うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

すこし、まとめを

2022年02月27日 | 社会・経済
一度咲くと早いです。

昨日は二輪だけでしたが、今日はけっこう咲いている。

実家にも赤い子と白い子がいるが、やはり赤のほうが先に咲くらしい。
白い方はちらほら。


以下、僕のこれまでの誤解を訂正する意味もかねて、ウクライナ情勢についての状況をまとめてみたい。
実際に起きている事実や誰かの見解ではなく(それはニュースサイト等のほうがくわしい)、自分自身の捉え方のお話だ。

今回の、ロシアのウクライナ侵攻に関する問題点は、世でいうところの「力による現状変更」という問題に尽きる。
付け加えるならば、それに伴う市民への人命の危機だ。


国連憲章では武力による威嚇、武力の行使を禁じている。国連の枠組みはその意図通りになかなかワークしないことが多いのだが、だからと言って堂々と破って良い理由にはならない。ロシアは安保理の常任理事国である。

本来国際秩序の遵守を主導しなければならない立場の国が、自らそれを壊しているという罪は、最大限に非難されるべきだ。

ウクライナを巡り、西側諸国およびロシアとの間で、陰で様々な暗闘が繰り広げられていたらしいことは多少伝わってはいる。その点米欧もイノセントではないことは確かだ。

ロシアにも言い分はあるし、意見を表明する権利はある。
それも、武力行使をした段階(より正確には部隊を集結させた段階)までのことだ。誤った判断をした者に、もはやその権利はない。
駐日ロシア大使館は、アメリカがいかに諸外国に軍事介入していたか(もとは駐ロ中国大使館のスレッド)を引用しているが、それを悪とするなら、今自分達がしていることが何であるのか。明らかに論理矛盾している。

皮肉と言ってはなんだが、昨日見た中国外交部のコメントがもっとも冷静かつ慎重な見解だ(じっさいのところ、中国は今この問題には係わりたくないのだろう。以下リンク張りますが中国語できない方は日本語訳で読んでね)。

この戦争はかなり身内に近い者同士の戦いであることも、忘れてはならない。戦車に乗っているのは誰かの息子だし、その両親の親戚の誰かはウクライナ人なのかもしれない。その逆も当然あるだろう。
親戚じゃなければ殺して良いわけではないが、お互いにともかく、銃を置いて話し合うことはしやすいはずだ。

その意味では市民を武装させて戦わせることも、あまり望ましいこととは思わない。ただ、ウクライナでは以前から地域防衛軍という、民間人による自警団が活動をしているらしい。日本にいるとー2020年代の日本という意味だがー自らが祖国防衛のために立ち上がるという意識に対して、あまり想像力が働かないが、国情がそうさせるのかもしれない。

かくして今、国際秩序は重大な危機を迎えている。
以前ならアメリカが圧倒的な影響力を持ち、良くも悪くもそれが色々な物事を表面化させずに済んでいた。早くこの危機から脱してほしいものだが、その時世界はかつてのような米欧主導の世界ではなくなっている可能性がある。

もちろん、それが直ちにこの世の終わりを意味するわけではない(うっすらと分岐ポイントは見えてはいるぞ)。各セクターが相互に妥協点を見出す形の、バランス・オブ・パワーの世界に、久しぶりに入るのかもしれない*。
(*19世紀)

もうひとつ頭が痛いのは、経済的な混乱だ。現実生活で一番困るのはこれ(インフレーション)だと思う。コロナ後は狂騒の20年代(Roaring Twenties)という予想もあったが、21世紀の世界は一気にそれをスキップして、1930年代初頭を彷彿とさせる世の中になってしまった。。くわばら・。


ツイッターでこの種の問題の専門家さんをフォローして読んだりしているが、そうした方々でも多少「異論は認めないぞ」モードに入っている発言を散見する。戦争は人々をホットに、あるいは偏狭にするようだ。

だいたいはウクライナ頑張れ!系の人が多いが、多少引いた視点の人もいる。FBにその手の意見を出している人がいて、その方もこんな感じで自らの意見の論点整理をしていた。意見が違うところもあるが、これは理解できる。
ただ、よく訪問していたブログで、この方は陰謀論系が好きな方だが、今回もかなりユニークな解釈をされていた。残念ながらここまでくるとちょっとね・。



しくらめんも元気。
よく水を飲む。

コメント (2)
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