うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

英語の先生

2011年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム

なぜか急に思い出した(この話はオチがありません)。

 学生時代から社会人の始めにかけて、今でもある大手の英会話学校に行っていた。何度かクラス替えがあって、担当になった先生はちょっと年配の、小さな方だったが、とにかく元気いっぱいなひとだった。面白い話をするときなんか、話をする前から顔中うれしくて仕方が無いような表情をしてお話をされるのが印象的だった。落ち着いて考えるとそんなに面白くない話だったかもしれないが、先生が話されるととても面白いのだ。英語は上達しなかったけど、授業に出るのは楽しかった。

 その先生が交代されて(クラス替えだったのか、交代だったのか覚えていない)、新しく来た先生は若くて童顔の、かわいらしい先生だった。アメリカの大学を出たばかりだったのかな。当時僕とほとんど同じくらいの年齢だったと思う。この先生も教え方は結構上手だった。ただ、前の先生が本当に生徒の心をつかんでいたのに対し、何となく一生懸命やってるから、協力してあげなきゃという気持ちにさせられていた気もする。

 その頃僕は就職したばかりで、初めての社会人生活に四苦八苦しているころだった。それにスマートでかわいくていいんだけど、前の先生みたいに心を許して話をするという雰囲気にはなれなくて、何となく授業から足が遠のいてしまった。しばらくしたら、先生から家に電話がかかってきた。何度もかかってきて、僕のいないときは親にもかけてきていたようだ。
たぶん、生徒が欠席すると先生の評価に影響する等の事情があったのだろう。それはわかっていたのだが、そうなると何となく学校に行くことが余計気が重くなってくる。たまに学校に行って、先生に、「Q(というニックネームにしていた)、あなたが来てくれてうれしいわ(原文英語)」などといわれると、胸が痛んだ。
 結局学校には行かなくなってしまった。電話に出た親は「先生がもし辞めるならばきちんと手続きをしてくれ、と怒ったように言っていた」という。もしかしたら先生は、私が来なくなったことで学校からおとがめを受けていたのかもしれない。なんか悪いことをしたなあ。
その後僕がしばしば英語で苦労したのは、先生の呪いのせいだったのかも。ごめんね先生。

と、いう自責の念が、なぜだか突然胸に浮かんできた。なんでかな・・。

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