村上春樹著 スイッチ・パブリッシング
大手書店の紀伊國屋が初版の90%を買い上げて店頭で販売した、と言うことで話題になった本である。
人気作家の最新作を独占というか寡占販売することで、ファンの来店を促すことが目的、と言うことなのかな。その是非については正直、よくわからないが、さいきん街の本屋だけではなく、文教堂などのチェーン店も少しずつ減少しているような印象がある。本屋さんの減少は、いずれじわじわと進んでいくのでしょうね。駅の新聞スタンドも、もう珍しいものになりかかっているようだし。
前半は雑誌MONKEYに連載されたもので、村上氏の小説家としてのデビューから、長編小説をどうやって書くか、といった、小説家のなり方的なことが書かれている。文学賞とのつきあい方とか、作品のオリジナリティに関する見解など、他の作家でもこういう内容に触れた文章はあまり見かけないように思う。
後半は本書書き下ろしで、走ること、学校のことなど、内容は様々だ。以前から氏が折に触れ述べておられたようなこともあれば、初めて聞くような話もある(あたりまえのはなしですね・・)。氏が自作についてあれこれ述べるのはそうめったにないことだと思うが、今回はかなり積極的に触れておられる(「多崎つくる」が当初短編のつもりで書かれていた、とか)のが印象的だ。
海外に作品を売り込んでいった「海外へ出て行く。そして新しいフロンティア」などは、ふつうの?サクセス・ストーリーであり、なんだかとても生き生きと書かれている感じがする。学校についての記述は、いまひとつ切れ味が悪いように思えた。
本書というか、村上氏のことを考えるとき、浮かんでくる言葉はふたつ、「ニュートラル」と「パーソナル」だ。
ニュートラルについては、氏も本書で書かれている。創作活動をする人はつい気負ってしまいがちなものだが、これに対し「自分は何を求めているか」よりはむしろ「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか」を頭でビジュアライズするほうがよい、とアドバイスしている。氏は人生のなかの「重心」のようなものを、試行錯誤して捉えることができたのだろう。だからこそ彼の作品には力みが感じられず、また氏も30年以上にわたり活躍ができたのだと思う。
多くの人は、自分の「重心」が見えないというか、場合によってはそれを探そうともしないで、力業で水平を保つようなことをする。結果、それを長く保つことができない。村上氏は幸運だった、と書かれている(そして、幸運はただの入場券に過ぎないとも)が、多くの人は自分の「重心」を見つけられず、とりあえず立っているのが精一杯、という状態で生涯を過ごさざるを得ないのかも知れない・・。
パーソナルの方は言わずもがな(村上氏自ら「僕は個人的な人間です」と書かれている)かも知れない。ただ、氏の場合奥様の存在はかなり大きいのではないか、と推察する。共同で執筆しているわけではないが、新作を書いたら最初に奥様に読んでもらっているそうだし。特定の読者を想定して書いているわけではない、とも書かれているが、奥様が読まれることは全く意識していない、ということはないだろう。いわゆる「孤高の作家」という言葉は、村上氏には当てはまらない気がする。
期待通りの新作でした。