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CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

瘡蓋(かさぶた)

2018-11-30 19:05:42 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
子どもの頃から、お転婆娘で、隣の工場の塀に登っていた私。
膝小僧にはいつも太陽のように赤チンが・・・

そんな私も歳を重ね、膝小僧を擦りむくこともなくなり、
最近は、動きの鈍さで、いろんなところをぶつけてしまうやら、
遅れて出てくる内出血の原因を覚えていないやら。。。

そんな私が、今回は、明らかに怪我をした瞬間を覚えている。
忘れもしない11月21日(水)Bitches Brew でギグが終了し、
この日は、いつにも増してお客様と話が盛り上がり、
みんなでのんびりとグラス片手に、
琵琶のこと、杉田さんの写真のことを話していた。
私は、24日25日のギグのお手伝いが無理だったので、
片付けもしなければ、と椅子を動かしていた。

そう、私が座っていた椅子を私が片付けた。

最近は、覚えていないことが、間々ある・・・いや、違う、しばしばある。

自分の座っていた椅子の隣の椅子に
私の飲みかけのグラスがあった。

これが、いけなかった。

私は、ちょっと一休みと思い、
あるはずの少し前まで座っていた椅子に座った。
つまり、そこに椅子はない。。。
あぁ、なんと虚しい情景だろう。。。
どの段階で、どんな顔を、したのだろう。。。
そこに椅子は、なく、
その少し奥に別の椅子があり、これも、私が移動したのだが、
尻餅をつく前にその椅子のヘリで、したたか腰を。。。

背骨、つまり腰椎のあたり、10センチに及ぶ傷と内出血。
傷は擦過傷で滲む程度の出血であり、騒ぐほどのことでは、ない。

あの時、まずは、動けるかどうか、
1週間後に歌えるかどうかということが、一番に頭をよぎった。
痛みなんて、どうでもいい。
かなり痛いけど、動けるかどうかが問題だ。

みんながスローモーションで目を見開いて、近づいてくる。
動かない方がいいぞ!しばらく、そのまま!
などと大騒ぎをしていたが、別の場所にいて
状況を把握していない杉田さんは上機嫌だった(笑)

実は、先日、私は『痛み』についての研修を受けていた。
主には、腹痛だったが、厄介な腰痛についても、後半話を聞いていた。
もちろん外傷性のモノも。
多分大丈夫だと確信をするのにそれほど時間は要さなかった。
が、ぶつけてるんだから、痛いことは痛い。
当たり前だ。

さて、その傷が、数日前から・・・痒い。
あぁ、この痒さ、なんて懐かしいんだろう。
膝小僧に瘡蓋ができて、乾燥してきて、治りかけの時のあの痒さ。
よく、端っこから、かさぶたを剥がして、剥がしすぎると痛くって、
ギリギリのところまで剥がすスリルを味わったものだ。

今回、全く見えないところなので、妙なイタズラはできない。
お風呂に入った時に、優しく洗う。

それにしても、瘡蓋ってすごい!と、改めて感心している。
天然の絆創膏な訳で、その下で皮膚が再生される。
必要がなくなれば、ポロリと取れる。
お風呂でふやけてまだ皮膚が再生する前に剥がれたら、新しい瘡蓋が出来る。

昨日夜中に、つい掻いてしまい、瘡蓋が途中まで剥がれた・・・
で、とってしまおうかと、思ったが、痛い。
見えないから、怖い。
そのまま、今朝お風呂に浸かっていたら、ポロリと取れた。
多分、また明日には、瘡蓋ができているだろう。
絆創膏を張り替えたみたいな感じ(^^)

久しぶりに瘡蓋ができて、あぁ、人間の身体ってすごいなぁ。。。と、改めて思った。

瘡蓋って、本当に、凄いと思う今日この頃のお邦デス。


健康診断の結果が来た(^.^)

2018-11-14 10:27:41 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
待ちに待った、健康診断の結果が来た(^.^)
私は10月初めに健診だったから、もうほんと、首を長くして待っていた。
ヘモグロビンが8.8と低レベルの私は、その数字に変化なく、
他の値も1年前とほとんど変わらず、すべて低い。
つまり、貧血症というわけで、
まぁ子宮筋腫が原因だとわかっているので気にもかけていない。

ただ、この半月ばかり実はこの貧血がちとひどい・・・
まぁ、様子を見ながら過ごしていたがついに昨日から漢方を服用することにした。

なるべく自然の摂理のままがいいなぁ・・・と思っているわけで、
それでもそうはいかないこともままあるわけで、
だから、原因が明らかな貧血症なわけだから、
睡眠時間を確保して食事に気を付けて、昨日から漢方。

