60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

瞬間的に読めるのは記憶があるから

2007-01-08 22:28:46 | 文字を読む

 渡辺茂「漢字と図形」によれば、漢字は複雑なものでも、千分の一秒という瞬間的な提示でも認識できると言います。
 千分の一はおろか、三千分の一秒の提示でも認識が可能だともいっています。
 これはどういうことかというと、漢字は複雑なものでも、ジッと見なくても瞬間的に読むことができると言うことだ、とたいていの人は思うでしょう。
 漢字は学習が大変なので減らしたほうがよいという意見に対し、漢字を多く覚えたほうがかえって能率的なのだという説があります。
 漢字能率派にとっては、漢字が瞬間的に認識できると言う実験結果はとても心強いものだったようです。

 ところで複雑な文字でも瞬間的に認識できると言う意味は、その文字を知っているから瞬間的に提示されたときにそれとわかるということです。
 知らない文字であっても視覚的に把握して、完全に再現できるということではありません(たとえば紙に書く)。
 たとえば憂鬱の「鬱」というような字は読める人でも瞬間的に示されて、これを紙に書くようにいわれても、瞬間的な記憶をもとに書くことは出来ません。
 読めない人であればどんな字だったかと聞かれたとしても、まったく答えようがないでしょう。
 主観的に示されてわかるというのは、あらかじめその漢字を学習していて、その記憶と照合することができるということです。
 学習していないとか、あるいは学習が不十分であれば、千分の一秒といわず、十分の一秒の提示でも示された文字を再現できないでしょう。
 
 「衢」、「贏」、「籥」というような字にしても、学習して記憶している人は、瞬間的に見てわかりますが、学習したことがない人にはなんだかわからないので、紙に書くなどということはなおさら出来ません。
 漢字の瞬間視をやってみてわかるのは、視覚的に把握するというのは、眼に映った細かい部分をすべて把握したということではなく、記憶しているパターンと一致しているかどうかを知ることだということです。
 記憶と照合するわけですが、すべての細かい部分の照合ではなく、全体的なパターンの照合です。
 一番右の文字は上が「こけら」、下が「かき」ですが、瞬間的に示されたらほとんど区別がつかず、両方とも「かき」と読む人が多いでしょう。
 「MS明朝」体では「こけら」も「かき」も「柿」となっているくらいですからやむをえないのですが、視覚的に見るということは、パターンを見ているのだということがこうした例からもわかります。


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