図はこれもデューラーの版画で、遠近法を使って壷を描いている様子が示されています。
透明な画面なら、それを通して見えた立体的な像をそのままなぞれば、正確な輪郭を写し取れるだろうと普通は思います。
見えたままを写し取るのですから、正しい輪郭が描けるはずだと思うのですが、実際にそうしようとしても、なかなかうまくいきません。
実際に透明な画面を通してモノを見ながら、透明な画面上で輪郭をなぞろうとしても、目が動いてしまうと見え方が変わってしまうために、うまく輪郭をなぞることができません。
この版画に描かれた画家は、後ろの壁に紐を固定し、紐をまっすぐに伸ばした先に筒を着けその筒を覗きながら輪郭をなぞっています。
紐は視線の代わりで、画家が目の位置を動かしても、紐をピンと張り、筒を張った紐に合わせて、筒を除けば固定されたいちからの線上にあるので、ひもをこていした位置から見た輪郭を描くことができます。
つまり画家の目の位置を固定する代わりに、後方の固定した視点を設定しているのです。
また筒を通して見ているので、当然片目で見ているわけであり、両眼で見たときのようにペン先や壷が二重に見えたりすることがありません。
両眼で見るとペン先を見ると壷が二重に見えますし、壷のほうを見るとペン先が二重に見えて輪郭が描きにくいのですが、片目で見れば二重には見えなくなって正確な輪郭が描けます。
これはちょうど鉄砲を撃つとき、片目を閉じて照準を当てて狙いをつけるのと同じ要領です。
人間の目はカメラとは違うために、見えたままを平面の紙に写し取るということは如何に大変かということが分ります。
E.エドワーズ「脳の右側で描け」では人間は左脳で、ものの形はこうだという固定観念で考えるために、正しい輪郭が描けないのだといっていますが、そうではないことが分ります。
見えたままに描こうとしても、視線や焦点が変化するために見え方が常に変わるので、うまく描けないのです。
遠近法は写真を撮るように、視線や焦点を固定させる方法を考えて実施するというのですから、まさに左脳の働きにしたがって描くことになります。
芸術は右脳のはたらきだという固定観念があるために、正しい輪郭の絵を描くときは右脳がはたらいていると思ったのでしょうが、実際は違います。
そういえば音楽の場合もプロの音楽家は、音楽を聞いているときは左脳が働いているということですから、芸術イコール右脳と無理に思い込むべきではないのです。