すこし、身体が楽になるといいな・・・と思っている。

さてさて、まぁほとんどが昨年並みなのだが、

貧血に関していえば、E判定のまま変わらず、
赤血球は基準値内。
血色素量(Hb)8.8
ヘマクリット(Ht)最低ラインをクリア31.2
MCV  19.3 去年より0.2アップ
MCHC 28.2 去年より0.3ダウン
血小板(Plt)38.8 大きく上回るも去年は42.8だからかなり改善。

さてさて、私の長年の課題脂質代謝である。
D→Dで変わらず、
しかし私からすれば、劇的改善!
総コレステロール 310→281
中性脂肪 225→ 71
HDL   61→ 69
LDL  204→198
素晴らしい!
総コレステロールを見れば基準を大きく上回るも基準に近づいているわけで・・・
中性脂肪なんて超優秀な値になっている!!
そして善玉が増え、悪玉が減った!
私は確実に更年期なわけで、どんどん上がっていく時期でもあるのに、
すばらしい!!!!!と自画自賛。
食事を少し気をつけてはいた気がするが、何をどう気を付けたか覚えていない。
あぁ、残念・・・

糖代謝検査がA→D
まぁ、気にするほどではない。
血糖は、85→92とアップするも基準値内だし、
HbA1cが6.1→6.0と基準値を超えているが、私にしてみれば数値が良くなっている。

肝機能がA→B まぁ通常の変化の範囲内で気にしなくていい。
腎臓もいつもの通り、のう胞や石灰化の指摘があるが、C→Bと向上(^.^)

そんな中で今回、注目は胃カメラである・・・
この胃カメラ、今年も死ぬ思いをしたのだが、
なにしろ安定剤が全く効かず、
安定剤が効かないままなので私は暴れる・・・
だから、安定剤をといっているのに・・・
安定剤が効かないまま、カメラを入れる・・・
おまえ!サドかぁ!!!!!と叫びたかったが、
口にはカメラを通すためのおっきなものをくわえてるわけで、叫べない。
自由な足をばたつかせ、できる限りの抵抗をする・・・
ドクターは、「検査してるんだから、動かないで」と言う。
こうなるから、安定剤を使うって言ってるんだろうが!と思ったが、看護師が手足を捕捉にかかった。

みたいな・・・私の胃カメラなわけで、本当に、腹がっ立った検査だったわけで、
その胃カメラの結果が結構、興味深い。
E判定は、十二指腸ポリープ・・・すでに私は、ほっとけばいい事を知っている。
もう一つのB判定が興味深かった・・・
胃炎・・・は理解できる。
さもありなん・・・なかり精神的に追い込まれていた時期だからなぁ・・・
てことは、いまも、ひどい胃炎だろうな・・・かなり追い込まれている(^^ゞ

もう一つ指摘があった・・・『食道裂孔ヘルニア』
これは、いったいなに???
臓器は、いろいろな膜によって、おさまるところに収まっている。
腹部も腹膜に臓器がおさまっている。
この腹膜内臓器には、後腹膜臓器と呼ばれるものがあり、
詳しくは述べないが、痛みの出方である程度、臓器の判断できるのはそのせいだ。

で・・・上下、心肺と胃から先の消化器官は横隔膜がその位置をキープしている。
横隔膜には穴があってそこから先へとつながるわけで、食道は横隔膜より上に、
胃から先が横隔膜の下の腹膜内にある。

その『胃』の一部が横隔膜から飛び出している(ヘルニア)状態だという。

まぁ治療には及ばないものであるが・・・あまり聞かない症状だったので興味深かった。

そして、日ごろ食事の量があまりとれなかったり、
ちょっと食べ過ぎると(一人前程度なのだが)げっぷが出やすくなり、
食べたものの香りが上がってくることがしばしばあった。

まぁ気になるほどではなかったが、確かにあった。

これには、食道裂孔ヘルニアが影響していたのかもしれない。

なるほど・・・と感心した。

横隔膜の穴が緩むのは加齢のため、あるいは腹圧がかかったときなどと言われているが、
まぁ・・・自然のことなので、食道裂孔ヘルニアも別段困るわけではないので、
そのままやり過ごすのだが・・・一年に一度の健康診断は、実に面白いと思うわけです。

さぁ、漢方のおかげで、少し体調は、いい。

プリンター不調だから、手書きになるが、様々なToDoをこなすとしましょう(^.^)
実は、かなり、追い込まれています、私(^^ゞ



認知症について、あれこれ考えた。

2018-10-25 19:00:00 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
昨日、NHK『ガッテン!』(いつのまにか番組名が変わってた)をさらっと見た。
認知症の人の視野の変化や『ユマニチュード』がテーマだった。

