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風の谷通信

専業農家からの引退を画策する高齢者。ままならぬ世相を嘆きながらも、政治評論や文化・芸術・民俗などに関心を持っている。

5-033 宇宙外物質

2010-03-25 20:11:02 | 健康/生命
風の谷通信 No.5-033

 宇宙の年齢は46億年だとか150億年だとかいろいろな
数値が書かれていて、その違いは測定年代とその技術水準に
よって変わってきたものらしい。
 ところが宇宙の大きさについてはまだこうした数値に出会え
ないままである。直径が130億光年だとかいう数値に出会った
ことがあるが記憶が定かではない。もし30億光年彼方から来た
光を捉えたといえば宇宙の大きさは30億光年くらいかな、とは
考えられる。
  
 この宇宙内で既知の天体の他にあるのは、ヘリウムが4%、
暗黒物質が23%、暗黒エネルギーが73%だと、ものの本に
記載してある。この「暗黒」という言葉の印象が悪いが何も
「暗黒帝国」などというおどろおどろしいものではなく。ただ
単に DARK MATTER という言葉の訳語らしい。つまり、そこに
物質があるが一切の光を放っていないらしい。しかし、ブラック
ホールとはまた違うものらしい。なんともはや・・・。


 宇宙についてはここまでが既知の世界であった。「あった」と
言う以上は事態が変わったのだ。最近のナショナルジオグラフィック
のニュースに興味深い記事がある。
 “既知の宇宙の外側に「なにか」があり、この宇宙を引き寄せて
いる。既知の宇宙はこれに向かって時速320万kmという速度で
疾走している”。この流れを暗黒流動(dark flow)と呼び、数百個
の銀河団が同じ方向に流れている。これは既知の宇宙の外側にある
物質の重力によって引き寄せられている・・・という。

 既知の宇宙が光速の93%の速度で後退(膨張)していると言われ
るが、その原因がこの宇宙外物質による吸引であれば、この宇宙は
更に大きな宇宙の一部だということが裏付けられる。ビッグバンの
外側の世界が見つかるということになる。

 実に興味深いニュースである。

 人類は自らが「何物であるか?」という疑問を探るために、極大の
宇宙と極小の遺伝子や素粒子を求めて科学を進歩させてきたが、果た
して人類自らがどこへ向かおうとするのかを明確に認識しているので
あろうか?あるいは自らその指針を打ちたてようとしているのであろ
うか?産業革命の萌芽期から400年を経て、人類は自らを傷つけな
ければ存在し得ないような社会を作り上げてしまった。近代科学は人
類自体の生存と至福に役立つ方向に向いているのであろうか?
 
こうして、宇宙外物質の存在や、海洋考古学が明らかにする古代文明
などの世界を覗いていると、科学技術の向かう先が危ぶまれる。

5-027 宇宙と生命(5)

2010-03-07 18:30:35 | 健康/生命
風の谷通信 No.5-027

 一旦はこのテーマから離れたいのになかなか離してもら
えない。

 今日の神戸新聞「理科の散歩道」に載った記事『老後の
意義=子孫のため文化や知識を継承』という記事はまさに
的確な記事である。
 
 無性生殖生物は永遠の命を持っていること/有性生殖生
物には寿命があること/生殖を終えた身体は無用であるこ
と/ヒトの残り寿命が(他の有性生殖生物に比べて)長い
のは子孫へ多くを継承する役目を負っているからだ・・・
と言う解説である。主旨に大賛成。筆者は高校の教諭である。

 だけど、有性生殖生物のオスの役割は精子をメスからメス
へ(つまり人間で言えば母親から妻へ)橋渡しするだけだ、
つまりオスは遺伝子の運び屋に過ぎない、とは書いていないし、
生物種によってはオスが足りないときに「メスの一部がオスに
性転換して、有性生殖を維持する」といったことは残念ながら
書いてない。

 その辺まで書いてあると、続いて『人間社会でもいずれは
女性だけで継代繁殖する時代がやってくるから男性は要らなく
なる』といった分析まで進めることができるのだが・・と思う。
もっとも、そこまで話を進めるのは理科の分野でなく社会科の
領域だと言われるかもしれない。

5-026 宇宙と生命(4)

2010-03-05 20:20:24 | 健康/生命
風の谷通信 No.5-026

 生命は生命から生まれる。それ以外からは生まれない。
というのは現代科学では常識である。だけどそれが奇妙な
ことなのだ。いささか疑問が湧いてくる。

 台所の水切り三角枡に生ゴミを放置しておくとすぐに羽虫が湧く。
開放系だから親虫がいれば常に産卵可能である。そこには小さなハエ
のような羽虫が湧いて飛び回る。そして、他のムシが湧くことはない。 
 生野菜や米ヌカやコーヒーかすを混ぜて発酵させたり米ヌカ水に
酵素を入れて発酵させるとウジ虫が湧く。他の虫が湧くことはない。
この場合は密封系なので、親虫が入ることはないが児虫が湧く。

