図は、川島隆太「脳を育て、夢を育てる」からで、上は大学生が一桁の足し算を二秒に一回ずつのゆっくりした速さで解いているときの脳のはたらきで、下は一生懸命速く解いているときのものだそうです。
ゆっくり解いているときは脳はあまり働かず、前頭前野もわずかにしか働いていません。
簡単な計算で脳が活性化するというのも、ゆっくりではダメで速くやらなければ脳は働かないというのです。
つまり計算自体で脳が活性化するというより、スピードを上げるということのほうが大きな役割を占めているということのようです。
ちょうどゆっくり歩くより振るスピードで走ったほうが、エネルギーを使い汗をかくというようなものです。
それでは一桁の計算のように簡単なものでなく、複雑な計算をすればもっと脳が働くのかというと、そうではなく逆に左脳の一部しか働かないという結果が出ています。
だから複雑な計算をするより簡単な計算を速くやったほうが、脳が鍛えられるということのようですが、それはオカシイと思うのが常識でしょう。
簡単な足し算を速いスピードでやれば脳が鍛えられるというので、そればかりやっていてはいつまで経っても数学的な能力は向上しないからです。
複雑な計算をするときは、集中するので脳が余分なところまで活動しないのであって、広い範囲で脳が働くほうがよいと思い込むことに問題があるのです。
同じように文章を音読するときも、ゆっくりよりも速く読むときのほうが脳がよくはたらくというわけで、前頭前野を鍛えるには速さが大切だとされています。
それでは複雑で難しい文章を読んだ場合はどうかというと、なぜかそういうテストはしないで、代わりに無意味な文章を読んだときの血流量が調べられています。
この場合は意味がある文章を読んだときと血流量は変わらないそうですから、おそらく複雑で難しい文章を読んでも変わらないのでしょう。
文章の場合は計算と違って、意味が分からなくても読むことはできるので、先に読み進むことができますから同じような結果となるのでしょう。
計算にしろ音読にしろ、脳の血流量という量を問題にしていて、質的な問題は置き去りにされています。
スピードを上げれば時間当たりのエネルギーの消費量が違うので、当然脳血流が増え、脳が働いたという形になるのですが、当たり前のことでそれ以上の意味があるかどうか分かりません。
脳の血流量が増えているという現象を、脳が活性化しているという表現をするため、脳の血流量が多いほうが良いのだと、つい考えてしまうようです。
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