私の父は、60歳になる少し前から、軽い認知症症状が出始めていた。
軽い脳梗塞が頭のあちこちで起こっていると言われたのは、
私が15歳の時だから、それから5年くらいで、ボケ症状が出始めていた。
それでも、特に問題はなく過ごしていたが、65歳を過ぎた頃から
メガネを冷蔵庫にしまったり、かなり大変な状態、らしかった。
たまに会いに行くと、普段と変わりないので、母が騒ぎ過ぎではと思うほどだった。
それでも、いろいろなことが起こるようになり、養育院(当時)で認知症の検査を受けた。

父がドクターと受け答えをする。
母と私がその後ろで聞く。

「今日は何月何日ですか?」
「6月6日です」
キッパリと答える。
すでに秋も深まった頃だったから、私はビックリした。
ビックリする私の横で「6月6日雨ザァザァ降ってきて・・・」と口ずさむ母。
あれま、どっちも大変だ、こりゃ・・・と思う私。

「山田さんの職業は何ですか?」
「軍人です!」
「そうですか、戦争に行かれたんですね。それは大変でしたよね。」
ドクターは、否定をしない。そしてさらに
「戦争が終わって、復員されましたよね。」
「はい」
「そのあと、お仕事をされたでしょ。それは、どんなお仕事でしたか。」
「軍人です。」

そう、ついさっきまで普通に話していたし、
朝起きて、普通に支度もして、バスに乗って、
電車に乗って、商店街を歩いてきたんだ、病院まで、普通に。
へっ?何で軍人なんだ???

60代半ばで中程度の認知症。
そして、その後、パーキンソンも進行した。

たまに、通院に付き合う。
幻覚も見えるので、
「ほら、水がヒタヒタとこっちに来る。」
と、病院の床をじっと見つめる父。
母は、正しいことを認知させたくて、
「水なんてどこにもないでしょ、お父さん」という。
私は、父がどんな景色を見ているかが
気になるし面白いから、ごっこ遊びを始める。
一緒に寄せてくる水を見る。

母は、父と二人で暮らしていて、疲れ切っている。
だから、心に余裕なんてない。
日々、必死なのだ。
私は、たまに一緒にいるだけだし、
もともとこんな性格だから、いろんなこと、面白がる。
両極端な二人に挟まれて、
自分だけの世界を見つめている認知症の父がいた。

よくヘルパーさんが、私に言った。
「弘子さん(母)の介護では、正夫さん(父)が辛いはず。」
「何度教えてあげてもできない。」と。

まぁ、仕方ない。
母も体がつらいんだ。
だから、教科書通りには、いかないんだ。
母の心が折れないことが一番なんだ。

私は、そう思って、聞き流した。
聞き流しながら、母が元気な時にサラッと、こうしてみれば?と言う。

その父も20年くらい前に他界した。
今は、母は、兄の家の近く、スープが冷めない距離に一人暮らしだ。

認知症に関しての理解が進む。
そして、色々な状況が好転したりする。
が、
介護している家族や介護施設の職員の状況は変わらない。
経済も時間も、労働環境も変わらない。
変わらないどころか、ひどくなっていたりもする。
認知症がどういうもので、どういった対応することが良いのかについて
理解が進むことは、とても良いことだと思う。
それを、実践できるだけの環境を
社会全体で構築しなければならないと、私は思っている。
『家族の愛があれば』などという精神論では解決できないものが、
根底にあることを忘れてはならない。。。と思った私なのでした。

どうやら、体調悪いみたいだ。。。

2018-10-15 21:23:17 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
今日は4時起床の日だったが、4時30分にアラームをセット。
それなのに、いつも以上に身体が動かなかった。
ゴミ出しはした。
洗濯は、パス。
我が家は毎日洗濯する。
息子のユニフォームの洗濯があるから。
しかし今朝は、息子の帰宅がわたしの出勤時間だったため、
洗濯する時間がなくなってしまった。

家の鍵を閉めたとき、帽子を忘れたことに気付く。
時間がギリギリのため、そのまま駅に向かう。
21日に何を歌うか考えながら、YouTubeを聴く。
フランス語の歌を聴きながら、心の中で、日本語で歌う。
通勤電車で、かなり変なおばさん状態。
声は出さないが、全身で歌っている。
職場に着く頃には、疲れ切っている(^_^;)

おはようございます!というと、声がかすれていた。
ありゃ、声出さなくても声帯動いてたんだろうな。。。
と、勝手に思う。

ちょっと目を閉じると深い眠りに落ちてしまう感じが、
一日中あった。。。寝不足だからな。。。と思っていた。
昨日も一昨日も眠かったし、いつも眠いし・・・

で、今日は、夕方も眠くてたまらなかった。

最初の妊娠したとき、私はとても眠い日々を送っていた。
あの時と似ていて、昨日一人で吹き出してしまった。
妊娠はしていないのになぁと笑ってしまった。

そして、夕食後、TVを観ながら、深い眠りに落ちた。
よく寝た。
で、だんぼっちで歌いながら、ふと、自分が熱っぽいことに気づいた。
測ると、37,5度。

あ〜、具合が悪かったんだ。。。

というわけで、久しぶりに体調悪いみたいだ、私。

だいたいイメージはできたから、眠るとしよう。

あっという間に、深い眠りに落ちそうだ。
熱、もう少し上がりそうな気配あるな、こりゃ。。。

食あたり経過報告(-。-;

