
様々な情報を自分の中で日ごろから整理しておくことが大事だと思ったわけです。