60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

書字の運動イメージ

2008-04-28 23:33:16 | 言葉とイメージ

 図の上半分は横書き文章を180度回転させたもので、下半分は縦方向に裏返したものです(文章の一番下に鏡を縦に置いたときに映る鏡像)。
 180度回転した文章のほうは、文字が逆さまになっているだけではなく、右から左へ、下の行から上の行へと読んでいかなくてはならないので読み難いのですが、それでも下の場合と比べるとはるかに楽に読めます。
 一つ一つの文字を読み取るのは、文字イメージをアタマの中で回転させたものと、脳内辞書にある文字を比較しているように思えます。
 ところが、「地球温暖化」とか「調査結果」というような文字のかたまりであっても逆さまの状態のまま読み取ることができるので、この場合も逆さまになった熟語を頭の中で回転させているかというと、心もとなくなります。
 
 そこで実際に、いくつかの文字のかたまりをアタマの中で回転させてそのイメージを想いうかべようとするとなかなかうまくいきません。
 漢字熟語のようなものをアタマの中にイメージしようとしても、ボンヤリとしかイメージできないので、それをアタマの中で180度回転するとなると、回転されたイメージがハッキリしないので読み取り困難となります。
 したがって逆さまの文字を読むときに、わたしたちは逆さまになっている文字をアタマの中でイメージ回転して読みとっているのではなく、別のやり方で読み取っているのです。

 どうして逆さまの文字や単語、熟語を読み取れるのかというと、それは文字に対する記憶が視覚イメージとしてあるだけでなく、書字の運動感覚が記憶されているためです。
 江戸時代の寺子屋の師匠は寺子と向かい合った状態のまま字を書いて見せたといいますから、字を逆さまに書くことができました。
 この場合文字のイメージを逆さまにしてそのさかさまにしたイメージにしたがって描くのではなく、自分が相手側の立場に立ったイメージを持って書けばよいのです。
 そうすれば、後は記憶している書字の運動感覚にしたがって書けばよいのですから、きちんとした字を書くことができたのです。

 そうなれば下の鏡像イメージの文章が上の逆さまな文字に比べて極端に読み取りにくいのは、アタマの中で文字イメージを鏡像に変換するのが難しいからではなく、鏡像文字の書字の運動イメージがないためだということが分ります。
 アタマの中に鏡像イメージを思い浮かべること自体は、180度回転した文字のイメージを思い浮かべるより難しいというわけではありません。
 視覚イメージだけの問題であれば、逆さまのイメージを想いうかべるよりも、鏡像イメージを想いうかべるほうがむしろ易しいのです。
 たとえば馬が右を向いている画像があれば、この鏡像は左を向いたイメージですが、この鏡像イメージをアタマの中に思い浮かべるのは、逆さまのイメージを想いうかべるより楽です。
 鏡の中に左右が反転した自分の顔の鏡像が写って見えても違和感を感じませんが、顔が逆さまに映れば違和感を感じるものです。
 視覚イメージとしては倒立イメージのほうが、鏡像イメージよりわかり難いのです。
 
 文字の場合は逆さまの文字のほうが、鏡像文字より分りやすいというのは、文字を見て理解をするとき、視覚イメージとして見ているだけでなく、書字の運動イメージも連動して見ているからなのです。