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略語と語源

2007-10-23 23:10:21 | 文字を読む
 言語類型論というのはヨーロッパ人の考えたものですが、最初は孤立語(中国語など)、膠着語(日本語など)、屈折語(フランス語など)の三種類に言語を分類していました。 その後発見されたエスキモー語などが抱合語として加えられて4分類とされています。
 図はそれぞれの言語の形をアナログ的に示したものですが、抱合語というのは主語や目的語などが動詞にくっついて、一語文の形になっています。
 文法の語形変化で見ると、孤立語がもっとも単純で、次に膠着語、屈折語となるので、ヨーロッパの学者から見ればこの順に発達した言語と考えられたようです。
 ところが新しく発見され、最も原始的な言語と考えられた抱合語が、実は語形変化が最も激しく、語形変化の順に並べれば屈折語、膠着語、孤立語と変遷するということになってしまい、屈折語優位とはいえなくなってしまいます。
 
 言語の形態から優劣を決めるということ自体はナンセンスですが、抱合語を原始的と考えるのは動物の言葉からの類推とすれば、理解はできます。
 猿が仲間に「向こうに豹がいるぞ」と声で伝えるとき、人間の言葉とは違って一つの叫び声で表現しているように聞こえます。
 抱合語も文が語に分けられないで、一つのかたまりで表わされているとして、これは単純な叫びとみなされたようです。
 
 しかし言葉の目的が何かを伝えるということであれば、複雑な形が優れているとは限りません。
 「向こうに豹がいる」という事実は言葉を組み立てなくても、見た瞬間に分りますから、本来ならなるべく手短に表現したいはずです。
 「ギャッ」といってそれで伝わるならそのほうが効率的ですから、できるなら表現は短縮されるはずです。
 
 一方で「向こうに豹がいる」といっても、実は「豹は弱っていてしかも距離はだいぶある」ということであれば、単純な表現でなく複雑で分析的な表現が必要になります。
 それでも複雑で長い表現であっても、内容じたいは慣れてくれば瞬時に理解できるようになりますから、表現も短縮化することが要求されます。
 「国際連合安全保障理事会」のように最初はその内容を示すために長い表現も、何度も使われるうちに「安保理」と短縮されます。
 意味が分かれば長い表現は嫌われるのです。
 とはいっても略語が通用しはじめる時点では、もとの言葉とのつながりが認識されているのですが、時間が経過すれば流通しているのは略語だけなので、あとの世代は意味が明示されない言葉を使うようになります。
 いわゆるカタカナ語でも、なぜそういうのかという語源は分らないまま使われているものが多いのです。

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