設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

何となく生きていけるのは

2004年10月07日 15時02分49秒 | 独り言
人生を折り返した地点を 過ぎた年になってくると
あの時 こっちの道に進んでいれば 今頃は違った人生だろうか
あの時 なぜ友に あんな傷つけるような言葉を言ってしまったのか。
今までの いろいろな後悔事が蘇ってくる。不思議な事に 後悔事なのに
もう色あせた出来事だからこそ 案外落ち着いて思い出される。

そして自分の子供が生まれると 子供達の何気ない行動や言葉に 自分も
ああだった こうだったと今まで振り返りもしなかった子供時代が
鮮明に蘇る。

後悔事と子供時代の出来事で 記憶もないのに鮮明に思い出されるのは
30年以上も前に死んだ祖父の事である。

物心ついた時から 耳にタコが出来る位 家族達から言われ続けた事
それは自分が「おじいさんが 本当に本当にかわいがった孫だった」
という話、、、、。祖父には申し訳ないが 祖父が亡くなったのは
自分が3歳くらいの事。覚えている筈がない。それなのに今でも
フラッシュバックのように蘇ってくるワンショットがある。
それは真っ白い世界。壁もベッドもカーテンも真っ白で その真っ白いベッドに
祖父が横たわっている。そして 自分に向かって「おいで おいで」と
枯れ木のような手を弱々しく振っている。
記憶は毎度 そこでプツンと切れている。

明治生まれの男らしく 自分の子供も抱っこしなかった祖父が 私がぐずると
率先して「ばってんおんぶ」して歩き回る。その姿は近所でも長く評判に
なるほどで、、、、ほとんど狂信的に「孫バカぶり」を発揮した祖父は
自分の死期を悟っていたのかもしれない。

定年退職後 わずか二年で待ってましたとばかりに肺ガンに冒された祖父。
プツンと消えた記憶は 既に末期ガンとなってしまった祖父を見舞った
時に違いない。
「ほら おじいちゃんが呼んでるよ」
そう母が私の背中を押し出すのだが 記憶の中の私は なぜか身がすくんで
そこから動けない。今でも背中を 半ば強制的にグリグリと押し出す
母の指の力と 行かないとする自分の足の突っ張りの痛さの感覚は
不思議と覚えている。

なぜ かけよって手を握り「がんばって」
その位の行動がとれなかったのか。多分 子供の私は怖かったのだと思う。
白い世界に横たわっている祖父が もう違う世界に半分行きかけているようで
ただ近くにいくのが怖かった きっとそういう気持ちであったのだろう。

でも祖父は 今の私がかけよって 手を握っても励ましの言葉を述べても
それはそれで嬉しくなかったのかもしれない。
媚も哀れみも同情も知らない 純粋な気持ちしかない子供の私だからこそ
祖父は たまらなくかわいがったのかもしれないのだ。

後悔事は色あせると 強引に自分本位の出来事へとすり替わって行く。
「こうだったらと」思う一方 「いや これでよかったのだ」
そう思い込んで 無理矢理 後悔事を自分の胸に畳み込むやり方も
段々 増えて行く。人生を折り返していくうちに こんな技も
自分の中では どんどん磨かれていったようだ。でも だからこそ
みんな毎日何となく生きて行けるのかもしれない。

祖父の命日が近づいた秋空に ふとそう感じた一日だった。