うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

メディアの生き証人

2019年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム

令和の時代になってから目まぐるしくいろんなことが起こったり、状況の見通しが全然違うことになったりしていて、大変です。

急に物事が変わってしまうと、非常に困ります。頭がふり~ずする。

絶句する、と人は簡単にいいますが、例えば道ですれ違った犬からこんにちわ、と声をかけられたとか、動物園の猿山を見ていたら、サルたちが集まってきてぜひ私たちのボスになってくれ、と懇願されたりとかしたら、それは言葉も出ないでしょう。例えがめちゃくちゃで、ふざけてるみたいで何ですが。

そうではなくて、ほかに驚くべきことがおきてショックをうけているときに、部下の子が普通に、普段だったらすぐ答えられるような質問をしてくるのですが、一瞬どう答えていいかわからなくなり、ちょっとまってね、いま他のことで頭いっぱい・・と答えざるを得なくなるという。。おおぷり~ずりいぶみいあろ~ん・・。

まいりました。

なんのことかわからないですね。。すみません。


気を取り直して。

僕等が物心ついたころはアナログレコード(33回転と45回展)とカセットテープが記録メディアで、レコードもカセットも今思えば随分高かったけど、まあそんなものだと思っていました。コンパクトカセットはごく当たり前に存在していましたが、今思えば登場後10年ちょっと、家庭に普及するようになってから数年というころでした。

ビデオ録画というか、テレビ放送を録画するという概念は存在しなかった(個人の感想です。以下同じ)。中学の時、誰かのうちにいったらリビングのテレビの下にVTRがあって驚いたんだったな。音声はラジカセをテレビのスピーカーに押し付けて録音できた(そうすると家族の声が入ってしまう。イヤホンジャックでつないだりすると音が出ないから、家族に怒られる)。

当時、写真フィルムを現像に出すと、フィルムの入ったスリーブを紙の封筒に入れて返してくれた。そこには様々なシーンでの写真の撮り方が書いてあって、例えば晴天野外は1/250, F11、花火はなんちゃら・。フィルムの箱にも書いてあるが、それより詳しく色々なシーンが載っていた。そのなかにテレビというのがあり、たしか1/60 F5.6だったかと思う。三脚をテレビの前に立てて撮影するが、これも家族に迷惑がられた。ブラウン管なので、画面が光って見えたり、自分が写ったり・まあこれは今でもあるか。とにかく、テレビ画面の撮り方がフィルムの用途の一つとして書かれていた、という話ですね。。実際撮ったのは「宇宙戦艦ヤマト」と、「王貞治756号ホームラン」の写真でした。撮ったのはあのときだけだったな。。カラーネガのISO(当時ASA)の400というのが出て、撮影範囲が広がったな、と思い始めたころだ。

CDは大学生のときに出たが、プレーヤーが25万、メディアが4千円とあっては手が出せるものではなく、長いこと関心がなかった。社会人になったころ、レコード屋に行ったら半分がLP,半分がCDという具合になっていて、そろそろ入れ替わりかな、ということを実感し始めた。が、自分でCDを演奏する機械を手にしたのはさらに遅く、家を出て一人暮らしを始めたとき、知人から譲ってもらったCDラジカセが最初だ。既に平成に入っていた。

平成5年ごろからクラシック、そしてCDにはまり始める。機材も少しずつ揃えるが、録音メディアは依然コンパクトカセットだった。MDは平成4年、ほぼ同時期にDCCというのも出ていたが、まだ普及には至っていなかった。

DCCはコンパクトカセット互換が売りだったが、あいにくほとんど普及せずに消えてしまった。MDを買ったのは平成8年の今頃だ。最初はSHARPの録再型ポータブル機を買って、めちゃくちゃ使い倒した。圧縮するから云々と、当時マニアからは白い目で見られていたが、実売49,800円だったのに、音質はとても良かった。光、同軸の端子がついた「ドック」も買って、CDをコピーした。電池の持ちだけは(実用3時間ぐらい)ちょっとあれだったが、数年間使いまくった。

