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歴史的カタカナ遣い?

2008-02-24 23:58:04 | 言葉と文字

 明治初期には「秋の日のヰ゛オロンのためいきの、身にしみて、、」というように表記されていて、これをビオロンとすると何となくおかしな感じがします。
 日本のカタカナにはもともとワ゛とか、ヰ゛とかヲ゛などというものはなかったのですワ(wa)、ヰ(wi)、ヱ(we)、ヲ(wo)にたいし、va,vi,ve,voを表わそうとしてワ゛、ヰ゛、ヱ゛、ヲ゛といった表記法を考えたのでしょう。
 表記はこうなのですが、これを読むとき当時の人はどのように発音したのか分りませんが、おそらくvioronと発音したのでしょう。
 bioronと発音したのであればビオロンと表記してもよいのですが、原語がviolonなので綴りを意識してヰ゛オロンとしたに過ぎないのかもしれません。
 (作者のことはウ゛ェルレエヌとしてヱ゛ルレエヌとしていませんが)

 ヰ、ヱ、ヲは現在ではイ、エ、オと同音になってしまっていますが、かつてはwi,we,woのように発音する人もおり、実際の発音はともかく意識的にはwi,we,woという音だと感じる人が多かったようです。
 ビルヂングというような表記も現在からすれば、英語の発音を無視した表記のように感じられますが、ヂはjiあるいはziと発音されたのではなく、diあるいはdhiに近い音で発音されたので、ビルヂングは英語の発音あるいは綴りを反映したものだったのです。
 MEIDIYAは明治屋のことですがMEIJIYAとしていないのは明治が旧カナ遣いではメイヂだからですが、ヂをDIとしてJIとしなかったのは発音がヂとジでは違ったからです。
 一方で明治乳業はMEIJIとなっているのである段階ではメイヂは二通りの発音があったということになります。

 クァルテットにしてもカルテットとしなかったのはkwaというような発音がかつては日本語の中にあったためで、quaという綴りを意識しただけではないでしょう。
 旧カナ遣いでは会議の仮名表記をクワイギとしていますが、つい最近までkwaigiと発音する人がいましたから、kaigiという発音をクワイギと表記していたとは限らないのです。
 少し前まではクワイギという表記に対し、kwaigiと発音する人がいる一方でkaigiと発音する人もいたのです。

 発音が変化しても表記は変えないほうがよいという立場もありますが、そうするとひとつの表記に対して二つ以上の読み方ができる可能性が出てきます。
 漢字についてはまさにそうで、日本語では漢字は意味を担当するのでやむをえないとはいうものの、読み方の種類が多すぎて習得が困難です。
 カタカナ語の表記についての文科省の方針は、なるべく原語の発音を反映するような表記が望ましいとする一方で、慣習的は表記も許容するというものです。
 そのため同じカタカナ語に対しいくつもの表記があるという結果になっています。
 さらに原語の発音を反映するといっても、日本人が感じる発音は耳からのものと綴りを知っての発音では違いがあるのでどちらを認めるのかあいまいです。
 最近までは綴りを頭に置いた発音を反映する傾向だったのですが、耳に聞こえたとおり使用とする動きがあり(たとえばアンビリーバブルをアンビリバボーとする)混乱が続きそうです。
 


経験による見え方

2008-02-24 00:01:56 | 視角と判断

 左の図を見ると一番上の円は膨らんで見え、そのすぐ下の円は凹んで見えます。
 これは経験的には通常、光が上のほうから来るので、膨らんでいるものは上が明るく、下のほうは陰になって暗く見えるからです。
 このように説明されれば納得して、そういうものだと思い込んでしまいますが、これは一面的な思い込みです。
 この図は一番上の円を除いてはすべて下側が暗くなっています。
 そこでこの図を見ればひとつを除いてすべてが凹んで見えるはずですが、実際は見え方は一定しません。
 一部の円が凹んで見えるとき、ほかの円が膨らんで見えたり、あるいはどうかすると全部膨らんで見えてしまったりします。

 図形が凹んで見える場合というのは、背景が平面でなければならないのですが、同時に図全体を同じ平面として見るのは結構難しいのです。
 視線を向けた部分の近辺は同じ平面として見えるので、付近の円は凹んで見えますが、離れた周辺視野の部分は同じ平面としては見にくいため、凹んでは見えず逆に膨らんで見えてしまいます。
 平面としてみるといっても、その平面が目の下に水平にある場合と、目の前に垂直にある場合とでは見え方が変わります。
 水平にある場合は光が上から来るといっても、前方から来るか後方から来るかによって見え方は逆になります。
 経験としては光は上から来るにしても、前方とは限らないので上が暗い場合は凹んで見えるとは限らないのです。
 
 次にこの図の背景はなにも描かれていない状態なので、必ずしも平面としてとらえられるとはかぎりません。
 背景が空間としてとらえられた場合は、円形は球のように見えます。
 球のように見えれば、影になっているように見える部分であっても凹んで見えるのではなく背景より凸に見えます。

 このことは背景が黒い右の図についてみればよりハッキリとわかります。
 背景が黒いので、図形部分はどの部分も背景のほうが後退して見えるはずで、図形は背景より浮き上がって見えるはずです。
 実際、背景より浮き上がって見えた場合はすべて凹んで見えるのではなく、膨らんで見えます。
 この場合は光が上から繰るかどうかとは関係なく凸に見えます。
 ところが背景の黒い部分は、平面としても見ることができます。
 現実に黒い平面があって円形の凹みがあって、凹んだ部分の色が黒でないという場合もあるので、円形部分のほうが明るいという場合もあります。
 この場合は明るい円形の部分は黒い背景より凹んです見えるのです。
 経験が見え方を決めるといっても、経験自体が一様ではないので見え方が一様であるとは限らないのです。