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英語の綴りとカタカナ表現

2008-02-25 23:27:34 | 言葉と文字

 漢字の読み方の問題で、華盛頓、紐育、倫敦などをどう読むかというようなものがありますが、これは倒錯した問題です。
 もともとはWasington,New York,Londonなどといった英語発音を漢字でムリにこのようにコピーしようとした結果だからです。
 日本のカナならば、ワシントン、ニューヨーク、ロンドンというふうにコピーしているのですが、これにくらべると漢字によるコピーは何となく無様です。
 英語ならアルファベットで表現されているのですが、中国語の発音を表現するのに使われている漢字でコピーすることには無理があるのです。
 日本語のカナにしたところでもともとは日本語の発音を表現するためのものなので、英語など外国語の発音をコピーしようとしても無理です。
 ただカナによるコピーのほうが漢字の場合より文字数が多くなるので、より細かくコピーできるような感じがするのです。

 球技のvolley、舞踊のballet、渓谷のvalleyは発音が違うのですが、カナではいずれもバレーとして表記していますがこれは、違いを表現することが難しいからです。
 vの部分を「ヴ」と表記する方法もありますが、「ヴァレー」と表記しても日本語で発音するときは「シリコンバレー」のように発音して区別がありませんから、結局「シリコンヴァレー」とせず、「シリコンバレー」という表記になってしまうのです。
 電気のvoltにしても、発音に近づけようとするならば「ヴォルト」となりそうなものですが、「ボルト」が通用しています。

 しかしバイオリンやビーナスなどは発音は変わらないのにヴァイオリン、ヴィーナスというふうに表記がかわってきています。
 日本語での発音が変わっていないのに表記が変わるというのは、英語の発音をより正確にコピーしようとした結果というより、英語の綴りをより反映した形でコピーしようとしたものでしょう。
 さすがにまだヴィタミンスィーとまでは表記する例はあまり見かけませんが、ヴィタミンディーという例は見かけます。
 「ティー」とか「ディー」という発音が普及し始めたからですが、できるだけ綴りを反映しようとするからでもあります。

 ステッキとかカタンといっていたものが、スティック、コットンという具合に表記されるようになったのも、より発音を反映させようとするよりも、綴りを反映しようとするものです。
 耳で聞けばコットンよりもカタンのほうが近いのですが、綴りを見てしまうと日本人の感覚からするとコットンになってしまいます。
 こうして見ると、カタカナによる英語の表記も聞こえたとおりというより、綴りという目で見えるものを反映しようとする傾向がみてとれます。
 こういうと日本語はテレビ型言語だというような意見が出てきそうですが、そういうことよりも文字を意識しているです。
 つまりこれまでは、耳で直接聞くよりも、書物によって得られた印象のほうが影響力があるのです。