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漢字の記憶術と字源

2008-09-27 23:55:28 | 言葉と文字

 漢字の大部分は形声文字といって、音声を表す部分と意味を表す部分で作られているというのですが、音声部分というのは中国語のものですから、現代日本人にはわかりにくいものがかなりあります。
 たとえば「視」の読みは「シ」ですが、音を表す部分が「見」だと思うと間違いで、「ネ」が音符で、「ネ」は実は「示」で「シ」と読むことになっています。
 似たような字で「規」のほうは、音符は「夫」でなく「見」で、「ケン」→「キ」と変化したということになっています。
 一貫性がなくわかりにくいものです。
 「示」という字は「ジ」とも読み、この方が普通で「暗示」「示談」「訓示」「示現流」などいずれも「ジ」と読みます。
 しかも「示」のつく字は「礼、宗、祈、神、祝、禅、禁、祭」など音符として「シ」と読ませるものはありませんから、「視」という字面から「シ」とよむのは困難です。
 「視」には異体字で「目」+「示」で「シ」読む字がありますが、「視」の字が変則的だからこのような字が作られたのでしょう。

 「耿」という字は「コウ」と読み、音符は「火」ですが、「カ」がなぜ「コウ」となるのかわからない上に、意味は「ひかり」で耳とどう関係するのか不審で、むしろ耳の部分が目であったほうがつながりやすいように思えます。
 「鼻」はもともと「自」が象形文字で「ハナ」を表していたというのですが、それなら「ビ」ではなく「ジ」と読みそうなものです。
 ところがこれは「鼻」の「自」の下の部分が音符で、これが「ビ」と発音するというのですから、ジ(はな)という単語が姿を変えた上に「ビ」という音声に変わったというかから厄介です。
 「汪」という字は日本では「オウ」と読みますが、中国で犬の鳴き声をあらわすときは「ワン」ですし、また「往」は普通なら「シュ」と読むのですが、もともとの字は主の部分が「王」だから「オウ」と読むそうです。
 
 このように形声文字の音符が漢字理解の助けにはならないので、もっぱら連想によって漢字を解釈しようとする人もいます。
 たとえば下村昇「みんなの漢字教室」には図の左側のように「迷」という字を説明しています。
 従来の説明では「米」と「しんにょう」で「しんにょう」歩く意味で、「米」は「米粒で小さく見えにくい」あるいは「暗くて見えにくい」という意味の「メイ」で、歩こうとして迷うという意味だとしています。
 ぎこちない説明なのですが、下村説では「米」をずばり「道路」に見立て、「道が四方八方に広がっているから、どっちに行けばよいのかわからないので「迷う」のだと説明しています。
 要するに漢字のいわゆる字源にこだわらず、見た目から直感的にわかりやすい説明をつければよいのだというのです。
 
 漢字の字源説というのは諸説あって、古い時代のことであるのと同時に中国人のものの捉え方が基礎になっているので、理解しにくく、またどれが正しいかもわかりません。
 それなら実際の字源説明でなく「なるほど」と思いやすい説明にすればよいというものです。
 ところが、こうした説明は思い付きが主体となっているので、ほかの人が見ると別な解釈が可能となって具合の悪い面があります。
 「米」の部分を道路に見立てるといっても、現実の道路は八叉路というのはめったになく、多くわかれても十字路がふつうです。
 十字路に「しんにょう」は「辻」という字で、この解釈法で行くと「辻」が「まよう」という意味の漢字になってしまいます。
 また「迷」を「道に迷う」という意味に結び付けすぎると「迷惑」という日常用語の意味はわからなくなって迷ってしまいます。
 字源解釈で漢字を記憶するのはよいのですが、ほどほどということもあるのです。
 

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