明治初期には「秋の日のヰ゛オロンのためいきの、身にしみて、、」というように表記されていて、これをビオロンとすると何となくおかしな感じがします。
日本のカタカナにはもともとワ゛とか、ヰ゛とかヲ゛などというものはなかったのですワ(wa)、ヰ(wi)、ヱ(we)、ヲ(wo)にたいし、va,vi,ve,voを表わそうとしてワ゛、ヰ゛、ヱ゛、ヲ゛といった表記法を考えたのでしょう。
表記はこうなのですが、これを読むとき当時の人はどのように発音したのか分りませんが、おそらくvioronと発音したのでしょう。
bioronと発音したのであればビオロンと表記してもよいのですが、原語がviolonなので綴りを意識してヰ゛オロンとしたに過ぎないのかもしれません。
(作者のことはウ゛ェルレエヌとしてヱ゛ルレエヌとしていませんが)
ヰ、ヱ、ヲは現在ではイ、エ、オと同音になってしまっていますが、かつてはwi,we,woのように発音する人もおり、実際の発音はともかく意識的にはwi,we,woという音だと感じる人が多かったようです。
ビルヂングというような表記も現在からすれば、英語の発音を無視した表記のように感じられますが、ヂはjiあるいはziと発音されたのではなく、diあるいはdhiに近い音で発音されたので、ビルヂングは英語の発音あるいは綴りを反映したものだったのです。
MEIDIYAは明治屋のことですがMEIJIYAとしていないのは明治が旧カナ遣いではメイヂだからですが、ヂをDIとしてJIとしなかったのは発音がヂとジでは違ったからです。
一方で明治乳業はMEIJIとなっているのである段階ではメイヂは二通りの発音があったということになります。
クァルテットにしてもカルテットとしなかったのはkwaというような発音がかつては日本語の中にあったためで、quaという綴りを意識しただけではないでしょう。
旧カナ遣いでは会議の仮名表記をクワイギとしていますが、つい最近までkwaigiと発音する人がいましたから、kaigiという発音をクワイギと表記していたとは限らないのです。
少し前まではクワイギという表記に対し、kwaigiと発音する人がいる一方でkaigiと発音する人もいたのです。
発音が変化しても表記は変えないほうがよいという立場もありますが、そうするとひとつの表記に対して二つ以上の読み方ができる可能性が出てきます。
漢字についてはまさにそうで、日本語では漢字は意味を担当するのでやむをえないとはいうものの、読み方の種類が多すぎて習得が困難です。
カタカナ語の表記についての文科省の方針は、なるべく原語の発音を反映するような表記が望ましいとする一方で、慣習的は表記も許容するというものです。
そのため同じカタカナ語に対しいくつもの表記があるという結果になっています。
さらに原語の発音を反映するといっても、日本人が感じる発音は耳からのものと綴りを知っての発音では違いがあるのでどちらを認めるのかあいまいです。
最近までは綴りを頭に置いた発音を反映する傾向だったのですが、耳に聞こえたとおり使用とする動きがあり(たとえばアンビリーバブルをアンビリバボーとする)混乱が続きそうです。