2018-10-02 12:00:00 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
25日の舞踏と琵琶、私は2曲歌った。
ずっと、ステージにいたのでそれなりに体力を消耗し、
そのあと浦邊雅祥3Daysのお手伝い。
この間早番中番出勤をしてからのBitches Brewだった。
無謀にも、最終日に一緒に立たせていただいた。
とても刺激的で良い時間となった。
まぁ、飲めないお酒を呑んだりしたので、かなり消耗していた。
んな中、土曜日も早番。
つまり、夜中まで酔っ払い、4時起床な日が続いた。

土曜日の朝、娘が作っていたお弁当のおかず。
鶏肉はもう一度火を通すという娘に、
時間がギリギリで急いでいた私は、
「大丈夫、職場でチンするから」とお弁当箱に詰めた。

が、この日は、連日の睡眠不足がたたり、
食べる気力なく休憩時間、ソファーに横になっていた。
夕方、食べよう・・・と思ったりした。
このまま、何も食べず、死んじゃうかも・・・
と思うほど、食べる気力がなかった。

それが、夕方になり、お腹が空いていることに気づき、
お弁当をBitches で食べることにした。
この時には、すでに、『チン』しなければならないことをすっかり忘れていた。

で、2/3食べた。
胃が小さくなっていたのか、2/3で充分だった。
で、翌朝、この日は遅番出勤。
のんびり、朝食に、『あのお弁当の残り』を食べた。
鶏肉は1個残っていた。
娘の作るお弁当のおかずは、美味しい。
捨てる気にはなれず、食べた。
美味しかったが、ふと、歯ざわりが、生っぽかった。
もったいなくて、飲み込んだ。

そして、台風情報を気にしながら、完全防備で出勤。
早めに職場を出ることになり、なんとか電車で帰宅。
この時には、すでに食欲があまりなかった。
そのことに少し気付いていたが、気になるのは台風である。
自分のお腹の状況など、気にもならない。

で、台風通過の夜、部屋を片付けながら、過ごしていた、夜中・・・

私は体質的に、便秘と下痢を繰り返す。
だから、下痢をあまり気にしない。
が、今回の腹痛はいつもと違う感じがした。
痛みも動くし、刺すような痛みではなく、鷲掴みされるような感じ。

午前2時トイレに駆け込む。
朝、水様便。

これは、あの鶏肉だ。。。
ちょっとフラフラする。。。

月曜日、昨日の朝、娘のアッシーもしっかり勤め、洗濯物を干した。
が、さすがに、身体が動かない。
安静にしていようと思ったが、9時過ぎから動き出した。

ちなみに私は、下痢でも食べたければ、食べる。
身体の欲求に耳を傾ける。
トーストと肉じゃがを少々、午前中に食す。
トイレに二回。

夕方トンカツを食べる。
すこぶる美味しい(^^)
夜、トイレに・・・お腹の中身は排出された。。。(*_*)

が、水様便ではなくなった。
快復傾向であることは確かだ。

今日も早番、朝は危険なので水のみにした。
お茶をしっかり飲んで、今、お弁当を食した。

なんか、いい感じだ。

生であろう鶏肉を食べた量は、少なかった。
いつもの食あたりより。快復が早い。

てか、なんの自慢にもならないわけで、
FBで呟いて、みんなに心配され、みんなに怒られた(^^;;

そういえば、二十歳の頃、旅公演で出演者ほぼ全員、
下痢と嘔吐で病院へ行ったことがあった。
あの時は、多分、牡蠣。
あの時は、先に症状が出たのは、男性たちだった。
あの時は、私とR子だけ、症状現れず、病院へ行かなかった。
翌日の公演前も、みな、点滴に行って、
途中までR子と二人で仕込みをしていた気がする。

心細いなぁと思って仕込みをしていると、
客席の奥の入り口から、
東京にいるはずの演出家が笑顔で入ってきた。

すごくホッとしたのを覚えている。
R子と私は一緒に暮らしていた。
「普段から、腐りかけたもの食べてるのか」と笑われたっけ。

とにかく、比較的、私の消化器官は強い。

とはいえ、半ナマの鶏肉危険だということは、確かだ。

今日もお弁当完食。
食欲は、ある。