保護者会の朝、何が 奈良・高1逮捕 (朝日新聞) - goo ニュース
「明るい」「成績優秀」「いわゆる良い子」
この輝かしい代名詞が 毎度 このテの事件にはつきもの。
今回も「やっぱり」という結果になってしまった事に
胸がモヤモヤとしてしまった。
親なんてものは 所詮 自分を棚に上げ 理想ばかりを
子供に求める。
休み時間に一人でポツリとしている我が子を見れば
「友達がいないのか」と不安になり 授業中にボケーっと
窓なんか見ている姿を見れば
「どうしてハキハキ発言出来ないのか」と今度は苛立ちの
気持ちさえ湧いてくる。
どんな親も我が子が 他より少し上 或いはうんと上だと
安心し 少し下 うんと下だと焦りまくる。
焦ろうが何しようが 自分とは別の個体の問題なのに
なぜか自分と置き換えてしまう。
今回の事件も まだ真の理由はわからないが そういう
勝手な親の妄想が子供を追い込んだのも多少あるのでは
ないだろうか。
加えて どんな職種も世襲制って何だろうとも思う。
特に医者 政治家など 個人の力量で決まるものが
なぜか親もやっているからの一言で出来る場合がある。
個人的には二世医者のところには 正直 行きたくない。
確かに親の働く姿を見て 自分もなりたいという気持ちで
動いた人もいるだろうが 一般的に この仕事につけば
将来が安泰という ただそれだけの理由でその道を選んだ
二世ばかり。また その親も この道にいけば自分の子供は
安泰した人生を送れるという おかしな幻覚で子供を動かす。
自分も親だから 正直 子供に理想を求める。
バカみたいだとか 愚かだとか 言ってしまうのは
簡単だが 子供を持つと なぜか親は一人の人間である前に
変な征服力を持った人格が出てくるのも事実。
「子供の為」と言いながら 実は「自分の為」に
突っ走る事もしばしばだ。
いずれにしても 命を救うという医者になろうと
苦しんだ結果 最愛の家族の命を奪う結果になって
しまった。
子供を見る目が一方通行になる時が一番 親として
怖い時期である。
そうならない為には 自分の目を ともかく一方通行に
しない事。
「スタートはいつでも出来て ゴールは今じゃないという事。
そして そのスタートもゴールも決めて走るのは親じゃなく
子供自身であるという事。」
自分の親エゴが出る度に その言葉でセーブさせなくては。
何しろ 全く出来てない大人の自分だから。。。。
「明るい」「成績優秀」「いわゆる良い子」
この輝かしい代名詞が 毎度 このテの事件にはつきもの。
今回も「やっぱり」という結果になってしまった事に
胸がモヤモヤとしてしまった。
親なんてものは 所詮 自分を棚に上げ 理想ばかりを
子供に求める。
休み時間に一人でポツリとしている我が子を見れば
「友達がいないのか」と不安になり 授業中にボケーっと
窓なんか見ている姿を見れば
「どうしてハキハキ発言出来ないのか」と今度は苛立ちの
気持ちさえ湧いてくる。
どんな親も我が子が 他より少し上 或いはうんと上だと
安心し 少し下 うんと下だと焦りまくる。
焦ろうが何しようが 自分とは別の個体の問題なのに
なぜか自分と置き換えてしまう。
今回の事件も まだ真の理由はわからないが そういう
勝手な親の妄想が子供を追い込んだのも多少あるのでは
ないだろうか。
加えて どんな職種も世襲制って何だろうとも思う。
特に医者 政治家など 個人の力量で決まるものが
なぜか親もやっているからの一言で出来る場合がある。
個人的には二世医者のところには 正直 行きたくない。
確かに親の働く姿を見て 自分もなりたいという気持ちで
動いた人もいるだろうが 一般的に この仕事につけば
将来が安泰という ただそれだけの理由でその道を選んだ
二世ばかり。また その親も この道にいけば自分の子供は
安泰した人生を送れるという おかしな幻覚で子供を動かす。
自分も親だから 正直 子供に理想を求める。
バカみたいだとか 愚かだとか 言ってしまうのは
簡単だが 子供を持つと なぜか親は一人の人間である前に
変な征服力を持った人格が出てくるのも事実。
「子供の為」と言いながら 実は「自分の為」に
突っ走る事もしばしばだ。
いずれにしても 命を救うという医者になろうと
苦しんだ結果 最愛の家族の命を奪う結果になって
しまった。
子供を見る目が一方通行になる時が一番 親として
怖い時期である。
そうならない為には 自分の目を ともかく一方通行に
しない事。
「スタートはいつでも出来て ゴールは今じゃないという事。
そして そのスタートもゴールも決めて走るのは親じゃなく
子供自身であるという事。」
自分の親エゴが出る度に その言葉でセーブさせなくては。
何しろ 全く出来てない大人の自分だから。。。。