家でコンポにつないで聞くには、やはり据え置き型のデッキが欲しい。しかし、本格的なコンポとしてのMDはまだ評価が定まっていなかった。ので、MDを買ってから1か月ぐらいしたころ、DATデッキを買った。DATは1987年の登場で、やはり普及が進まず圧縮メディアの攻勢を受けていたが、まだパイオニアやソニーが普及価格のデッキを発売していた。うちで買ったのはサンプリング96KHzのモードがついているモデルだったが、据え置き型だったので使い道がまるでなかった。高音質でFMのエアチェックしてもしょうがないし。FMは32KHzで録音すると、たしか6時間だったかしら、テープ交換なしに録音できたので便利だった。今でもデッキは使える状態で持っているし、生テープもたしかあったはず。録音済みテープのほとんどはFMエアチェックだ。流し撮りしたDATをMDに同軸でつないで、コピー音源を持ち歩いて聞いたりしていた。

だんだん自分の中でMDの評価が高まり、それじゃあ据え置きデッキも買うかということで翌年夏、ティアックの上級機を買った。ソニーやDENONは15万程度の製品を出していたが、うちのは10万円弱。これも現役で、結線もしてある。たださすがにほとんど使うことはない。

同じ平成9年夏、こんどはオペラのソフトをディスクで揃えたくなった。ちょうどLDからDVDに切り替わるところ。DVDは前年秋に登場したばかりで、各社から初号機が出そろったところだった。開発の推進母体企業の関係からか、東芝、パナソニック辺りは早々に製品を出していたが、ソニー、ビクターは翌年になって製品が出た。ので、ビクターを買ってみた。前にもここで紹介したことがあると思う。

オペラを見るために買ったのだが、当初はDVDのソフトがまるでなかった。映画を中心に100タイトルぐらいだったかな。

オペラはパイオニアがLDの形で結構だしていていて、平成9年ごろもまだ新譜が次々と出ていた。ので、ほとんど初めてだと思うが、アマゾン(日本には法人がなくて、アメリカのサイトに直接アクセス)で「カルメン」のDVDを買った。VHSからダビングしたんじゃないかと思うほど、むちゃくちゃに画質が悪かった。値段は忘れたけど、50ドルぐらいしたんじゃないかな。

このほか買ったソフトは、最初に買ったのがたしか「ディーバ」というフランス映画(オペラ歌手が出てくるから)、「フェア・ゲーム」という、シンディ・クロフォードが主演の映画(シンディが弁護士にはぜんぜん見えなかった)、音楽ソフトだからということで買った桑田佳祐のライブ(1,2回しか見なかった)という状況。

フェア・ゲームはサスペンス映画としては面白かったな。雨の日の日曜日の夜、見始めたら止まらなかったことは覚えているな。少し遅れて、ブラピの「レジェンドオブフォール」(カタカナ英語が中途半端だぞなんで定冠詞外すんだよ)、当時多少話題になったと記憶するが、いずれにしてもほかにソフトがそろっていたら手を出さなかったかもしれない。。

平成9年秋ごろは、まだDVDソフトは1か月に10とか20タイトルぐらい出る程度だった。毎月吉祥寺の新星堂に行ってDVDを買っていたら、店員さんに覚えられて「今度XXのLDが出ますよ、いかがですか?」などと言われたりした。


平成の、新しいメディアに夢中になっていたのはこの辺りまでだ。平成10年には家を買うため、買い物は控えるようになる。それが落ち着いた平成13年ごろからは徐々にカメラのほうに投資先が遷っていった。平成19年に、旅行で使うため8センチDVDのムービーを買ったけど、あのメディアはまだ売ってるのかしら。平成の終わりごろ、安いLPプレーヤーを買ってLP復活、ディアゴスティーニのビートルズLPをそろえたりした。

あれだねえ、昔は欲しかったら素直にぱっぱと良く買えたもんだな。。今、8kったって別にねえ。。

 

追記:一部訂正しました。最初に買ったポータブルMDはDENONではなくてSHARP。

コメント
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