うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

日本沈没

2013年05月18日 | 映画

きっかけは河口湖の水位が異常に減っている、というニュースだったと思うが、ふと思いついて、電子書籍サイトから「日本沈没」を検索して、読んでみた。更に、映画も観たくなって、DVDを買ってみた。

 小松左京氏のとてつもなく壮大なスペクタクルである。ちょうど今から40年前に原作小説と、映画が発表され、大ブームになった(僕はタイトルと、ブームだったと言うことはかろうじて覚えているが、本を読むのは今回が初めてだ。もちろん映画も)。

 当時の科学者たちも認めるほどの、科学的な論理に裏付けされたストーリー展開もさることながら、そもそも日本の国土が失われてしまうという、壮大な設定がすごい。
文庫前書き(読んだ電子書籍は文庫版をベースにしていた)で小松氏は、作品の発想について、渡米時に出会ったポーランド人との会話がきっかけだったと書いている。民族が国土を失う事もあるんだ、という衝撃、そして繁栄を謳歌していた当時の日本人が、漠然と抱いていた(このままで良いのかという)不安感が、この作品の底流にあるのだという。

「日本沈没」はだから、その後国土を失って世界に四散する日本人を追う壮大なストーリーの、プロローグ部分だったのだが、小松氏はその後の続編を最後まで描くことはできなかった。社会情勢がどんどん変わっていった(共産主義体制の崩壊、民族独立の動きなど)ことも影響しているようだ。

作品では伊豆天城山の噴火、京都、関東での大地震などの描写が見られるが、現代の視点で見ると、妙にあっさりしているというか、小説の日本社会がそれほど動揺していないことがちょっと意外に感じられる。これは小松氏の描写力不足というよりは、その後のわれわれが経験したいくつかの大地震(阪神淡路、東日本)ともたついた復興の様子が、自分たちの記憶に生々しく刻まれているせいかもしれない。小説のような関東地震が起きたら、日本はどうなるのか、物流、通信、金融など、その影響は計り知れないものとなるだろう。(沈没まではしないにしても)。

wikiだかどこかで読んだが、元々はもう少し長い作品として書かれていたらしく(出版社の意向で上下巻にまとめられた)、そのせいか冒頭部分を中心に、使われることのない伏線などがいくつか出てくる。

それと、この作品の英訳(抄訳だが"Japan Sinks"の名で出版されている)の感想をアマゾンかなんかで見てたら、「この作品には女性が二人しか出てこない」なんて書かれていたが、たしかに男ばかり出てくる感じのする作品だ。英訳はわからないが、女性は主人公の婚約者と、隠棲する老人の付き人(花江)、銀座のホステスぐらいで、婚約者を含めて役柄はかなり軽く、台詞もほとんどない。やたらとバーのホステスの描写がある(様に感じられる)のも、当時の時代性を感じさせる(小松氏の周辺で身近にいた異性だったから??)。
しかし、若者から101歳の老人まで、男たちが活躍する様は、何となく高度成長期の日本像を彷彿させて、妙に頼もしく感じられる。今思うんだけど、当時と今はやっぱり中年の男たちの気概というか、存在感そのものが明らかに違うのではないかな。いつのころからか男たちは哀愁と滑稽さばかり目立つようになってしまったのだろう。’イケメン’も明らかに女性視点で、なんかちがうよなあ。

さて、映画の方だが、40年前の特撮だから、色々突っ込みたくなって見るのが辛いかな、と最初思ったが、案外そうでもない。CGも無い時代(あったそうだが、日本ではできなかった由)に、大したものだ。もっとも、こちらが(時代物として)わかって見ているからと言うのもあるが。経営陣の意向で、4ヶ月の突貫作業で撮影したそうで、その気概も伝わってきているのかもしれない。DVDにはコメンタリー音声が入っていて、小松氏と助監督、特撮の方々がお話しされていた(これが実におもしろい)が、時間の制約で悔いの残る部分も多かったそうだ。
2時間20分の映画なので、原作から省略された部分も少なくないが、逆に原作で無駄に思える部分がなくなり、すっきりとわかりやすく思える。原作はSFらしく?当時は無かった近未来的なガジェットや設定は、残念ながら映画には反映されず、映画の方がリアルな当時の社会描写になっている(成田、関空が既に開港しており、SSTも飛んでいる。成田高速なるものが走り、羽田から成田までヘリバスが飛ぶ。携帯電話のような「個人電話」がある。街全体を冷房する施設が、不完全ながらある。リニア新幹線を建設しようとしている-現実には今やっていることだ。)例外は1万メートル潜れる潜水艇(当時は2000メートル級まで)があること。

首相は丹波哲郎が演じているが、この演技が実に良い。また、竹内均氏が学者役として、政府関係者に解説をしているが、ほれぼれするほどわかりやすい説明で、あらためて感心してしまった。

作品当時と比べ、現代の日本は、その風習、自然の風景、町並み、どれもが更に失われ、都心の繁華街はどこの国だかさっぱりわからない建物だらけになってしまった。我々は既に、日本の国土を失ってしまっているのかもしれない。そんな我々でも、もし本当に国土を失い、世界各地に四散するようになったら、古い風習を尊び、民族としての誇りとアイデンティティを持ち続けようとするのだろうか?海外に住んだことのある(住んでいる)日本人は、より「日本人」になる人と、すっかりガイジンになってしまう人がいるようだけど・・。

コメント
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