 これが実は不思議なことだ。なにしろこれらの培地の中に
羽虫やウジ虫の卵を産みつけたやつはいない。生ゴミの羽虫
はまだしも、ボカシや発酵液の密封タンクの中にウジ虫の卵を
産みつける親虫は出入りできない。もし万が一そんな親虫が
出入りするならば他の虫=例えば普通にどこにでも居る家ハエ
の親も同時に出入りし、産卵して、その卵が孵化してくるだ
ろう。・・・・・しかし家ハエも他のムシも生まれない。

 とにもかくにも、産んだはずのない種類の卵が孵り、小さな
虫が湧く。しかも、その培地・媒体に特異的な特有の虫が湧く
のだ。どう考えても培地・媒体から自然発生したとしか考えら
れない。
 
 この事実を現代の生物学はどう説明するのだろうか。
もし自然発生を認めるのであれば「無生物から生物が生まれる」
ということになる訳で、因果律の内容が変質する。
 生命発生というミクロの世界で現代科学に疑問が生まれる。
その一方で超新星爆発による星の新生のようなマクロの世界が
観測されている。更には、大地震は地球のプレートの動く証拠
を見せ付けている。これも興味深い。
 
 そこで、次のテーマがまた浮かんでくる。


5-024 宇宙と生命(3)

2010-02-27 18:42:17 | 健康/生命
風の谷通信 No.5-024

 生命はどこから来たのか?それは現代科学では判らない。;

 現代科学の論理に従えば、総ての結果には原因があり、
原因が作り出した結果は次の原因となる・・・という因果律
の枠組みがある。

 総ての生命は生命から生まれるもので、無からは生まれない。
この原則を立証したのはパスツールであった・・・と中学の
理科か高校の生物学で学んだ。口の短いフラスコにブイヨンを
入れて放置すると菌が(すぐに)発生する。しかし長~い曲がり
くねった口のついたフラスコにブイヨンを入れて放置すると菌が
(長い~間)発生しない。簡単だけど彼の有名な実験だ。

 だけどこれでは不充分だ。その元の生命はどこから来たのか? 
彼はそれに答えられない。元の元の元の、つまり原初の生命は
どこから来たのか・・は相変わらず不明である。

 そのことを松井孝典「宇宙誌」が解説している。
地球表面に発生した海がまだ熱いうちに、地球が持っている元素
の間で化学反応が起きて、ある種の有機化合物が発生する。
 
 それを実験的に追求したのがユーリーとミラーの実験(1952)
だという。実験装置の中に「オパーリン=ホールデン仮説」の原
始地球大気を充填して水蒸気を与え、そこに高電圧の火花を放電
させた。その結果、ある種のタンパクの素材が生じた。

 原始の海の中で生まれた有機化合物の中からある種の生命が
発生してきた・・・だろうと言うのが現代の最も信じられている
説だという。熱い海の中でも生きる微生物はある。現存する。
それらは海底火山の吹き出し口のような熱い海域で生息できる。
そんな熱い地球で、少なくとも35億年前に生命が発生していた。

 そんな有機化合物がやがては意思を持ち、自己増殖し始める。
その時点で、既に魂や霊を持ち、物体は霊魂と共に発達し始めた
・・・とは書いてないけど。

 やっぱりナ。生命の発生と共に霊魂は生まれ、そのまま輪廻転生
を繰り返しながら単細胞生物から人間という生き延びやすい形体に
まで「35億年かけて」進化してきたに違いない。・・・・という
想像ができる。・・・あぁ面白い。まずはそこまで。

5-019 宇宙と生命(2)

2010-02-18 20:31:16 | 健康/生命
風の谷通信 No.5-019

 松井孝典著「宇宙誌」を読み終えた。幅広い科学思想の
流れを地球規模での歴史的俯瞰の中で紹介してくれる大著。
大著と言っても文庫本で500ページ余り。なかなか手強
くて文庫本にしては読み応えがある。
 
 人類が宇宙を目指すことから説き起して、地球の現況
を知り、この地球がなぜどうして生まれたか/この地球に
生命が生まれた理由/宇宙観/宇宙の果て、などなどを説く。

 書評をする能力はないのでおこがましいことはやめるが、
生命の発生と発展に関する説明が自分の想像とほぼ合致して
いるのがうれしい。
 ビッグバンで発生したガスの中からある種の元素が生まれ
る。ガスが集まって星が発生する。それらが集まって大きく
なる。原始地球に衝突する隕石や彗星が水を持ってくる。
海の中で元素が交じり合い衝突しあっているうちにある種の
生命活動を持つ化合物が出来上がる。・・・・
 
 生命は何もないところから発生したのだ。無から生まれた
のだ。宇宙はこの星に生命を発生させるべき必然性を持って
進化してきたのだ。宇宙に満ちる調和の見事さ。何かの
定数がほんの少しでも違っていたら陽子や中性子や原子や
・・・諸々の物質が生まれなかったし、太陽と地球の距離が
少しでも違っていたらこの星に生命は生まれなかっただろう。

 それが偶然なのか必然なのか理解できないが、どうも必然
を感じてしまう。そこに「神」を認めようとは思わないが、
人智を超えた力の存在を認めずにはいられない。

 なんとも不思議な世界と言うに尽きる。